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第4話 愛がない
「噂をすればなんとやら、か。あいつらも偵察か」
「今入ってきた二人連れ?」
朝比奈も気付いていたのだろう、チラリ、とカウンターに目をやる。
「派手な方が今話してた放蕩息子だ」
「はーん、なるほど」
派手な方、と言われただけでどっちの男かわかる。
モスグリーンのシルクのスーツに、ちょっとサラリーマンでは着ないようなスタンドカラーのシャツ。
頭のてっぺんから爪先まで、自己顕示欲がにじみ出ているような男である。
ルックスはかなり良い方だとは思うが、自分は注目されているぞという尊大な物腰が気に入らない。
今もふんぞり返って、店員にぺこぺこ頭を下げさせている。
どうやら席がカウンターなのが、気に入らない様子だ。
桜庭はその男には背を向けていたのだが、なぜか男は桜庭たちに気付いてじっと見た。
桜庭に気付いたというよりは、朝比奈に目を止めたようである。
そして、席を立ち二人に近づいてきた。
「桜庭さん、こんなところでお会いするとは」
「ああ、高崎さん。奇遇ですね、お食事ですか」
桜庭は営業用スマイルで、当たり障りない返事をする。
「そちらの方は?」
高崎は朝比奈の方に目をやる。
朝比奈はこの男をどこかで見たような気がしたが、咄嗟には思い出せなかった。
しかし、ぶしつけで嫌な視線だ。
男を舐め回すような遠慮のない視線を向けるようなやつは、十中八九ゲイである。
「うちの事務所の専属デザイナーの朝比奈です。今回の仕事も手伝ってもらうことになるでしょう」
「そうですか、それはそれは。こんなところなので名刺は出さずにおきましょう。またいずれ会えそうですからね」
高崎は、欧米風に朝比奈に向かって握手の手を差し出す。
仕方がないので、朝比奈も笑みを浮かべて握り返した。
ねっとりと朝比奈の手を握った高崎は、放す間際にくすぐるように朝比奈の手の平をなでた。
朝比奈は内心不愉快になりながら、この男をゲイだと断定する。
「どうも、お邪魔してすみませんでした。ご挨拶だけと思いまして。では」
ニヤリと笑みを浮かべて、高崎は席に戻っていった。
あまり仕事の話をしていては目立ってしまうから、今日のところはあっさり引き下がったという様子である。
カウンター席に戻ってからも、興味深そうにちらちらと桜庭達の方を見ているようだ。
「確かにあれはくせ者だ」
朝比奈が小声で桜庭に伝えると、桜庭もそうだろう、と目で返事をする。
あんな男は、桜庭が最も嫌うタイプだろう、と朝比奈は思う。
お洒落なカフェの絵を描く今回の仕事は楽しかったが、ああいう男を相手にしなければならない桜庭の愚痴を少しぐらいは聞いてやってもいいだろうと思えた。
高崎と連れの男は本当に偵察だったのか、カウンター席が気に入らなかったか、飲み物を一杯飲むと出ていった。
向こうが出ていってくれて、朝比奈は正直ほっとした。
自分達はワインのボトルを注文していたので、すぐには出ていけなかったからだ。
嫌な相手に出くわしたのを忘れるように、二人は早いピッチで飲んでいた。
体は朝比奈より大きい桜庭だが、酒は朝比奈のほうが強い。
近頃睡眠不足だったせいもあって、ワインが一本空く頃には酔いが回り、普段無口な桜庭も饒舌になってきた。
めずらしく酔って赤い顔をして愚痴をこぼしたりする桜庭を見ると、朝比奈は嬉しくなってくる。
「なあ、総一郎は仕事ばっかして煮詰まってるから、よくないんだよ。もう半年も立ったんだから次の女でも見つけたら」
「女? 女なんか構ってるヒマあるか。祥子ひとりで手一杯だ」
「祥子さんはお姉さんでしょ。そうじゃなくて、癒してくれる恋人のひとりぐらい作ればいいじゃない」
恋人、という言葉が出てくると桜庭は苦虫をかみつぶしたような顔になり、酒をぐい、と飲み干してしまう。
ワインはすでに空いていて、シングルモルトの水割りだ。
朝比奈は店員を呼んで水割りのお代わりをダブルで注文してやると、桜庭が帰ると言い出さないように話をつなぐ。
「俺は女は懲りた。他人のせいで人生を曲げるのは一度で十分だ」
「また始まった。それ、他人のせいにしないほうがいいぜ。そのお陰で独立できたんだからいいじゃん」
「俺に落ち度はなかったんだ。婚約不履行ってのは法律違反なんだから、悪いのは全面的に向こうだろう? なのになぜ俺が左遷されないといけないんだ」
この話が始まると桜庭は荒れる。
半年立っても、いまだに根に持っているらしい。
「本当に? 総一郎にはまったく落ち度なかった?」
「どういう意味だ」
「逃げた婚約者の言い分、言ってやろうか」
「なんだと。そんなものがあるなら聞いてやる」
「総一郎には、愛がなかった。他の男に走る原因なんてそれしかないだろ」
朝比奈がニヤリと意地悪な笑みをこぼすと、桜庭は一瞬固まり、それからますます不機嫌な顔をして黙り込んだ。
朝比奈の指摘が、見事に図星だったからだ。
最後に会った時に、その婚約者は『あなたには愛がない』と言い捨てて出ていった。
怒らせた原因が何だったかすら、桜庭は覚えていないのだけれど。
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