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第7話 一晩だけ
「そう怯えるなよ。俺は誰にもしゃべったりしねえよ」
滝沢は笑いながら木原の肩をぽんぽんと叩いた。
カウンターに並んで座っているので、さっきよりはるかに滝沢の顔は近い。
店が暗くなければ、木原の顔が真っ赤に染まったのがバレてしまったことだろう。
「俺、木原にもうひとつ聞きたいことがあるんだけど」
滝沢の意味深な微笑みに、木原はますます固まってしまう。
いったい何を聞かれるのだろう。
こんな状況になることを予想していなかったので、構えてしまう。
「木原、石田に気があんの?」
「は?」
突拍子もない質問に木原は呆けたような表情になってしまった。
なぜ自分が石田に気があるなどと思うのだろう。
石田とうまくいってるのは滝沢の方ではなかったのか。
「なぜ僕が石田に……?」
「だって、お前いつも石田の方ばかり見てるだろう。仕事中」
石田の方ばかりと言われて、あ、と木原は思わず声をあげてしまった。
誤解だ。
石田の席の後ろには例の鏡が壁にある。
石田を見ているのではなく、鏡に映った滝沢を見ていたのだ、とは言えるはずもない。
誰にも気づかれていないと思っていたのに、いつも鏡の方を見ていたのを滝沢には気づかれていた。
これからは気をつけないと……
「僕は社内の人間に手を出したりしませんよ。滝沢さんこそ石田とデキてるんじゃないんですか」
「俺が? なんでそう思う」
滝沢はさぞ面白そうに理由を問いかけてくる。
この際だ。はっきり確かめてみてもいいかもしれない。
木原は酔いも手伝って、普段はとても聞けないようなことを思い切って聞いてみた。
「この間の送別会の帰り、石田と二人で消えたでしょう? 翌日、石田は同じネクタイで出勤していたし、首筋にはキスマークがべったり」
木原が顔をしかめてそう言うと、滝沢は声をあげて笑い出した。
「それで俺を疑ってたのか。案外お前、人のことに関心なさそうな顔して周り見てんだな」
「同類は分かりますよ。滝沢さんだってそうでしょ」
「なるほど、同類、ね」
滝沢が同類、という言葉で含み笑いをする。
「キスマークの犯人は俺じゃないぜ。石田がゲイだってのは知ってたけどな」
「違うんですか?」
「あの日は俺と飲んでた店に、石田の彼氏が迎えに来たからな。あせったぜ、マジで。いや、俺は石田に仕事のことを頼みたかっただけで、下心はなかったんだけどさ。すごい目で睨まれたよ」
「そうだったんですか……」
滝沢と石田がデキていると思ったのは、木原の勘違いだった。
そう知った途端、木原は今の状況に気づいて心臓が爆発しそうになった。
もし滝沢がフリーなら、これは絶好のチャンスではないか。
「木原さあ、ひょっとして石田を狙ってたんじゃなくて、石田と同類? 俺じゃなくて」
滝沢の質問の意味に気づいて、木原は顔が熱くなった。
つまり滝沢は木原が男を抱く側だと思っていたようである。
それで石田に気があると思ったのだ。
黙ったままグラスを握りしめている木原に滝沢は追い打ちをかける。
「お前さ、気が強くて凛々しいから、てっきり俺と同類だと思ってたんだけど俺の勘違いだったようだな……図星?」
滝沢は無遠慮に木原に顔を近づけて覗き込んでくる。
そうだ、と認めたらこの後の展開はどうなるのだろう……
ここまで知られてお前は俺の好みじゃない、と滝沢に言われたら立ち直れないような気がする。
片思いで失恋するのとは訳が違う。
本物の失恋確定だ。
返事をすることができずに、頭の中で堂々めぐりをしている木原の肩に滝沢が手を回した。
びくっと飛び上がりそうになった木原は、それでも滝沢の手を振り払うことが出来なかった。
滝沢の表情をうかがおうとちらっと横目で目をやると、滝沢の目には明らかにさっきまでとは違う欲望の炎が見えたような気がする。
「木原にこんな可愛いところがあるなんて、知らなかった」
滝沢は甘い声で木原の耳元に囁く。
それでも木原は返事を返すことが出来ない。
滝沢の本心が読めなかった。
木原は一気にグラスをあけると、マスターにお代わりを頼んだ。
これ以上は酔わないと、理性の強い木原は先へ進むことが出来ない。
酔ってやろう、と思った。
酔っていたから、という逃げ道が木原には必要だった。
滝沢は肩に回した手をいったん引っ込めると、自分もグラスをあけてお代わりを頼んだ。
「飲もうぜ。酔っ払ったら連れて帰ってやるよ」
「……誘ってるんですか」
小声で木原がつぶやいたのを滝沢は聞き逃さなかった。
「誘ってもいいのか」
木原は明らかに迷っている。
もうひと押しすれば落ちる、と滝沢は勝負に出た。
「今日一晩だけでいい。俺とどうだ」
「僕なんかに興味があるのなら……」
木原は滝沢に抱かれる覚悟を決めた。
こんなチャンスは二度とないかもしれない。
たとえ一晩だけでも構わないと思った。
同じ失恋するのでも、思い出があるのとないのとでは違う。
一度でいいから滝沢に抱かれてみたかった。
それだけでも木原にとっては夢のようなチャンスなのだ。
滝沢はグラスを傾けながら、カウンターの下で木原の手をそっと握った。
その手がかすかに震えているのを、可愛いと思っていた。
昨日まではライバルだと意識していた男が、自分の誘いに震えている。
それだけで滝沢の征服欲をかきたてるには十分だった。
間近で見たことはなかったが、こうして見ると木原は可愛いタイプではないが整った美しい顔立ちをしている。
今まで滝沢が付き合った中にはいないタイプだった。
少し酔い始めてきた木原は、時折ちらっと横目で滝沢の方を伺っているが、その潤んだ流し目はそこはかとない色気を放っていた。
こんな上質の男が社内のすぐ近くにいたとはな……
思いがけない展開に喜んだのは、滝沢の方も同じだったのである。
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