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第11話 忌まわしい過去

 一時間、と言ったのに、高崎はわざわざ高級なホテルのラウンジに朝比奈を連れていった。  まだ夕方だというのに、酒を頼んでいる。  朝比奈は一緒に飲む意志はない、というつもりでコーヒーを頼む。 「晩は、仕事の用事? それともプライベートかな」 「プライベートですよ」 「その用事は断れないのかい? このホテルは僕のお気に入りでね。本当ならここで食事をごちそうしたいんだけど」  わがままな男だ。  用事を断ってでも、自分に付き合えと言っている。 「残念ですが、断ることはできない用事です」 「そう。それなら仕方ない。いつなら誘ってもいいのかな?」 「アナタに食事をごちそうして頂く理由がありませんよ。俺は仕事関係の人とプライベートに付き合う気はありません」 「おやおや。警戒されたもんだね。しかし僕と桜庭さんは仕事の利害があるが、キミと僕はまだ仕事の関係じゃないだろう。プライベートで友人になっても問題ないんじゃないかな?」  冗談じゃない。  プライベートの友人は自分で選ぶ、と朝比奈は言いたい。  こういう輩は最初に毅然とした態度を取らないと、いつまでもつけ込んでくる。 「俺を誘っても、高崎さんには何のメリットもありませんよ。なぜ誘うんですか」 「なぜって、キミ、気付いてるんだろう?」  高崎は意味ありげな視線を送ってくる。 「気付いてるって何のことですか」 「僕はキミと同じ性的嗜好だってことさ」  やはりそうきたか、と朝比奈は顔をしかめる。まあでも、それは想定範囲内だ。 「そうでしたか。しかし、俺とアナタでは合わないと思いますよ」 「なぜだい?」 「アナタ、どう見てもタチでしょう。俺もそうですから」 「へえ、キミがねえ……僕はてっきり逆だと思ったけど。いや、両刀ってこともあるかな」  高崎はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。 「男に抱かれたことはありませんよ、俺は」 「おや、そうかな? あるはずだけどなあ」  朝比奈は怪訝な顔をして、高崎をじっと見る。  いやに自信のある言い方だ。 「僕はキミを見たことがあるよ。新宿のシルヴァというクラブで、かなり以前に」  勝ち誇ったような高崎の言い方に、朝比奈は青ざめる。  どこかで見たことがあると思っていたが、まさかあの店で会っていたとは……  その店は、朝比奈にとって忌まわしい汚点としかいいようのない事件のあった店だ。  それはもう十年近く前のことである。  当時まだ遊び方を知らなかった朝比奈は、ゲイの仲間に誘われてクラブのパーティーに参加した。  出会いのパーティーだと聞いていたが、実のところは乱交パーティーに近かった。  外見の美しい朝比奈は、その日の格好の獲物とされ、別室に連れ込まれた。  もう少しで輪姦されそうになっているところを、札束をはたいて朝比奈を買った男がいた。  そして、パーティーの参加者の前で、朝比奈はその男に犯されたのだ。  見せ物のように何度も何度も……  その事件がトラウマになり、朝比奈はそれ以来絶対に男には抱かれなかった。  抱かれた男はその時朝比奈を買った男と、桜庭のただ二人だ。  男の顔はよく覚えていない。  サングラスをかけていたし、朝比奈はクスリを使われて朦朧としていた。  ただ、古い記憶の中に甦る、吐き気のするようなムスクの強い匂い。  今目の前にいる高崎のつけているコロンが、同じもののように思える。  しかし高崎が朝比奈を買った男だという確証はない。  いずれにしても、あの時のパーティーに参加していたんだろう。  言葉を無くした朝比奈に、高崎は追い打ちをかける。 「いやあ、キミは変わってなかったから僕はすぐに思い出したよ。実は僕はあれから何度もあの店に行ったけど、キミには会えなかった。それがこんなところで再会できるなんて嬉しくて仕方ないよ」 「俺は嬉しくありませんよ。そんな話がしたいのでしたら、失礼します」  立ち上がりかけた朝比奈の腕を高崎がすばやくつかむ。 「まあ、待ちなよ。言ったよね、今の仕事は僕に一任されてるって。キミは桜庭くんの足を引っぱりたくはないだろう?」 「関係ありません。仕事がどうなろうと、それは桜庭が考えることです」 「あの男はキミの恋人かい?」 「違いますよ。桜庭はヘテロです」 「へえ……まあいい。じゃあ、そういうことにしておこう。だけどね、覚えておくといい。僕は欲しいものは絶対に手にいれる主義なんだ。たとえキミと恋人の仲を引き裂いてでもね。そんなことになるぐらいなら、一晩ぐらい僕と付き合っておいても損はないんじゃないかな? けして手荒なマネはしないよ」  これ以上この男に勝手なことを言われたくない。  弱みを握られるつもりはない、と朝比奈は高崎の手を振り払った。 「俺は仕事のために体を売るつもりもないし、引き裂かれて困る恋人もいません。二度とアナタの誘いには応じませんよ」 「まあ、そのうち応じたくなる時も来るんじゃないかな。僕はそう気が長くないからね。気が変わったらすぐに連絡してくるといい」  誰が連絡などするものか。  朝比奈は踵を返すと、高崎をその場に置いて立ち去った。

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