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第27話
「まったく、ガキみたいにわがまま放題やりやがって。何が大人だ。」
「自分のコンサートを自分の好きにして何が悪い?オレはそれを言えるだけの実力と権利があるんだからな。」
滲む視界の中で、オリヴァーの声が聞こえる。
「シキの考えも理解できるがな、周りの期待に応えてやることも支えられる者の義務だぞ。」
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らしたオリヴァーのその視線が色 さんの背後へ。
歪む景色の中でも、オーシャンブルーが僕に向けられたことは何故だかはっきりとわかった。
つられて背後を振り返った色さんが、僕を目にして驚きに瞳を見開く。
「彗 さん、」
「っ、ごめ、なさい……」
ただのマネージャーが感情を露わにしていい場面ではない。けれど、止めなきゃいけないとわかっていても涙は引っ込むどころか溢れ出てくる。
「う、れしくて……っ、そのっ、」
コンサートホールに色さんの音が響く。大勢の観客に聴いてもらえる。そう思ったら、僕はもう気持ちを抑えられなかった。
眼鏡を外して、ハンカチでぐちゃぐちゃになっている目元を必死に抑える。
色さんはそんな僕の様子に困惑しているようだった。
「彗さん……」
ゆっくりと歩み寄ってきた色さんは、目の前でしゃがみこみ泣きじゃくる僕の顔をじ、と覗き込む。
「す、すみませ、」
「いや、別に怒ってるわけじゃなくて。……まさか、そんなに喜んでくれると思わなかったから。」
「っ、だって、ずっと……ずっと、」
「……うん、そうだよな。」
僕の肩をポンと撫でた色さんは、優しく微笑んだ。
「ありがとう、彗さん。」
「っ、ううゔぁ、」
その笑顔を見た瞬間、僕はもう涙を止めることを諦めた。僕の方が十歳も年上なのに情けない。だけど、ずっとずっと願って、いつかはと膨らんでいた風船が予期せぬ形で爆ぜたんだ。みっともなくむせび泣く僕に、隣で黒澤さんが俺も貰い泣きしそうと眉根を寄せる。
「ゲストでも何でも色さんがコンサートホールで弾く日が来るなんて俺も嬉しいですよ。グリーンフィールド様々です。」
黒澤さんがオリヴァーへと向き直り軽く頭を下げれば、オリヴァーの口元はむ、とへの字に曲げられる。
「べ、別にオレはやりたいようにしているだけだ。……話は終わったからな、オレは好きに弾かせてもらうぞ。」
照れ隠しなのかふん、と鼻を鳴らし、オリヴァーは肩にかけていたヴァイオリンを担ぎ直してそのまま僕らに背を向けスタジオ奥の録音ブースへと消えていった。
その後ろ姿に、色さんは盛大にため息を落とす。
「オリーのやつ、本当に好き放題だな。」
「まぁまぁ。おかげさまでようやく色さんが重い腰上げてくれたんですから。ねぇ、彗さん?」
黒澤さんからの問いかけに、僕はまだ答えられそうになかった。
ぼろぼろに泣きながらこくこくと頷けば、狭いスタジオにクスリと皆の笑い声が響く。色さんや黒澤さんだけでなく、アマンダさんまで。
恥ずかしさに目元にハンカチを押し当て俯けば、みんなの笑いがさらに大きくなって、僕は恥ずかしさで耳まで真っ赤になりながらズビズビとしばらく泣き続けていた。
数分後、どうにか涙を押さえ込んだ僕は、一人この編集ブースに居残っていた。
本来ならマネージャーとして色さんをご自宅までお送りしないといけないのだけれど、僕達が今いるこのスタジオは本日僕の名前で借りてしまっているうえ、オリヴァーが練習に使用している為、日本の地理も言語も疎い彼一人を残して責任者不在というわけにはいかなかった。そもそも黒澤さんはこの後も仕事の予定があるらしく早々に帰社していったし、アマンダさんはどうやら既に契約時間外。
それに、落ち着けたとはいえ僕の顔は泣き腫らしなんとも酷い状況で、色さんに送りはいいからと断られてしまった。申し訳ないと思いつつも、ホテルに戻るついでに色さんを自宅まで送り届けるというアマンダさんのお言葉に甘えてタクシーに乗る二人を見送ったのがつい先程の事だ。
皆がいなくなった空間に、ふぅ、と僕の吐息が響く。
会社からパソコンを持ち出して来ていて正解だった。あと二時間弱、マネージャー業務が忙しすぎて溜め込んでしまっていた仕事を片付けるには十分すぎる時間だろう。
僕はノートパソコンを開き、起動するのを待ちながらチラリと視線をガラスで仕切られた向こうへと移した。
プラチナブロンドの髪を揺らし、ヴァイオリンを弾く後ろ姿。あちらのマイクもこちら側のミキサーも電源を落としてしまっているためハッキリとは聞こえないけれど、優しい旋律が漏れ聞こえている。
その音は録音ブースに入った時からずっと鳴り止まずにいた。おそらく、オリヴァーは皆が帰ったことにも気づいていないんじゃないだろうか。 それほどまでに目の前の譜面に集中しているようだった。
ふと思い出して、鞄から書類と共に小さな菓子袋を取り出してみる。今朝いただいてしまったクマの形のグミ。あの人の不器用な謝罪の気持ち。
僕の視線はまたガラスの向こうへと向いてしまっていた。
不思議な人だ。不機嫌になったり、笑ったり、落ち込んだり。こんなにも素直に感情をぶつけてくる人、初めて会ったかもしれない。
やりたい放題、尊大な態度、それでも彼の周りには彼に惹かれて人が集まってくる。スター性とでも言うのだろうか、彼は間違いなく僕には無いものを持っている人だ。
それが苦しくて、それでもそんな彼の人柄と音に少なからず惹かれてしまう。今日もまた、僕はこれからこの人に振り回されるんだろう。
それは楽しいのか、苦しいのか、自分でもよく分からないまま、僕はとにかく束の間の平穏な時間を有効に使おうと目の前のパソコン画面に集中する事にした。
漏れ聞こえる微かなヴァイオリンの音を聴きながら、時折クマのグミをつまみながら。
シー、夕食行くぞ!と彼が勢いよく録音ブースから飛び出してきたのは、それからきっかり二時間後だった。
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