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第6話 カミングアウト
話がひとくぎりついて、木原がトイレに立とうと個室の障子を開けた時に、そこに見覚えのある青年が立っていた。
「和泉さん……」
「春人か……」
そこにいたのは成瀬春人 、木原が大学時代に失恋した親友の弟である。
当時失恋してボロボロになった木原を支えてくれたのは、同じ大学に通っていた気の優しい春人だった。
「お久しぶりです……」
春人は遠慮がちに、部屋の中にいた滝沢に目をやった。
久しぶりの偶然の再会だが、春人が遠慮がちにしか木原に声をかけられないのは理由があった。
春人は大学時代からずっとゲイバーで働いていて、木原はその店の客だった。
ゲイバーの店員が店の外で客に声をかけるのは厳禁である。
ゲイであることを社会的に隠している人は多いからだ。
しかし春人と木原の関係は店の客というよりも、大学時代の友人だ。
懐かしさに思わず声を掛けてしまったのだろう。
「元気でしたか」
「ああ、春人も相変わらずか?」
「最近お店、変わったんです。良かったらまた来て下さい。ここに携帯の番号が」
春人は名刺を木原に渡すと、滝沢にも一礼してすぐに立ち去った。
春人の方にも連れがいて、多分出勤するところなのだろう。
トイレに行きながら、木原は動揺を静めていた。
まさかとは思うが、滝沢はゲイである可能性がある。
春人は新宿あたりでは結構有名人で、前の店でもナンバーワンの人気だった。
滝沢がそういう店に出入りしているのなら、春人を見かけたことがあっても不思議ではない。
「さっきの、知り合い?」
「ああ、大学の時の親友の弟なんだ」
ドキドキしているのを悟られないように、木原は簡潔に説明した。
「俺、アイツ見たことあるような気がするんだけど、気のせいかな……」
思い出そうと考え込んでいる滝沢を前に、木原は冷や汗が流れそうになった。
滝沢が春人を見たことがある、と言えばそのテの店に決まっている。
「それより、そろそろ出ませんか? 滝沢さんも疲れてるでしょう。今日ぐらい早く帰って寝た方がいいんじゃあ」
「そうだな、そろそろ出るか」
食事もだいたい片付いていたので、滝沢はあっさり同意した。
約束どおり滝沢はさっと伝票を取ると、支払いをしに向かった。
店を出て駅の方向に歩こうとすると、ふいに滝沢が木原の肩に手をかけると、逆方向へ誘う。
「え、駅は向こうじゃ……」
「もう一杯だけ付き合えよ。この近所に知ってる店があるんだ。久しぶりに顔出そうかと思ってさ」
「でも、滝沢さん昨日徹夜じゃないですか」
「ちゃんと仮眠したって言ったろ。今日ぐらい飲みたい気分なんだよ」
強引な滝沢に木原は逆らうことが出来ない。
滝沢と飲むことなんてめったにあることではないし、と思い直し、滝沢と肩を並べて歩き始める。
滝沢の言う店は本当にすぐ近くで、歩いて五分ほどの場所だった。
お洒落なバーという風情の店である。
店内は広く、やや暗い照明で一瞬気づくのが遅れたが、木原はすぐにその店がどういう店なのか気づいてしまった。
明らかにゲイバーである。
壁にはゲイビデオを流している画面があり、店員も客も男ばかりだ。
そしてもっと驚いたのは、カウンターの中に春人が立っていたからだ。
「やっぱりな……」
滝沢がニヤリと木原に笑いかける。
「この店で見かけたような気がしたんだ」
木原は返す言葉がなかった。
さっき春人に名刺をもらった時に店の名前をしっかり確認していなかったのが失敗である。
春人も驚いたような顔になったが、二人にカウンター席をすすめた。
「マスター、久しぶり」
「本当に久しぶりねえ、滝沢さん」
どうやら滝沢はこの店の常連のようである。
最近店を移った春人は、滝沢の顔を覚えていなかったのだろう。
改めて滝沢に向かって名刺を出した。
「こいつがさ、そっちの春人くんと大学時代の知り合いだって言うから連れてきてやろうと思って」
「あら、滝沢さんの新しい彼氏?」
マスターの遠慮のない冗談に、滝沢が違う違うと笑いながら手を振る。
「会社の同僚。さっきそこの春人くんと偶然居酒屋で会ったんだ。それでひょっとしてこの店だったんじゃないかと思い出して連れてきてやっただけ。あ、木原何飲む? 俺、バーボンソーダ」
「じゃあ……僕も同じものを」
木原は動転して、何も考えられなくなっていた。
滝沢はいったいどういうつもりで自分をこの店に連れてきたのだろう。
ひた隠しにしてきた自分がゲイであるということが、こんな形でバレてしまうなんて夢にも思っていなかった。
「なあ、春人くんって本当は元カノ?」
滝沢が小声で聞いてくる。
「ち、違います。本当に親友の弟なんです」
「親友の弟にしちゃあ、久しぶりに会ったんじゃないの?」
「それは……大学を出てからだんだんと会わなくなってしまっていて」
元カノ、と聞かれたことで木原は滝沢の意図を悟った。
滝沢は木原がゲイなのか確かめたかったのだろう。
しかしカミングアウトしたのは、木原だけではなく滝沢も同じだ。
期せずして二人は秘密を共有する関係になってしまったが、それはむしろ木原にとって喜ばしいことだった。
こんなことでもなかったら、滝沢にカミングアウトする機会などなかっただろう。
片思いでいたことを思えば進展のチャンスがある。
思えば石田に先を越されたことが悔やまれるばかりだ。
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