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第14話 疑惑
店に着いてカウンターに座ろうとすると、春人が奥から手招きをしている。
なんだろう、と近寄ると、春人はカウンターの中の厨房スペースに木原を引っ張り込んだ。
「実は滝沢さんが来てるんだけど……どうやら会社の人と一緒みたいなんだ。奥のボックス」
春人の指さした方をこっそり見ると、後ろ姿だがそれは石田だと分かった。
今日はプレゼンが成功したと聞いているし、自分が食事を断ったから滝沢は石田を連れて飲みに来たのだろう。
そのこと自体は気にすることではない。
だけど、薄暗い店の片隅で石田がべったりと滝沢に寄りかかっているのが気になった。
確か滝沢は石田には彼氏がいると言っていたはずだけど……
「ごめん……帰る」
蒼白な顔で帰ろうとした木原を春人が引き止めた。
木原が疲れ果てた顔をして店にたどり着いたのを春人は察していたのだ。
「多分滝沢さん、何か事情があるんだよ。困った顔してたから。僕にも声を掛けるなって合図してたし。やましかったらここへは来ないと思うから、きっと大丈夫だよ」
春人はそう木原に説明すると、カウンターの椅子をひとつ厨房の中に運んできた。
店はもう暇だし、ここで木原の相手をして飲ませてあげようと考えたのだ。
木原は疲れていたし、春人の気持ちを汲んで一杯だけそこで飲むことにした。
春人と話をしていると気持ちは落ち着いてくるものの、滝沢と石田のことは気になって仕方がない。
一杯だけ飲み干して、やっぱり帰ろうと思ったら春人が慌てて木原を厨房の奥へ押し戻した。
石田の酔っ払った声が聞こえてくる。
どうやら石田と滝沢が席を立ったようだ。
「本当に、木原チーフとは何の関係もないんですね!」
「しつこいな、お前も。俺が木原とつき合う訳がないだろう。考えすぎだ」
「それなら俺の言うこと聞いてくれますよね? 木原さんを助けて欲しいんでしょ?」
「その話はまた今度だ。酔っ払い相手に仕事の話ができるか」
「俺、滝沢さんを信じてますから。俺の気持ち、もてあそばないで下さいよ」
木原は厨房の奥で小さくなったまま、二人の後ろ姿を見ていた。
滝沢は酔っ払った石田をなだめるように肩を抱いて店を出ていった。
石田が酒グセがあまり良くない、というのは知っている。
この間の送別会の帰りに滝沢と石田が二人で飲みに行った時、石田が酔っ払って携帯に出たばっかりに彼氏が心配して迎えに来たのだと滝沢は言っていた。
滝沢を疑う訳ではない。
だけど、今見た光景はどう考えても痴話ゲンカだ。
木原との仲を疑った石田が、滝沢に絡んでいるようにしか見えなかった。
滝沢が石田とつき合っているのなら、それはそれで仕方がない。
木原は滝沢に食事に誘われはしたが、つき合っている訳ではないのだ。
しかも食事に誘われて断ったのは自分だから、石田と一緒にいたとしても文句など言えない。
だけど、最後に聞こえた二人の会話が気になった。
『俺の言うこと聞いてくれますよね? 木原さんを助けて欲しいんでしょ?』
確かに石田はそう言った。
聞きようによっては、石田が滝沢を何かを条件に脅しているようにも聞こえる。
そして、それは確実に自分に関係のあることなのだ。
滝沢は俺が木原とつき合う訳ないだろう、と言っていたから、石田は木原がゲイではないかと疑っているのだろう。
それをバラすとでも言って、滝沢を脅しているのだろうか。
しかし念願の滝沢チームで活躍し始めた石田が、なぜ滝沢を脅す必要があるのだ。
仕事はうまくいっているはずだ。仕事でないとしたら、答えはひとつだろう。
『俺の気持ちをもてあそばないで下さいよ』
石田は滝沢を好きなのだ。
彼氏がいようがいまいが、それは木原も石田を見ていて気づいていたことだった。
あれだけ強引に滝沢チームへ移りたがった石田のことだ。
滝沢を手に入れるためなら、何かの条件と引き換えにつき合ってくれと迫ることぐらいありそうだ。
滝沢は何と答えたのだろう……
しかし、それを木原の口から聞くことはとてもできない。
決めるのは滝沢だ。
理由は何であれ、木原が滝沢に石田とつき合わないでくれと言える権利などないのだ。
木原はがっくりと肩を落として、その場に座り込んでしまった。
なぜこんなことになったんだろう。
元はと言えば滝沢を助けたい一心だった。
石田を滝沢チームに移せば、滝沢は助かるだろうと思っただけなのだ。
そのために木原は徹夜続きの仕事も頑張ってきた。
滝沢とは一度寝ただけの関係だけれど、その後滝沢は明らかに自分に優しかった。
何度も食事に誘っていたのも滝沢の方だ。
木原は滝沢が少しは自分のことを好きでいてくれるのかと、段々と期待する気持ちが大きくなっていた。
今日だって、本当なら滝沢と二人でプレゼンの成功を祝い、この店のカウンターで一緒に飲んでいるはずだったのだ。
そして飲んでいるうちにまた、滝沢の家に誘われるのではないかと何度も木原は夢見ていた。
だけど、現実はどこでどう間違ったのだろう。
滝沢が肩を抱いてこの店から出ていった相手は、石田だったのだ。
すべては自分の空回りだったのか……
顔を覆った両手の隙間から、涙がこぼれ落ちた。
春人が心配して側にいるのが分かっているから、木原は顔を上げられない。
声も出せずに木原は涙を流した。
いつの間にこんなに滝沢を好きになっていたのだろう。
こんなことになるなら、片思いのままでいれば良かった。
それなら、せめて滝沢とは良い友人になれたかも知れないと思えた。
「和泉さん……滝沢さんのこと好きなんですね」
春人が静かに声をかけた。
木原は黙ってそれに頷く。
「今見たことは和泉さんにとってはショックなことかもしれないけど……でも僕は滝沢さんは和泉さんのことが好きだと思いますよ。少なくともあの酔っ払っていた人を好きだという顔はしていませんでした。ひどく困っている様子だったし。和泉さんは滝沢さんの顔を見ていなかったでしょう? 滝沢さんを信じてあげましょうよ。きっと何か事情があるんですよ」
木原は春人の声をどこか遠い声のようにぼんやりと聞いていた。
確かにさっきのやり取りだけで滝沢と石田がつき合っていると決めつけるのは早計には違いない。
だけど石田は捨て身で滝沢を手にいれる行動に出た。
石田は頭もルックスも良く、これから滝沢の片腕になっていく男だ。
その二人の間に、木原が割り込むようなことはとてもできないように思えた。
結局は石田の思い通りになるような気がする
石田が滝沢チームに移りたいと言い出した時に、自分に力がなくて引き止めることができなかった。
その時からこうなることは決まっていたのかもしれない、と木原は思った。
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