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閑話 傲慢で不器用で音楽家

国内有数の広さを誇るコンサートホール。本番を数時間後に控えたこの場所に、ゲスト出演者のsikiとして通された俺は、慌ただしく本番へ向け動き回るスタッフさん達の邪魔にならないようにリハーサルの出番がくるまで大人しく控え室で待たせてもらうことにした。 サプライズのゲストとして出るのは最後の数曲だけ。さらには顔を知られるのは最低限の人間に留められるようにと、(すい)さんが俺の代わりにスタッフさん達と打ち合わせやリハの手伝いまでしてくれていて、やることの一切なくなった俺は広い控え室で暇を持て余……しているはずだったのだけれど。 「……オリー、お前の控え室隣だろ。」 「ふん、オレのコンサートでオレが何しようが勝手だろうが。」 一通りのリハを終え休憩をとることにしたらしい本日の主役は、人の控え室にノックもなしにやってきて、こちらの了承もなく部屋の隅にたたみ置かれていたパイプ椅子を引っ張り出し俺の向かいに腰を下ろした。 いやほんと、何しに来たんだこいつ。 特に何を話すでもなくふん、と不機嫌に鼻を鳴らすオリヴァーに、俺はとりあえずコーヒーくらいは入れてやるかと席を立ち、控え室隅に置かれていた紙コップにお湯とインスタントのスティックコーヒーを溶かし入れた。 その間も背後からじ、と視線を感じて落ち着かないんだが……いったいなんなんだろうか。 「ほらよ。なんか俺に話でもあるのか?」 入れてやったコーヒーを差し出せば、オリヴァーはやっぱり無言で席を立ち、控え室隅のテーブルからスティックシュガーを二本掴み取り中身を全て自身のカップに開けた。 うげ、と思わず声に出せば、青い瞳はぎ、と一瞬俺を睨みつけはしたものの、大人しく手にしたコーヒーに口をつける。 「ふん。……ずいぶんと余裕そうじゃないか。」 もしかして、心配して来てくれたんだろうか。 なんて聞いたところで答えはかえってこないんだろう。浮かんだ考えは、コーヒーと共に飲み込んだ。 「こう見えて緊張してるよ。ステージに上がるのなんてガキの頃に出たコンクール以来だからな。」 「ふん、このオレがメインで弾くんだ、不安になる要素など何一つないだろうが。」 「あー、そうだな。そうでしょうとも。」 心配しなくても大丈夫だと、なんで素直に言えないのか。面倒くさすぎる貴公子様に、俺は思わずため息を吐いていた。 照れ隠しなのかなんなのか、偉そうにふんぞり返ってコーヒーを飲むこの男と数時間後にはステージの上で重奏するのかと思うと、緊張以外の理由で胃が痛いかもしれない。 ため息とともに胃をさすれば、ふん、とオリヴァーは不機嫌に鼻を鳴らした。 「どれだけコンディションが悪くても常に胸を張っていろ。それが支えられる者の義務だ。もちろん、本番に向けてメンタルを整えるのもプロとして必要なことだがな。」 「……、」 思わず目の前の男を注視してしまっていた。 尊大でわがまま放題だと思っていた男からまさかそんな言葉が出るなんて。 「なんだ、その顔は。」 「いや……、前に親父にも似たような事言われたよ。」 「ああ、シキの父はセイイチサクライだったな。」 ――いつでも堂々としていろ。でなければついて行こうとしてくれている人間が不安になる。 オーケストラを率いる指揮者として、常に周りのために堂々としていなければならない。 胃薬片手によく親父が言っていた。 どんなに優れた音楽家でも、たった一人ではステージに立つことはできない。その事を目の前の男もわかっているのだろう。だからこそ、こいつは今こうしてコンサートに関わる俺を気にかけてここにいるんだ。 ホストとして、もしかしたら、自身の緊張や不安を押し殺して。 そう思ったら、知らず緊張で引き結んでいた口元が緩んでしまっていた。 脳裏に、今本番に向けて慌ただしく動いてくれているであろう人の顔がよぎる。 「……ありがとうな。」 素直に感謝の言葉を述べれば、オリヴァーはむ、と言葉を詰まらせる。 「な、なんだいきなり。」 「いや、俺にアドバイスしにきてくれたんだろ。いつか、一人でステージに立つ時のために。」 「べつに、オレはお前と話を、……そ、そうだ、アンコールの話に来ただけだからな。」 素直じゃないのは俺に気を使わせないため……ではなくやっぱりこいつの性格なんだろうな。 俺は思わず笑いだしたくなった口元を隠すように、手にしていたコーヒーを飲み干した。 「はいはい。で、アンコールがなんだって。」 「シキが弾くのはコンサートの最後の一曲だからな。どうせステージにいるんだ、アンコールもそのまま伴奏を引き受けろ。」 「別にいいけど……曲は何やるんだ?」 自信家で尊大な誰かさんのおかげで人生初のコンサートの舞台に立とうとしているんだ。こうなればもうとことんこいつの我儘に付き合ってやるさ。 今回の俺はオリヴァーの言葉を借りるなら、支えてやる側なんだろうから。 オリヴァーは激甘なのだろうコーヒーを飲み干すとニヤリと口の端をつりあげた。 「一曲やりたい曲はあるんだがな。アンコールは別に何曲したっていいんだ、シキの望む曲をやってやらんでもないぞ。」 ふふん、とパイプ椅子にふんぞり返りながら偉そうに出てきた言葉は、傲慢なようでやっぱり俺に対する不器用な優しさで。 自由奔放、好き放題やっているようで世界に認められている理由がわかった気がした。 「そうだな……俺も、一曲やりたい曲がある。」 sikiとして初めてのステージ。音楽家としてそこに立たせてくれる人のために。 こいつみたいに……はなりたいとは思わないけど、俺も俺なりに、何かしたい。初めてのコンサートで演奏するならやっぱりこの曲なんじゃないだろうか。 俺が曲名を口にすれば、オリヴァーは海より深い青い瞳を驚きに瞬かせ、奇遇だなと楽しげに笑った。

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