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第33話

僕が、噂は間違いなんだと声をあげなかったこと。後ろ指をさされてもなお、誰かの力となることをやめなかったこと。もしかすると、童顔だったこともいけなかったのかもしれない。 ある日ピアノ科の教授に声をかけられた僕は、手伝ってほしいと連れていかれた備品庫で教授に背後から押し倒された。 突然の事に声も出せないまま、床に押さえつけられ、シャツのボタンをむしり取られ、 『他の人間ともこういう事をしているんだろう?悪いようにはしないから、私に身を任せなさい。』 興奮に熱を帯びた息使いと共に落とされた言葉は、今でも僕の耳に残っている。 あの時感じた恐怖が背筋を駆け上がって、僕は思わずぎゅっと瞳を閉じた。 いつの間にか震えていた手を、オリヴァーの手が掴み強く握りしめてくれる。 「……どこの大学だ。」 その声は怒りに震えていた。思わず顔を上げれば、詰め寄ってきたオーシャンブルーがぎ、と僕を睨みつける。 「タマを潰して牢屋にぶち込んだんだろうな!?いや、それでも足りん。このオレが直接制裁を…」 「ちょ、落ち着いて、」 「落ち着けだ!?シーの音楽への熱情につけ込んだ最低の行為だろうが!」 「だっ、大丈夫ですっ!その……最後まで、されたわけではないので、」 今にも殴りかからんばかりに詰め寄るオリヴァーを大丈夫ですからと座席に押し戻す。 「あの、途中でその……教授の頬を思いっきりひっぱたいて逃げましたので。」 「う、」 オリヴァーの顔がわかりやすく歪んで固まる。その脳裏には間違いなく昨日自分がしてしまった行いがよぎっているのだろう。 先程まで怒りをあらわにしていたそのオーシャンブルーが、気まずそうにそらされた。 「そ、れでもだな……その、」 「もう七年も前の話ですから。……もういいんです。」 本当は今でもあの時のことは夢に見る。植え付けられた恐怖は僕の身体の内側にこびりついて消えることは無いんだと思う。 それでも、いいんだ。騒ぎたてて誰かに迷惑をかけるこはしたくなかったから。 「僕は誰にも言わなかったんですけど、やはり噂はどこからか広まってしまって……結局何らかの処罰はあったみたいですね。それも噂で聞きました。」 そうしてその噂は僕が教授達に身体を売っていたなんてありもしない話をさらに広めることになってしまった。 ただ音楽が好きで、ヴァイオリンが好きで、上手くなりたかっただけなのに。気がつけば僕の気持ちは誰にも理解されず、それどころか(うと)まれるばかり。 「……だから、シーはヴァイオリンをやめたのか?」 寂しげにポツリと落とされた声。 そこにあったのは同情だろうか。 誤解と不運が重なって、道を絶たれたと。そう言えれば、もしかしたら当時もこうして同情の目を向けてもらえたのかもしれない。 けれど、僕は首を横に振った。 真実はもっと単純で平凡だ。 「そんな事があってもやっぱり音楽が、ヴァイオリンが好きで諦められなくて。だから、きちんと音を聞いてもらおうって学内コンクールに出たんです。」 今の自分が出せる音を。 真剣に、真っ直ぐ。音を聞いてもらえば、小比類巻彗(こひるいまきすい)という人間をわかってもらえるんじゃないか。そう思って僕は相変わらず後ろ指さされる事も平気なフリをして教授に教えを乞い、寝る間も惜しんで練習してコンクールに挑んだ。出せる全てを出し切った。 そうして、音の止んだステージの上で、僕は審査員の先生方に評価を下された。 「……華がないと、言われました。僕の音は人を惹きつける華がないと。」 「シー……」 オリヴァーが言葉を詰まらせる。何かを言いかけ開いた口は、けれどそれ以上音を発することなく、ぐ、と閉じられる。 彼もわかっているのだろう。ヴァイオリンの貴公子と呼ばれ誰もが羨望と嫉妬の眼差しを向けるこの人から何を言われても、なんの慰めにもならないと。 「才能がなかったんです。誰も聞いてくれない音を奏でたって意味がないでしょう?」 誰も見向きもしない音。それどころか周りから疎まれてすらいる僕が、ヴァイオリンを続けることになんの意味があるんだろう。 才能がない。 そう理由をつけて、僕はヴァイオリンを諦めた。 どこにでもある平凡で情けない理由。それが全てだった。

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