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第2話 送別会
木原の平穏な日々が崩れ始めたのは、開発部の部長が転勤する送別会の日のことである。
その日は居酒屋の座敷を借りきって送別会が行われ、開発部の社員はほぼ全員出席することとなった。
三十人ほどのメンバーが集まった飲み会は、時間が立つにつれて席も入れ替わり、滝沢の周りはたくさんの若手社員で賑わっていた。
有名なのに気取ったところのない滝沢はチームのメンバーから好かれていたし、木原のチームの人間も滝沢を慕っている者は多かった。
特に木原のチームのプログラマーでリーダー的な存在である石田は、滝沢のファンであることを普段から口に出していたし、いつの間にかちゃっかりと滝沢の隣の席を確保して熱心に話しかけていた。
「僕、次の企画では滝沢さんのチームでやりたいんですよね」
酔いにまかせて機嫌よく石田がそう言っているのは、席の離れている木原のところまで聞こえてきた。
石田は優秀で木原も信頼しているプログラマーなだけに、多少はショックな発言だが仕方がない。
滝沢に憧れる気持ちは木原もよくわかる。自分だってチーフという立場でなければ、一度は滝沢チームで働いてみたいぐらいだ。
「石田のやつ……木原さんに失礼ですよね。俺は木原さんのチームでやりがいがあると思っていますよ」
憤慨した木原のチームの若手社員が木原に味方するように酒をつぎにきたので、木原は苦笑した。
「いいんだ……確かに滝沢の下につけば勉強になることも多いだろう。やる気のある証拠じゃないか」
「何言ってるんですか。俺は木原さんの緻密な仕事ぶりほど勉強になることはないと思ってます。そりゃあ滝沢さんは有名なクリエイターかもしれないけど、木原さんはチーフとして別の実力がありますよ」
プログラマー上がりの木原は、プログラミングのメンバーには特に厳しかった。
そのため煙たがられていることも知っている。
それでもそうやって、丁寧にプログラマーを指導してきたことを認めてくれる若手がいるというのは嬉しいことだ。
木原は知らないことだが、開発部には木原のファンもかなりいる。
滝沢のように親しみやすい雰囲気ではないが、木原の容姿は目立った美貌で、高嶺の花とささやかれることも多かった。
厳しく妥協のない姿勢も、クールで責任感の強いところも周囲からは信頼されていた。
木原が滝沢だけが人気があると思い込んでいるのは、滝沢のことを好きで自分のことには関心がないせいだろう。
いつしか滝沢も木原もそれぞれの取り巻きに囲まれ、お互いに言葉を交わすこともなく宴会は終わりに近づいていた。
いつものことなので仕方がないが、一度ぐらいは飲み会の席で滝沢と話をしてみたいものだと、木原はぼんやりと滝沢を見ていた。
滝沢の隣には相変わらず石田がべったりと寄り添っていて、話の合間に滝沢の腕に触れたり、ふとももに手を置いたりしている。
あからさまに石田がべたべたしているのを見て、木原は思わず目を伏せた。
石田はおそらくゲイだ。
直接聞いたことはないが、同類はなんとなくわかる。
石田の滝沢に向ける視線は明らかに恋愛のそれだ。
木原は以前からそのことに気づいていて、石田には特に注意をしていた。
ヘタをすると自分がゲイであることが石田には悟られてしまいそうだからだ。
石田は熱心に滝沢を誘っているようだった。
宴会が終わればそれぞれ気の合う者同士二次会に向かうのが普通である。
チームの違う滝沢を誘える機会などめったにないので、石田はずい分積極的だ。
宴会が終わって滝沢が石田と二人で駅方向に向かうのを木原は目の端で見送っていた。
もし石田にせまられたら滝沢はどうするのだろう……
石田はかなり酔っているようで、滝沢の腕にすがるようにまとわりついていたが、滝沢は嫌な顔をするでもなく楽しげに二人で立ち去ったのである。
木原はその答えを翌朝知ることになった。
石田は翌朝だるそうに寝不足の赤い目をして出勤したのだが、明らかに借り物の大きなシャツ、前日と同じネクタイだった。
しかも、その大きなシャツの襟元にはくっきりとキスマークが見えていた。
あれから滝沢は石田を抱いたんだろうか……
石田は可愛い顔立ちをしているし、あれだけ積極的に誘われればゲイの男なら確実に落ちるだろう。
血の気が引く思いで呆然としている木原のそばを、やや遅れて出社してきた滝沢が通りすぎた。
いつもはまともに顔を見ないようにしている滝沢を思わず見つめてしまった。
滝沢と石田は一瞬視線を合わせて意味深な笑いを浮かべている。
二人の間に何かがあったのだ、というような親密さを木原は感じた。
滝沢はゲイだったのか、と今更気づいたところでもう手遅れだ。
見つめているだけでいいと思っている間に、石田にさらわれてしまったのだ。
鏡越しに滝沢の姿が見えるのが、今日はやけにいらいらする。
こんなことなら、もっと早くに滝沢と親しくなっておけばよかった。
チーフ同士会議などで顔を合わすことだってあったのに。
こんなことになるなら……
木原はため息をついたが、考えてみれば自分が石田のように滝沢にアプローチすることなど考えられなかった。
最初からあきらめていたのだ。積極的になれた石田の勝ちだ。
そもそも石田とは勝負すらしてない。
ゲイであることを知られたくないばかりに、片思いを決め込んでいたのは自分なのだ。
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