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第37話 不機嫌な海と平凡な彗星
一体どうやってこの日時だと特定したのか、早朝から空港で待ち構えるファンとマスコミ。皆時計を気にしながら今か今かとその時を待っているのがわかる。
期待とざわめきは次第に大きくなっていき、ゲートの奥からお目当てのプラチナブロンドが姿を現した瞬間、その場の空気は最高潮に達した。
『来ました!オリヴァー・グリーンフィールドさんです!』
キャーーッと耳をつんざく黄色い悲鳴に混ざってリポーターさんの興奮気味な声が聞こえる。
ヴァイオリンケースを肩に背負い、スーツケースを引き、その半歩後ろにアマンダさんを従えて。カシャカシャとフラッシュの光を浴びながらその中を平然と通り抜けていくオリヴァー・グリーンフィールド。
ファンの声に応えて時折軽く片手を上げれば、それだけで空港内には悲鳴に近い声が上がった。
『オリヴァーさん、日本での初のコンサートですが意気込みを!』
『日本のファンに一言!』
我先にとマイクを突き出してくるマスコミの言葉はどうやらアマンダさんが通訳をしているらしい。時折アマンダさんがオリヴァーに耳打ちしては、オリヴァーが同じように耳打ちを返す。
「最高のステージにできたらと思います。」
「日本に来るのを楽しみにしていました。ファンの皆さんに早く会いたいです。」
めんどくさい。適当に答えとけ。彼の性格からしてほぼ間違いなくそんな事を言っているはずなのに、アマンダさんの完璧すぎる翻訳に周囲が沸き立つ。
宣伝のために周りを邪険にできないのだろうオリヴァーは数歩進んでは取材に答え、整いすぎた作り笑いをカメラに振りまいている。
そんな中、取材陣の一人がそれに気づいてしまった。
『オリヴァーさん、バイオリンケースにつけてるそれは「六花とキトリ」のキャラクターでは?』
聞いたことのある映画名に、ピクリとオリヴァーの動きが止まった。
ぎ、と発言したレポーターの方に向き直りつかつかと勢いよく歩み寄る。
「キサマこの「まっくろ猫さん」を知っているのか!?」
自らのヴァイオリンケース、そこにぶら下がっていた黒猫のキーホルダーを指さしながらリポーターとカメラに迫り来るオリヴァー。
『あ、あの、それはどちらで購入されたんですか?』
「公式ショップでネット購入したに決まってるだろう!昨日やっと届いたんだぞ!」
「……インターネットで購入しました。映像がとても美しくて素晴らしい作品ですよね。」
なんとかまともに訳そうとするとアマンダさんを押しのけ、オリヴァーはさらにリポーターに詰め寄る。
画面からはみ出さんばかりにアップに映る顔は、先ほどまでと違いオーシャンブルーの瞳を嬉しそうにキラキラと輝かせていた。
「あの作品はジャパニメーションを代表する素晴らしい映画だ!ここ数日毎日見返しているが何度観ても新しい発見がある!全人類が観るべき映ぐぁっ、」
急に苦痛に顔を歪め、言葉を詰まらせたオリヴァー。
……さては、アマンダさんに足でも踏まれたな。
「私共はコンサートの準備がありますのでそろそろ失礼いたします。」
笑顔でオリヴァーの背を押しマスコミから強制的に遠ざけるアマンダさん。
「おい、オレはまだ話し足りな…」
「予定が押してナポリタン食べられなくなっても知らないわよ?」
「む。それは困るな。」
もっと話をしたい。
オリヴァー、お時間です。あなたのお気に入りのナポリタンが食べられなくなってしまいますよ。
最後にはご丁寧すぎる字幕をつけられた映像はここで終了し、カメラはスタジオへと戻される。
スタジオでは女性アナウンサーがうっとりとした表情を浮かべていた。
『ヴァイオリンの貴公子、カッコよかったですねぇ。』
『オーラが違いましたよね。……さて、明日のコンサートの為に来日した、オリヴァー・グリーンフィールドさん。ヴァイオリンの貴公子として世界中にファンのいる彼は……』
