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第3話 偵察

 繁華街から少し離れた、閑静な立地にもかかわらずその店は繁盛していた。  会社帰りのOLや近所に住んでいる裕福な主婦のような女性客やカップルでにぎわっている。  男二人だけの客は、桜庭と朝比奈だけだ。  こういう店に偵察に来る時に、朝比奈という存在は役に立つ。  朝比奈は遊び慣れていて、女性が集まっている場所で自分がどんな風に見られているかということをよく心得ていた。  朝比奈の容姿は、女性の目を引く。  これが桜庭のような堅物サラリーマンの男二人だと場違いなようだが、朝比奈を連れているだけで『美しい男をプライベートで連れている』と周囲は羨望の目を向けてくる。  朝比奈が注目されることに、桜庭は慣れていた。  そのお陰であやしまれずに店舗の偵察ができるのだ。  朝比奈がメニューを広げて選んでいる間に、桜庭はさっそく手帳を広げて間取りをメモする。  テーブル数や、カウンターの高さ、床の材質など、メモの内容は多岐にわたる。  しかめっ面でメモをとっていると、朝比奈がメニューを突きつけて小声で桜庭に文句を言う。 「あんまり、ロコツに偵察してるとばれるぞ」 「そのためにお前を連れて来てるんだろうが。恋人とデートしているフリでもしていてくれ」  手帳から顔もあげずに、桜庭はしれっとした表情で言い返す。  朝比奈はゲイだ。  桜庭はそのことを知っていてつき合っている、朝比奈にとっても数少ない純粋の友人なのだ。  桜庭にとって、仕事ができて自分に危害さえなければ、ゲイだろうがなんだろうが問題ではない。  そんな風に割り切ってつき合ってくれる桜庭だから、朝比奈は気に入っていた。  一度だけ朝比奈は桜庭に、ゲイが気持ち悪くないのかと聞いてみたことがある。 『お前は俺を押し倒して抱こうと思うことがあるのか?』 『滅相もない』 『そうだろう。なら、問題はない』  話はそれで終わった。  桜庭はどう見ても朝比奈よりガタイが大きいし、華奢な朝比奈が力で太刀打ちできる相手ではない。  もちろん、桜庭を押し倒して抱いてみたいなどという欲望も、朝比奈にはない。  ただし、押し倒されて抱かれてみたいという密かな願望はあった。  それは桜庭にその気がない限り、押し倒すよりも叶わない夢だと諦めていたけれど。 「ねえ、総一郎。せっかくお洒落なお店に来たんだから、いい加減に仕事なんてやめなよ。やっと会えたっていうのに」  朝比奈の不自然に甘えた声に、桜庭は顔をあげる。  店員が注文を取りに来たぞ、という合図なのだ。 「悪いな、忘れないうちにメモしておきたいことがあって。今日は社員研修があったからな」  偵察だとさとられないように適当に話を合わせるのも、いつものことだ。 「総一郎、このテーブル、素敵だよね。俺、こういうのリビングにひとつ欲しいんだけど」  桜庭は嘘くさい営業用スマイルを浮かべて店員に尋ねる。 「このテーブルはどこのメーカーのものかわかるかな?」 「当店の調度品は、ドイツのシュワルツ社のもので揃えております」  店員が少し自慢げに答える。 「シュワルツってよく知らないけど、高そうだね」 「別にこれじゃなくても、似たようなのを探して買えばいいだろう」  適当に注文をして店員が立ち去ると、桜庭は再び手帳を取り出し、備品シュワルツ社、とメモを書き足す。 「陸、お前、どう思う?」 「どう思うって?」 「落ち着くか? この店」 「うーん、どうだろ」  朝比奈は桜庭の代わりに店内を見回す。 「カウンターの位置が高いってのがヤだな。中の店員に見下ろされてる感じ」 「なるほどな。でも、調理しているところを見せるのがウリだろう?」 「でも、店員の目線が客より上にあるっていうのは落ち着かない。それに、入り口が階段上るようになっていたのも減点だな。このあたりは金持ちの年寄りも多いんだからバリアフリーでないと」  こういう時、朝比奈は案外的確な意見を言うので、桜庭はそれを信頼している。  自分では目が届かないようなことに気づいてくれるのだ。  桜庭は朝比奈の意見をいくつかメモすると、手帳をしまった。  あまり待たせると目の前の朝比奈が、そろそろ本当に機嫌が悪くなりそうだ。  いつの間にか朝比奈が注文していた高価な赤ワインのボトルが運ばれてきて、二人はグラスを合わせた。  桜庭と朝比奈が二人で飲む時の話題は、たいてい仕事の話である。  桜庭にはプライベートと呼べるような時間がほとんどないので、それも仕方がないだろう。  今日の仕事の愚痴は、今決まりかけている麻布のカフェの仕事のことらしい。  ヨツバからの下請け依頼なのだが、この仕事には別に店舗コーディネイターという外食産業のプロデューサーが絡んでいて、その男がなかなかくせ者らしいのだ。 「くせ者って、どんな風にさ。年は若いの?」 「そうだな、俺達と同年代ぐらいだな。なんでも高崎産業という食品流通の会社の次男坊で、放蕩息子らしい。キザったらしい嫌なヤツだよ」  桜庭は思い出すように、顔をしかめた。  その時入り口の方にめずらしく男二人の客が入って来た。  桜庭達とは離れたカウンターのすみに座る。  気付いた桜庭が眉をひそめる。

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