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第38話
仕方なしにおそるおそるドアを開ければ、足と手が隙間に入り込んできて、ガンッと強引に扉を開かれた。
勢いに気圧されて思わず半歩後ずさった隙に、オリヴァーは完全に家に上がり込んでくる。
「遅い。電話もノックもしただろうが。」
むすっと不機嫌に口をへの字に曲げ、僕の家の玄関で仁王立ちするオリヴァー・グリーンフィールド。
夢でもなんでもなく、間違いなく本物だ。
「す、すみません。」
思わず謝って我に返る。
違う、アポ無しで勝手に人の家に来たのはそっちじゃないか。いや、そうじゃなくて、今思いっきりメディアから注目されているあのオリヴァー・グリーンフィールドが一般市民の家に来るなんて、そんな事あっていいわけない。
オリヴァーはふん、と僕を不機嫌にひと睨みしてから当たり前のように家に上がろうとしている。
「ちょ、なんで…って、靴は脱いで!」
「あー、そうだったな。」
適当に靴を脱ぎ捨てたオリヴァーは僕の静止なんてお構い無しに勝手に奥へと入っていく。
いやいやいや、ない。これは本気でありえない。
なんで、どうしてこうなった?
僕はオリヴァーの腕を咄嗟に掴んで全力で引き止める。
「む。なんだ。」
「いや、それこっちのセリフですよ。なんでここにいるんですか!」
「なにって、タクシーで来たに決まってるだろ。」
「そうじゃなくて!」
「住所送ってきたのはそっちだろうが。」
「来て欲しいなんて一言も言ってません!」
約束していたDVDとCDを送る際に、いくらアマンダさん宛とはいえ、差出人不明では届かないかもしれないと自宅の住所を書きはした。書きはしたけれど、まさかこんな事になるなんて誰が予想出来ただろう。
なんとかお帰りいただこうとしがみつく僕を引きずりながら、オリヴァーは構わず進んでいく。
「テレビの取材が終わって、テレビ局から直接顔を見に来てやったんだ。諦めて付き合え。」
「いやですーっ」
明日は色さんがゲスト出演するコンサート。
その為に今日に振り替えた貴重な休みが。誰かさんに振り回されっぱなしでまともに取れなかった休息の時間が。
色んな意味で緊張の明日を前にして、ゆっくり落ち着こうなんて考えていたのに完璧なまでにぶち壊されていく。
中に入れろ、帰ってください。なんとも低レベルな綱引きは、立場も体格も腕力も、そもそも僕に勝ち目なんてどこにもないわけで。あっという間に僕をひきずったままリビングに続く扉へと手をかけたオリヴァーに、僕はすべてを諦めるしか無かった。
降参とばかりに脱力してしがみつくオリヴァーから離れれば、その口元がニンマリと弧を描く。
「だいたい俺が一人でホテルまで帰れるわけないだろ。」
「威張らないでくださいよ……」
しぶしぶ扉を開けて中へと入れば、オリヴァーは興味深げにキョロキョロと辺りを見回し、む、と眉を顰める。
「……ここは物置部屋か何かか?スタジオより狭いぞ。」
言うと思った。
「日本の単身者向けアパートメントならこの広さが普通です!」
むしろ1LDKなのだから、広いくらいだ。
宿泊している高級ホテルと一緒にしないで下さい。嫌なら帰って下さいとまくし立てれば、オリヴァーはとりあえずは口をつぐみ、肩にかけていたヴァイオリンケースをリビングのソファー脇に立てかけてから、我が物顔でソファーへと腰を下ろした。
自らが特集されていたテレビを一瞥してからリモコンで消し、ふぅ、と長いため息とともにソファーに深く身体をあずける。
とりあえず、彼の中に帰るという選択肢は微塵もないようで、僕は仕方なくオリヴァーにコーヒーを入れてあげることにした。
キッチンカウンターで電気ポットをセットしてお湯を沸かしていたら、んー、とつまらなさそうな唸り声が聞こえてきた。
「……ナポリタン、シーと食べに行くつもりだったんだがな。」
「ここからじゃかなり遠いですよ。それに、あそこのランチタイムは音大生だらけですから、店に入るのは危険です。」
「むぅ。」
なるほど、恋しかったのはお気に入りの店の料理か。
明日に備えて今日はもうオフなのだろうから、アマンダさんとは別行動。だとすれば彼が自由に動くためには僕が必要だと……そういう事なのだろう。
「店には夜に行きましょう。それまでやりたい事や行きたいところはありますか?」
二人分のコーヒーを入れリビングへ。
カップの一つをオリヴァーに手渡しながら尋ねれば、不機嫌にへの字に曲がっていたはずの口元が、何故だかぽかんと開かれる。
まん丸に見開かれたオーシャンブルーの瞳が、真っ直ぐに僕を見つめた。
「えっと、どうかしました?」
「いや、……嫌だ、帰れと言っていたわりには、オレと夜までデートするつもりでいるんだなと。」
「っ、!?で、でで、デートって…」
ニヤリとオリヴァーの口角が上がったのは、多分僕の顔が一瞬にして真っ赤に染まったからだ。
「なんだ、違うのか?」
「ち、違います!……違うに決まってるじゃないですか。」
手にしていたカップをギュッと握りしめ逃げるように視線をそらせば、視界の隅でふぅ、とオリヴァーが肩を竦めた。
「まぁいい。時間はまだたっぷりあるからな。ゆっくり口説き落としてやるさ。」
「へ?」
「とりあえずシー、腹減った。」
「 へ?、え?」
僕が言葉の真意を尋ねるより早く、オリヴァーのお腹がぐぅ、と音を立てる。その瞳は既に僕ではなく、目の前のローテーブルに放置されていた食べかけのトーストへと向けられていた。
「シーのランチはこれだけなのか?いくらなんでも少なすぎるだろ。」
「あ、いえ、それは遅い朝食で。でも、時間も時間だしちょっと物足りなかったし、パスタでも湯がこうかと思ってましたけ…ど……」
「ほう。」
ニヤリとオリヴァーの口角が意地悪に釣り上がる。
「ケチャップはあるんだろうなぁ?」
怖い笑みを浮かべたままじろりと向けられたオーシャンブルー。
何しに来たのか、さっきの発言の意味は。結局僕は発言を許されず、オリヴァーからなんの答えも貰えないまま、何故かナポリタンを作らされる羽目になった。……しかも五人前。
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