本日仕事が休みだった為遅い朝食をとっていたのだけれど、何気なくつけた情報番組の映像に、手にしていたトーストが落下する。
「……ぱ、パワーアップして帰ってきてる。」
色々と情報量が多すぎてどこからつっこめばいいのやら。
テレビ画面の向こうにいるのは間違いなく二週間前に仕事で一緒だったあのオリヴァー・グリーンフィールド。
コンサートを明日に控えての来日ということもあり、普段はクラシックなんて取り上げない情報番組でもこうして彼の映像を目にするくらいには時の人となっている。
コンサートの案内や彼の演奏についてよりもそのルックスに注目した内容の番組を見ながら、再びアップで映されたオリヴァーの姿に心臓が跳ねる。
「……もう、日本にいるんだ。」
自らの独り言に、体温が少し上がった気がした。
無意識のうちに自らの唇に触れれば、別れる間際に落とされた彼の言葉を嫌でも思い出す。
――オレとヴァイオリンの事だけ考えていろ。
本来なら、彼はこうしてテレビや雑誌越しに目にするような住む世界の違う人。けれど僕は、眩しいプラチナブロンドも、海よりも深く澄んだオーシャンブルーの瞳も、彼のつけているシトラスの香水の香りも知っている。尊大な態度も、不器用な優しさも、唇で感じた体温も。
……でも、あの言葉の真意は知らない。
テレビ画面には僕の思考を遮るかのように笑顔で取材陣に片手を振るオリヴァーの姿。
今日はいくつかテレビの取材をこなしてから、時差で体調を崩さないようホテルで休養し明日のコンサートに臨むと、ご丁寧にテレビは彼の今日の予定まで教えてくれた。
「どうしよう……」
彼に会ってはいけない気がする。でも、明日のコンサートには色さんがゲストで出る。僕はマネージャーとして、彼と会わなければならなくて。
はぁ。と吐き出した重いため息は、誰にも聞かれることなく狭い部屋に消えていった。
……なんて、思い悩む一日でいた方がまだよかったのかもしれない。
そう、僕は悩みの相手が誰なのか、この時完全に失念していた。
ピリリリ
ぼんやりとテレビを眺めていたらテーブルに置かれたスマホが突然音を立てて着信を告げ、僕は反射的に手に取った。
「っ、」
社用のスマホに表示された名前に、僕の心臓は止まりかける。
出なくちゃ、でも、何を話したら。
しばらくスマホを手に固まっていたら、ガンッ、と背後から音がした。
「?」
ガンッガンッと音は玄関の外から聞こえる。
そのあまりのタイミングの良さに、僕の脳裏にはありえない考えが浮かび、僕はそれを振り払うようにかぶりを振った。
電子音を鳴らし続けるスマホ。ガンガンと蹴り飛ばされているのかノックされているのか激しく音を立てる玄関。
まさか。いや、まさかそんな。
自分の家なのにそっと立ち上がり、細心の注意を払って音を立てずに玄関に歩み寄れば、扉の向こうからなにやら騒ぎ立てる声が……英語で聞こえてきた。
『おい、シー!』
いやいや、そんな。
いや、だってここ、僕の住んでるアパートですけど。
都内に家なんて借りられない安月給のサラリーマンが住んでる、隣県の築三十年越えの二階建てオンボロアパートなんですけど。
息を殺して玄関に顔を寄せドアスコープを覗き込んでみれば、
「ひ、」
どアップのオーシャンブルーが見えて、思わず出た悲鳴に慌てて自らの口を両手で塞いだ。
『微かに着信音が聞こえてる。中にいるだろ、シー!』
ガンッと激しく蹴り付けられる玄関に僕は思わずその場にへたり込む。
そうだ、この人はこういう人だった。
傲慢我儘傍若無人、空気も常識も完全無視。
付けっぱなしになっていたテレビ画面にも、鳴りっぱなしのスマホにも、……そして玄関扉の向こうにも。
僕の視覚と聴覚を占拠するオリヴァー・グリーンフィールドその人を前に、逃げるなんて選択肢があるわけもなかった。
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