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第42話 オリヴァー・グリーンフィールド

「荷物はこれで全部ですか?」 「ん。とりあえず今日は、な。」 早めの夕食を終えて、僕は以前と同じくオリヴァーを送るため都内のホテルへ。ただ、以前と違ったのはオリヴァーが大量の買い物をしていた事だ。 夕食前に立ち寄ったアニメ映画の公式ショップで、棚の端から端までなんてドラマでしか見たことないような豪快な買い物をしたものだから、当然一人でホテルまで運び込めるはずもなく。結局僕がフロントで通訳しながらの国外への配送手続きと、手元に残しておきたいと配送の荷物に混ぜなかった残りの品をオリヴァーの宿泊している部屋まで運ぶこととなった。 デラックススイートなんて僕には一生利用の機会などないであろう豪華な部屋。オリヴァーがヴァイオリンをソファーに置き、帽子とサングラスを脱いでいる間に僕は明らかにお高そうなガラス製のローテーブルに、パスケースやらキーホルダーやらを並べ置く。アニメ絵柄のグッズ達はなんとも場違い感を醸し出していたが、本人はご満悦のようでグッズを眺めてにんまりと満足そうに頷いた。 「今日はって……まだ買うつもりです?」 「オシにオフセ、が日本のマナーなんだろう?他に気になるアニメも色々あってな、明日はコンサート前にアニメショップに行くつもりだ。」 なぜだか自慢げにそう言われれば、僕としてはもうため息しか出てこない。初めて会った時は、アニメのアの字もなかったはずなのに……僕、もしかしなくても押さなくていいスイッチを押しちゃったんだろうか。 「色々助かったぞ。」 「いえ。それでは、私はこれで…」 一礼して退室しようとした腕を咄嗟に掴まれる。 「あ、あの…」 「せっかくなんだからゆっくりしていけ。なんなら酒でも頼むか?」 じ、と僕を見つめるオーシャンブルー。 広い室内の空気が、急にずしりと重く感じた。 気安い言葉のはずなのにその瞳は真剣で、僕は耐えきれず逃げるように俯く。 「い、いえ、その、明日はコンサート本番ですし、そ、そうだ、アメリカの法律ではオリヴァーはまだ飲めないんじゃ、」 握られたままだった手に、力がこもったのが分かった。 ドクン、と心臓が跳ねる。 「……じゃあどうすればシーをここに引き留めておける?」 「な、」 顔が見れない。 なんで、そんな声で、そんな事言うんですか。 ジョークだって、手を離してくれないんですか。 「…………あの、もしかして、僕……今、く、口説かれて…ますか?」 俯いたまま、まともに息もできない状況の中で何とか言葉を絞り出せば、ふん、と不機嫌に鼻で笑われた。 「このオレ自ら家まで迎えに行って、一日中デートをして、さらには部屋にまで誘ったんだぞ。もしかしなくとも口説いているに決まってるだろうが。」 ゾクリと背筋が震えた。 だって、そんなこと、ありえるはずがないのに。 急に熱を帯びたオリヴァーの声に、顔が火照っていく。 「なんで、僕なんですか。……あなたにはもっとふさわしい人が、」 「シー。」 オリヴァーの手が、僕の顔から眼鏡を抜き取る。 「ちょ、」 反射的に俯いていた顔を上げれば、怖いくらい真剣に僕を見つめるオーシャンブルーに射抜かれて、言葉を失う。 心臓がひときわ大きく跳ねて、動きを止めた。 「シー、お前だってわかっていただろう?わかっていた上で今日はオレと共にいて、こうして部屋までついてきた。」 「っ、ぼ、僕は…」 眼鏡をローテーブルに置いた手が今度は僕自身にのばされ、するりと頬を撫ぜられた。 それがどういう意味をもつのかわかっているのに、動けない。 ゆっくりとオリヴァーの顔が近づいてきて、唇を奪われた。触れた温もりは一瞬で離れていって、またオーシャンブルーが僕を見つめる。その青に、欲望の色を宿して。 「今も、プラネタリウムの時も、お前はオレを拒まなかった。……このままオレを受け入れろ。」 「僕は……っ、」 駄目だ。言っちゃ駄目。これ以上は駄目だ。 ぎゅっと口を引き結べば、眼鏡をローテーブルに置いた手が力強く僕の手を引いた。 「ぁ、」 よろける身体を遠慮なしに引きずられ、部屋の奥へと連れていかれる。オリヴァーの向かう先にあるのは寝室だ。 「ちょっとまって、」 「待たない。」 「ぼ、僕の恋愛対象は異性で、」 「以前は、だろ。今はオレに惹かれてる。」 「っ、」 腕を振り払おうとしてもビクともしない。あっという間に寝室に引き込まれて、逃げ道を塞がれる。 「まって、あの、僕達国籍も違うし、」 「そんなもの関係ないだろ。今もコミュニケーションは十分取れているようだが?」 「で、でも、と、歳だって、七つも離れてるし、」 「歳なんて関係な……はぁ!?な、ななつ上!?」 思わぬところで動揺したオリヴァーの隙をついて掴まれていた手を振り払ったのだけれど、逃げ出す前にすぐさままた腕を掴まれ、逆に引き寄せられた。 今度はガッチリと両肩を掴まれ、身じろぎすら自由にできない。 「くそっ、今はそんな事どうでもいい!惹かれるのに理由なんて必要ないだろ!」 「っあ、」 悲痛な叫びが部屋に響くのと同時に、僕はオリヴァーに足を払われ、ぐらりと傾いた身体を腹から身体をすくい上げられていた。 「ちょ、はなっ、っ!」 抵抗する前に身体はベッドの上へと投げ出され、シーツの海へと沈み込む。 抵抗も忘れ固まる僕の上にオリヴァーが覆いかぶさり、吐息を感じられるほど近くで僕を見下ろした。 「嫌なら今すぐ突き飛ばせ。」 ぎ、と僕を睨みつけるオーシャンブルー。 けれどそこに、祈るような、縋るような色を見つけて、僕は何も言えなくなってしまった。 こんな事駄目ですって、言わなきゃいけないのに。 僕を押さえつけるオリヴァーの手が、震えていることに気づいてしまった。 「シー、いい加減認めろ。オレが欲しいと……認めてくれ。」 「そんな……、」 ずるい。 そんな瞳で、そんな縋るような声で。そんなこと言われて、拒絶なんて。 僕を真っ直ぐに見つめる瞳。不器用な言葉。シトラスの香水に、震える指。 オリヴァー・グリーンフィールドが、僕の中に溢れていく。 本当はもう既にいっぱいだったのに、限界を超えて溢れていく。 「…………あなたを好きだなんて、言っていいはずないのに。」 こぼれ落ちた本音に、オリヴァーは泣きそうな顔で笑ってから、今までで一番優しいキスをくれた。

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