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第12話 誤解されたようだけど
戻ってこい、と桜庭に言われていたが、正直桜庭の顔を見たい気分ではなかった。
少し頭を冷やそう、と朝比奈は事務所の近くの喫茶店に入る。
とりあえず高崎の正体はわかった。
ロクでもないやつだということもわかった。
しかし、それは桜庭の仕事とは直接関係ないことだ。
もちろんああいう性格の悪いやつには仕事面でも関わらない方がいいとは思うが、それは桜庭が決めることだ。
特に今回の仕事に関しては、奈良橋という因縁の対抗馬がいる以上、桜庭は負けたくないだろう。
しかし、そのために朝比奈が高崎に体を売るようなことは、絶対に桜庭は許さないはずだ。
ここはやっぱり、極力高崎に関わらないようにするしかない。
それと、高崎は桜庭のことを恋人ではないかと勘ぐっている。
このままだと、桜庭に対しても危害が及ぶかもしれない。
それだけが心配なのだけど。
実際桜庭は恋人ではないので堂々としていればいいとはいうものの、微妙な関係なので変に誤解されないように気をつけないと、と思う。
できることなら桜庭には、過去の汚点は知られたくない。
高崎のことだから、桜庭を恋人だと思ったら、邪魔をするためにそれぐらいのことは平気でしゃべるだろう。
そんなことになれば、潔癖な桜庭に軽蔑されてしまうかもしれない。
嫌な過去を思い出しただけで、胃のあたりが吐きそうに重苦しくなってくる。
朝比奈が桜庭の待つ事務所に戻ったのは、高崎と一緒に事務所を出てから3時間以上立ってからだった。
いつもは朝比奈が来ても気にもしない桜庭が、顔を見るなり立ち上がった。
「遅かったな。今まで一緒だったのか」
「いや、1時間で別れた。ちょっと他の用事を先に済ませてきたから」
明らかに心配していたような桜庭の表情が、少し和らいだ。
「何の話だったんだ」
「まあ、ちょっと座らせてよ。疲れたんだ」
ドサっと応接ソファーに座り込んだ朝比奈の向かい側に、桜庭も座る。
「この間会った時に俺は気付いてたんだけどさ。あいつ、ゲイだよ」
その一言だけで、桜庭には状況がつかめたようだ。
そういう意味の誘いだったか、と不愉快そうな顔になる。
「お前、あいつと知り合いなのか」
「いや、俺は知らない。向こうは俺を知ってるみたいなこと言ってたけど」
桜庭は桜庭で、高崎が朝比奈に向ける意味ありげな視線に気付いていたようだ。
知り合いなのか、というのはそういう意味だろう。
「その、誘われたのか? あいつに」
「誘われた」
そこは隠しても仕方がない、と朝比奈は事実を告げる。
「誘いにのるなよ。こんな仕事、断ったっていいんだ」
「のらないよ。あいつが好みだっていうならまだしも、あんな最低な男に体を売る気はない」
「そうか。それでも気をつけろよ。ひとクセもふたクセもありそうなやつだからな。他に何か言われなかったのか」
「多少、脅された」
「なんだと?」
桜庭の顔がいっそう険悪にゆがむ。
「総一郎が恋人なら、引き裂いてやるとさ」
「くだらん。そんなもの脅しになってない」
「だよね。事実じゃないし」
事実じゃない、と言った時だけ、朝比奈は少し自嘲ぎみに口の端だけで笑った。
桜庭は額に手を当て、少し考えているような様子になる。
「陸、高崎とは直接連絡を取るな。全部俺を通せ」
「わかってるよ。連絡先も教えてない」
「連絡先などいくらでも調べられる。あいつはヨツバに出入りしてるんだからな。直接連絡があっても相手にするな」
「大丈夫、そこは心配しなくていい」
「それと、高崎に何を言われても、聞くな。俺に関する話もだ。俺も、高崎に何を聞かされても、お前の言うことを信じる。引っかき回されないように気をつけよう」
「そうだな……」
確かにそうだ。
あいつのことだから、両方に何を言うかわからない。
それに惑わされないように気をつけないと。
「それとだな……」
桜庭は、少し言いにくそうに、ゴホンと咳き込む。
「俺とお前が恋人だと誤解されているのなら、それはそれでいい。放っておけ」
「それはさすがにまずいだろう……」
朝比奈は驚いたように桜庭を見る。
そんなことが噂にでもなったら、桜庭はゲイだと周囲に誤解されてしまうではないか。
「お前、あいつに誘われたんだろう?」
「そうだけど、ちゃんと断ったし」
「あいつは執念深そうな男だ。またそういうことがあったら、俺が話をつけてやる。それで誤解するならあいつの勝手だ」
「わかったよ。とにかく、俺はもうあいつには関わりたくない。疲れたよ。総一郎が愚痴をこぼしてた気持ちがよくわかった」
「まあ、あまりあいつのせいで仕事に支障が出たら俺も考える。今は様子見だな。そっちに何かあったら必ず俺に言ってくれ」
あまり気持ちのいい話ではなかったけど、帰り道、朝比奈は少しだけ気持ちが軽くなっていた。
恋人だと誤解されているなら、それでいいと言ってくれた。
それに高崎に何を言われても、俺を信じると言ってくれた。
もう後は桜庭にまかせて、今日のことは忘れよう、と朝比奈は思っていた。
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