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第31話
静かにかけていたサングラスを外したオリヴァーは、胸ポケットにそれをしまいこみ、ぎ、と目の前の男を睨みつけた。
海のように青く深いオーシャンブルーの瞳。その海の水底で静かにマグマが爆ぜようとしている。
射殺さんばかりに鋭いその視線に、目の前の男はごくりと息を飲んだ。
「さっきから何を話しているのかと思えば、キサマ、シーを侮辱していたな?」
「い、いえ、俺は…」
あわてて立ち上がり否定する男に、オリヴァーは詰め寄る。
「オレに対してかTeacher's petだったという話なのかは知らんがな、コビヲウルの何が悪い!キサマはその意味すらわからん凡人のくせに!」
オリヴァーの手が、男の胸ぐらを掴み上げる前に、僕はとっさに駆け寄り背負っていたヴァイオリンケースごとオリヴァーを背後から抱きしめ押さえつけた。
「オリヴァー!だめっ!」
とにかく落ち着かせなきゃ。
「っ、離せ、シーはコイツを庇うのか!?」
「そうじゃない!そうじゃないけど!!」
振り払われそうになるのをぎゅっと耐える。
駄目なんだ。こんな所で、僕のせいで、彼が怒るなんて。暴力なんて絶対に、絶対に。
「シーもシーだ!なぜ何も言わなかった!オレを友人だと言ったのはキサマだろうが!」
「だからです!あなた、オリヴァー・グリーンフィールドなんですよ!?こんな事のせいで音楽出来なくなったらどうするんですか!」
「っ、こんな事とはなんだ!」
必死にしがみついて叫んだけれど、怒りに染まったオリヴァーは僕の腕を振り払う。眼鏡がずれてぼやけた視界で、オリヴァーが目の前の男の胸ぐらを掴みあげるのが見えた。
「ぐ、っ、」
「コビヲウル、何が悪いって言うんだ!教授にマエストロにコンマスにソリスト、その場を指揮する人間の意志を汲み取り、助ける事の何が悪い!」
「ぐっ、そ、れは…」
「オ、リヴァー…」
駄目ですと、再び静止をかけようと伸ばした手は、彼の叫びにピタリと動きを止めてしまった。
荒く激しい言葉は、ずっと蓋をしていた感情の真ん中にずしんと勢いよく落とされる。
「より良い音を作ろうと努力する音楽家を侮辱する事は、同じ音楽家として絶対に許さん!」
「ぁ、」
ぶわりと大きな感情の波が溢れ出すのが分かった。
少しでも、役に立てるなら。
それで少しでもいい音になるのなら。
誰も、誰一人わかってくれなかった僕の気持ち。
あの時の僕がほしかった言葉。
「っ、」
溢れた感情が瞳からこぼれ落ちそうになるのをぐっと堪えて、僕はとっさにオリヴァーの腕を掴む。
「オリヴァー、っ、もういい!僕は大丈夫だから!」
多分、日本語で叫んでしまっていたと思う。それでもオリヴァーは殴りかかろうと振り上げた右手を止めてくれた。
眼鏡はずり落ちたまま、そしてたぶん今にも泣きそうな酷い顔の僕を目にして、オーシャンブルーが怒りではなく困惑の色を浮かべる。
「シー、……」
「……僕なんかの為に怒って下さってありがとうございます。もう、それだけで十分です。」
しがみついていた腕を解いて、オーシャンブルーを見つめながら、僕はあえて笑ってそう言った。
「……くそっ、」
吐き捨てたオリヴァーは胸ぐらを掴んでいた手で男を突き飛ばした。勢いで数歩後ずさった男は、へなへなとそのまま力無く椅子に座り込む。その鼻先に、オリヴァーは自らの人差し指をつきつけた。
ビクリと身をすくませた男に、オリヴァーは拳ではなく蔑んだ視線をぶつける。
「っ、あの…」
「いいか、覚えておけ。シーは、世界最高の音楽家だ。オレやシキという楽器を完璧にメンテナンスして、最高の音を出させるんだからな!そんなこともわからないからキサマは今音楽家を名乗れないんだ。」
「っ、」
あ、駄目だ。
口元を歪め低く不機嫌に落とされた優しさは、必死に耐えていたものを一気に決壊させた。
ふん、と不機嫌に鼻を鳴らしたオリヴァーはそれだけ吐き捨てると男へ背を向ける。
その手が、そっと涙でぐちゃぐちゃな僕の肩を抱き寄せた。
「帰るぞ、シー。」
「っ、うぁ、っ…」
もう言葉なんて出てこなかった。
醜い泣き顔は誰にも見られないようオリヴァーの肩口に埋められる。その手の温かさに、僕の涙は止まるどころか溢れ続けてオリヴァーのシャツを濡らしていく。
なんで、なんでこの人は、
「オーナー、騒いで悪かったな。」
「……別にいい。」
「また来るからな。次までにカード使えるようにしておけよ?」
自らの嗚咽に混ざって、店の奥からオーナーさんの苦笑と気まずげに息を吐く男の声が聞こえた気がしたけれど、僕はそれを確かめることすら出来ないまま、オリヴァーに引きずられるように店を後にした。
不器用で優しい温もりと、シトラスの香りを感じながら。
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