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第4話 食事に誘われた
「しかしどういう風の吹き回しだ、お前が自ら俺のチームに手を貸すなんて」
「他に誰もいなかったんだから仕方ないでしょう」
「ライバルじゃなかったのか」
木原の仕事の準備をしながらも、滝沢は挑発的なセリフを口にする。
「敵情視察もいいかと思いましてね」
「へえ……ご苦労なことで。ま、今回は借りにしとく」
滝沢はどさっと書類を木原の目の前に積み上げた。
自分のパソコンのモニターを木原の方に向けて説明を始める。
「ここでフリーズする。お前はここからここまでチェックしてくれないか。分からないことがあったらその辺のやつに聞いてくれ」
「了解」
詳しく説明されなくてもやらなければいけないことは木原には分かっている。
黙々とプログラムのチェックをしていくだけだ。
整理整頓の好きな木原は、このデバッグという作業が嫌いではない。
人の間違いを見つけ出すのは得意だった。
「しかし……えらく回りくどいプログラムだな、誰だこれを書いたの」
木原は小声で隣にいた社員に聞いてみた。
木原のチームにもいたことのある、気心の知れた社員だ。
「それが……最近入った社員だったんですけど、辞めちゃったんですよね」
「逃げたのか」
仕事がハードなので辞めていくプログラマーは多い。
入れ替わりが激しいのはこの業界の常だ。
余計なお世話だとは思ったが、プログラムの不安定な箇所を木原は書き換えていく。
かつてプログラム班にいた時、木原の書くプログラムは抜群に美しいと賞賛されていた。
数時間たって、ほとんど書き換えてしまったプログラムのチェックをしてみる。
問題のある箇所は木原にはすぐに見当がついていて、書き換えた方が早いと判断したのだ。
「どうだ?」
「すごいです! 木原チーフ」
周囲にいたプログラマーも一斉に集まってきて木原の書いた部分を覗き込んだ。
「すげえ……」
「チーフにしとくのはもったいない技ですね」
木原はめったに話すことのない第二チームの若手プログラマー達に、コツを丁寧に伝授してやった。
褒められて気恥ずかしかったので、照れ隠しのつもりだった。
「おい、解決したのか?」
席を外していた滝沢が戻ってきて、驚いたように駆け寄ってきた。
「はい! 木原チーフが全部書き換えてくれて、問題なく。ほらっ」
問題なく動いているデモ画面を見て、滝沢は感心したような顔になった。
「木原、助かった。ついでと言っちゃあなんだが……問題がもう一箇所あるんだ」
「ちょっと待って下さい。まだ仕事させるつもりですか?」
時計はすでに終電ぎりぎりの時刻を指している。
「明日でいい。頼む。時間がないんだ」
「仕方ないですね……今回だけですよ」
また両手を合わせて頼んでくる滝沢を見て、木原はため息をついた。
プログラム班のメンバーもすがるように木原を見ている。
滝沢のチームのプログラム班は人数は多いが石田のようにしっかりとしたプログラマーがいないのだと木原は気づいた。
それで石田を貸してくれと言ったのだろう。
しかし石田は明日まで出張に出てしまっている。
木原はもうひとつの問題の箇所のデータをコピーすると、終電に飛び乗ろうと会社をあとにした。
滝沢と他のメンバーは徹夜かもしれない。
関わってしまった以上仕方がないだろう。
久しぶりにプログラムの仕事も気晴らしになって悪くない。
結局木原は帰宅してから持ち帰ったデータの修正を始めてしまい、夜が明ける頃にはすっかり仕事を終えてしまった。
翌日、滝沢チームには再び歓声が上がった。
「木原チーフ、一晩でこれ書いたんですか?」
「僕も自分の仕事があるんでね。先にやっておいた」
プログラム班の若手は最近徹夜続きだったのか、今日は帰れると飛び上がらんばかりに喜んだ。
「まるで救世主だな」
気づくと滝沢がプログラム班のメンバーの後ろからモニターを覗き込んでいる。
まっすぐに木原に笑いかけてくる滝沢の視線に、木原は急に居心地の悪さを感じてしまった。
こんな風に笑って言葉を交わすのはほとんど始めてだ。
思えば会議以外でまともに顔を見たことすらなかった。
滝沢が近づいてくると、心臓が高鳴る。
「寝てないのか?」
「いや、三時間は寝ましたよ。そっちこそ徹夜明けじゃないんですか?」
「俺に出来ることは少ないからな。しっかり仮眠したさ」
会社にはシャワーも休憩室もあるので、滝沢は最近ほとんど会社に泊まりこみだったのを木原は知っている。
これで少しは滝沢を休ませてやれるのだろうか、とそんな思いだった。
「なあ、木原。今日は何時頃仕事終わるんだ?」
「さあ……八時ぐらいには終わるんじゃないかと思いますが」
「メシでもどうだ」
「メシって。誰と」
「誰とって失礼なやつだな。俺とお前に決まっているだろう」
「なんで僕と滝沢さんが?」
「お礼にメシでもおごるって言ってるんだよ。借りっぱなしは気持ち悪いからな」
「気持ち悪いとはなんですか。人の好意を」
突然食事に誘われた木原は、思わず肩に置かれた滝沢の手を振り払ってしまった。
そんな展開になるとは思ってもいなかった。
別に下心があって手伝ったわけではない。
「八時な。店、予約しとくから」
滝沢は木原の返事も聞かずに強引にそう言って、部屋を出ていった。
ホワイトボードには外出と書いてある。
やれやれ、妙なことになったものだ、とため息をつくものの、どこか浮かれてしまう気持ちを木原は抑えられなかった。
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