情けない思いで仕事も手につかずぼんやりしていた木原は、突然後ろからぽんと肩を叩かれて驚いた。 　振り向くとそこに滝沢が立っていたからだ。 　 「木原チーフ、二日酔い？　十時から会議。忘れてた？」 「あ、ああ……そうでした。すみません」 　 　滝沢は屈託の無い笑顔を木原に向けると、先に隣りの会議室に向かった。 　木原はすっかり忘れていたのだが、月に一度の定例ミーティングである。 　滝沢と木原と三好の三人で、チームの状況を報告し調整することになっている。 　別のチームといえども同じ開発部内では、他のチームのフォローをしたりすることもあるのだ。 　そのためのリーダー会議である。 　 　木原が遅れて会議室に入ると、滝沢は待っていたように話しかけてきた。 「なあ、石田を俺のところに貸してくんない？」 　 　いきなり石田を寄こせと言われて、木原は面食らった。 　石田が滝沢の下で働きたがっていることは知っていたが、公私混同は困る。 　 「無茶言わないで下さい。こちらも今石田に抜けられると困ります」 　 　別に意地悪で言っているのではない。 　木原のチームも今それなりに忙しいので、メインのプログラマーの石田に抜けられると困るのは事実だ。 　それなのになぜか木原は、自分がヤキモチを焼いているような気持ちになって、思わず視線をそらせた。 　 「ダメかあ……昨日石田に聞いてみたら、木原チーフが了承してくれたら、っていう話だったんだけどな」 「うちより今は三好チームの方が手が空いてるんじゃないですか？」 「いや、うちの主力メンバーはすでに滝沢チームに貸してるよ。これ以上は無理だ」 　 　三好のチームは今はそれほど忙しくないのだが、その分すでにかなりの人数を滝沢チームへ差し出しているようだ。 　 「いったいなんでそんなに困ってるんですか？」 「デバッグ」 　 　決定的な欠陥が見つかって、来週早々のプレゼンに間に合わないかもしれない、と滝沢は肩を落とした。 　どうりで滝沢チームは朝から全員バタバタしていた。 　 「デバッグなら石田でなくてもできるでしょう。だれかバイトならそっちに回せるかもしれません」 「そうか……頼むよ。この借りは絶対返すからさ」 　 　両手を合わせて懇願する滝沢に木原は強いことは言えなかった。 　こういうことはお互い様だし、助け合わないといけない。 　自分のチームもけして暇ではないのだが、誰か回せるようにする、と約束してしまった。 　 　会議室を出てからプログラム班の部屋を訪れ、誰か手が空いている者はいないか、と木原は声をかけてみたが誰も木原と目を合わせようとしない。 　誰か滝沢のチームのデバッグに行ってやってくれないか、と聞いてみても誰もいい顔はしなかった。 　プログラム班はいつもぎりぎりの人数で動いている。 　少しでも余計な仕事を引き受ければ、自分の首を締めるだけなのだ。 　 　誰も引き受けてくれないので、仕方なしに木原は石田を探した。 　石田が手が空いているのなら貸し出さないと仕方ないだろう。 　石田が本部長室から出てきたのを見つけて声をかけると、えらく急いでいる様子で、今から急に京都へ出張だと言う。 　 「滝沢さんに仕事手伝う約束してたんじゃないのか」 「仕方ないじゃないですかあ、さっき急に部長に呼び出されて明日の晩までお供なんですよ……俺だって好きで行くわけじゃありませんから」 　 　石田は滝沢の手伝いのほうがよっぽどマシだ、と嫌な顔をしていたが仕方がない。 　午後から木原は猛スピードで自分の仕事を片付けた。 　全員に当たって無理なら、自分がなんとかしようと思ったのだ。 　今までは立場上自分がよそのチームの手伝いをしたことなどなかった。 　急にそんな気持ちになったのは、積極的な石田の態度の影響かもしれない。 　何か少しでも滝沢の力になりたかった。 　定刻が過ぎて自分の仕事を片付けてから、木原は深呼吸をして滝沢に声をかけた。 「悪い、石田は急遽部長のお供で明日まで出張らしい。それとバイトの方も今手の空いてるやつがいなくて……」 「そうか、なら仕方ない。悪かったな」 　 　滝沢はあっさりと諦めて、またパソコンに向かった。 　木原の相手をしている時間などない、という態度である。 　木原はなんと言って声をかけようかとしばしぼんやりと滝沢の後ろに立っていた。 　 「なんだ、まだ何か用か」 「あ、いや……僕なら少しは手伝えるかと。デバッグぐらいなら」 　 　滝沢はぴたっと手を止めて、驚いたように木原の方を振り返った。 　思いがけない申し出だったらしい。 　 「お前が？」 「心配しなくても、僕はもともとプログラム班の出身ですよ」 「ああ……そういやそうだったな。わざわざ木原チーフの手をわずらわすような仕事じゃないんだが」 「気に入らなければ別にいいです。余計なお世話でしたね」 　 　滝沢が苦笑したので、木原は嘲笑されたように感じて踵を返した。 　情けを掛けようとした自分が間違っていた。 　 「あっおいっ……ちょっと待てよ」 　 　滝沢はあわてて立ち上がって、木原を引き止める。 　意外な申し出に驚いただけで、怒らせるつもりではなかった。 　 「悪い、力を貸してくれ。猫の手も借りたいぐらいなんだ」 「猫の手よりはマシだと思いますが」 　 　木原は悪態をつきながらも、空いている席に座った。 　二人のめずらしいやり取りに、周囲の社員はちらちらと注目している。