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第10話 嫌な男
特に予定もないので、画材店にでも寄って帰ろうかと駅方向に歩いていると、後ろから派手にクラクションを鳴らされた。
いかにも高級そうなイタリアのスポーツカーの窓が開く。
高崎だ。
「やあ、先日は」
車を路肩に止めると、わざわざ車から降りてきたので、朝比奈も仕方なく挨拶をする。
嫌なやつに出くわしてしまった。
「ちょうど桜庭さんの事務所に行こうと思っていたところでね。先日はゆっくり話もできなかったのでよかったらキミも一緒に」
高崎は助手席のドアを開けて、朝比奈に有無を言わせず乗れと言う。
仕方がない、少しは仕事に関わっているのだから、と朝比奈は助手席に乗り込んだ。
しかし相変わらず派手な男だ。
こんな車を商用で乗り回しているなど、自己顕示欲の固まりのロクデナシに違いない。
むせかえるようなコロンの香りに、気分が悪くなりそうだ。
高崎は朝比奈の機嫌など意にも介さず、自分の力を誇示するような話を始めた。
「今回の麻布の仕事の件は、僕が一任されているんだよ。デザイナーも建築士も好きな事務所を使うように、とね。桜庭さんのところが候補に挙がった理由をキミは聞いているかな?」
「いえ、俺は何も」
「ヨツバに奈良橋という男がいるのを知っているかな」
それは、桜庭の婚約を破綻させた、相手の男の名前だと思い当たり、朝比奈はうなずく。
「いい建築士らしいが、僕はその男とソリが合わなくてね。他に誰かいないかと言ったら、桜庭さんを紹介されたってわけだ」
「そういうことですか」
「なんでも、あの二人はライバルらしいじゃないか。嫌ってる相手に仕事を取られるのは、さぞかしあちらも不愉快だろうね」
高崎は面白そうに陰険な笑みを浮かべる。
やはり、この男は性格が悪そうだ。
「奈良橋はこの仕事を取り戻したいらしく、必死だよ。まあ、決めるのは僕の一存だけどねえ。桜庭さんも、あいつに仕事をさらわれるのだけは嫌だろうねえ」
桜庭がやりにくい相手だと言っていたのがよくわかる。
この男は自分の私情で仕事相手を振り回すタイプだ。
「まあ、桜庭さんはともかく、僕はキミを気に入ったからね。キミが協力してくれるなら、この仕事は桜庭さんのところに決まるだろう」
「協力と言いましても、俺はただ絵を描くだけの仕事ですから」
「あのカフェは、完成したら女性誌などでも派手に宣伝をうつんだ。デザイナーとしてのキミの腕の見せ所だろう」
「それは俺の仕事ではありません。俺は建築デザイナーですから」
「新しい仕事を開拓するのも悪くないだろう? 僕は他の業界にも顔が利くからね。キミにいろんな仕事を紹介してあげられると思うよ」
どうも高崎は、朝比奈の機嫌をとろうとしているようである。
しかし、下心なしで動くような男ではないはずだ。
朝比奈は警戒心を強める。
できることなら、こんな男とは関わりたくないのだけれど。
事務所につくと、桜庭は朝比奈が高崎と一緒に入ってきたので驚いた表情を見せた。
「お前、帰ったんじゃなかったのか」
「駅前で高崎さんとばったり会ったんだ」
「先日はゆっくり話もできなかったんで、よかったら一緒に、と僕が誘ったんですよ」
事務所の小部屋で三人が座ると、高崎は改めて朝比奈に名刺を差し出した。
コーディネイター・高崎真也と書かれている。
朝比奈も改めて自分の名刺を渡す。
もちろん桜庭建築事務所専属デザイナーと書かれた名刺だ。
ここを通さない仕事は受けない、という意志表示である。
「先日はライバル店の偵察に来られていたようですね。どうです、勝算はありそうですか」
「さあ、どうでしょうね。設計やデザインだけで勝てるものでもないですからね」
桜庭はけして安易に勝算など口にしない。
安請け合いすれば、後で責任がついてくる。
朝比奈は二人のやり取りを聞きながら、桜庭がこの仕事を本当に受けたいと思っているのかどうか観察していた。
「そういえば奈良橋さんは、桜庭さんとは全然反対のことを言ってましたねえ」
高崎は何かにつけ奈良橋を引き合いに出し、桜庭の競争心を煽ろうとしている。
そして奈良橋の名前が出るたびに、桜庭の表情がわずかにゆがむ。
黙って聞いている朝比奈の方が気分が悪くなってくる。
こんな仕事、受けなくていいならやめておけと言いたいぐらいだ。
話し合いは平行線のまま、一向に前に進まなかった。
というより、高崎には話を前に進める気持ちなどないように見える。
ただ単に、関わっている人をのらりくらりとからかって面白がっている様子だ。
不毛な会談が終わって、席を立つと高崎が桜庭に向かって言った。
「このあと少し朝比奈くんをお借りしたいんですがね」
「しかし、このあとちょっと朝比奈とは打ち合わせをしたいと思ったんですが……」
桜庭はとまどうように朝比奈の顔を見る。
心配している目だ。
「おや、さっき朝比奈くんはもう帰るところだと言っていたけどね」
「夜は別の用事があるんです。一時間ぐらいならお付き合いできますよ」
朝比奈は、大丈夫、という視線を桜庭に送る。
こんな男に付き合いたいはずもないが、機嫌は損ねない方がいいだろう。
それになぜ誘ってくるのか、はっきりさせておきたい気もある。
性的な意味での誘いなら、最初にきっぱり断っておかないとややこしい。
「じゃあ、僕は車を回してくるよ」
高崎が立ち去った隙に、桜庭は朝比奈に小声で忠告する。
「陸、気をつけろよ」
「大丈夫。ちょっと探り入れてみる」
「終わったら戻ってこい」
「わかった」
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