翌日出社して、木原はすぐにプログラム班の部屋にこもった。 　滝沢のことなんかで悩んでいる場合ではない。 　仕事は山積みだ。 　泊まりこみのメンバーの疲労もピークになり、皆がいらいらしているのが伝わってくる。 　 　木原はダメもとで第三チームの三好チーフに泣きついた。 　三好も木原チームのことは心配していたが、三好のチームの主要メンバーも滝沢チームのフォローで出払っている。 　発売が間近に迫っている滝沢チームの仕事が優先なのだ。 　 　木原が困り果てているのを察して、三好は自分が手伝おうか、と申し出た。 　しかし三好はプログラマーではない。 　アルバイトと同じ程度の仕事しか出来ないが、それでも良ければという三好の好意に木原は甘えることにした。 　どんなに微力でも、一人でも人間が増えれば空気が変わる。 　三好は年配で穏やかな人だから、うまく若手の気持ちを解してくれるだろう。 　木原は今自分の心に余裕がないので、三好が側にいてくれるだけでも心強かった。 　 　三好が木原チームのプログラム班にフォローに入ったと聞いて、驚いたのは滝沢だ。 　プログラマーでもない三好がフォローに入るほど追いつめられているのに、木原が自分を頼らずに三好に頼ったことが気に入らない。 　困った時は俺に言え、と木原には言ってあったはずなのに…… 　 　木原のチームをそこまで追いつめているのは、滝沢だ。 　石田も三好のチームの主要メンバーも滝沢チームに引っ張ってしまっている。 　 　やはり今、木原チームの即戦力になれる人材は石田しかいない。 　滝沢は石田を呼びつけて、すぐに木原チームのフォローに入るように命令した。 　 「条件の方は考えてくれましたか」 「今そんなことを言っている場合じゃないんだ、お前もいい加減公私混同するのは止めろ」 「僕はタダで木原チームに戻る気はありません。僕は出前じゃないんだから、あっちこっちにやられるのは不本意です」 　 　石田はあくまでも木原チームに戻る気はない、と言い張った。 　滝沢は、三日間だけ、という約束で渋る石田をなんとか木原チームに引きずって行った。 　 　石田が手伝いに来て、今度は木原が驚いた。 　あれだけ滝沢につきまとっている石田が、すんなり戻ってくるはずがない。 　滝沢の差し金だろうと、すぐに想像はついた。 　 　そう言えば昨晩石田は『木原さんを助けて欲しいのでしょう？』と帰り際に滝沢に言っていたが、このことだったか……と思い至る。 　つまり石田は木原チームに戻れと滝沢に言われて、代わりに条件を出したのだろう。 　その条件は恐らく、滝沢とつき合うとか寝るとかいうようなことに違いない。 　石田がここに顔を出したということは、滝沢はその条件を飲んだのだろう。 　いったい何のことで滝沢が脅されているのかと心配していたが、そんなことだったのか、と木原はため息をついた。 　それでも今のこの状況で石田は喉から手が出るほど欲しい即戦力だった。 　木原は私情はすべて頭から追い出し、石田に若手の面倒を見るように頼んだ。 　石田に後を任せた木原は自分のデスクに戻った。 　自分の仕事は山積みになっている。 　午後から取材が入っているので、原稿を大急ぎでまとめていると滝沢がやってきた。 　 「和泉、ちょっと話があるんだ。時間は取らせないから、会議室へ来てくれないか」 「滝沢さん、社内でその呼び方は止めて下さいと言ったでしょう。それに僕は今追われてるんです。午後から取材が入ってるんですよ」 「取材なら俺が引き受けると言っただろう！　協力し合うんじゃなかったのか。ちょっと来い！」 　 　木原の突き放すような言い方に滝沢は腹を立てて、木原の腕を無理やり引っぱって会議室へ連れていった。 　 「なあ、和泉。お前は俺を助けようとしてくれた。その時俺に出来ることは言え、と言っただろう？　なぜ俺を頼らずに三好チーフのところへ行ったんだ」 「プログラムのことで滝沢さんを頼っても仕方がないでしょう？」 「なら、午後からの取材は俺が代わる。お前は少し休め。様子が変だぞ？顔色も悪い」 「石田が戻ってくれたので、取材ぐらい自分で受けますよ。ありがとうございました。でも、もう僕のことは放っておいて下さい！」 「和泉、どうしたんだ。疲れているのは分かるが、変だぞ。なぜ、俺の目を見ない。俺が何かお前を傷つけるようなことをしたか？」 　 　滝沢は真剣な目で木原をまっすぐに見ている。 　その真剣さが、木原には辛かった。 　昨日の晩に春人の店で隠れて見ていたことも、言いたくなかった。 　 「滝沢さん。石田は僕のチームへ戻ることをすんなり了承しましたか？」 　 　はっと滝沢の表情が変わった。 　 「いや、それは説得して……」 「石田は何か条件を持ち出したんじゃないですか」 「石田が何か言っていたのか」 「つき合いが長いですからね。石田の考えることぐらい想像つきますよ」 「しかし、それはお前には関係ないことだ」 「そうでしょうね。だから、僕にももう関わらないで下さい！　石田を返してくれたことは感謝してます。チームは救われた。これで貸し借りはゼロです。だけど、僕はそんなことを望んでいた訳じゃない！」 　 　滝沢は木原が本気で怒っているのを初めて見て絶句した。 　だけど、なぜそこまで木原が怒っているのか想像がつかない。 　 「今の仕事が片付いたら、石田は滝沢チームに返します。もう僕が滝沢さんと助け合う理由はありません。失礼します」 　 　木原が立ち去って、滝沢は呆然としていた。 　本音を言えば、滝沢は仕事のことなどどうでも良かった。 　仕事上で助け合おうと提案したのは、木原のことが好きだったからだ。 　木原が自分を助けてくれたように、自分も木原の力になりたかった。 　それは木原の喜ぶ顔が見たかったからだ。 　なのに、木原は自分を頼らず三好のところへ行き、それどころか自分を避けている。 　 　一度きりの偶然の出来事だったが、滝沢は木原を抱いた晩のことが忘れられなかった。 　身体から始まった関係だったが、少なくとも最初木原は自分に好意を見せていたのではなかったか。 　その分これから、食事に誘って仲良くなって、木原の身体だけではなく心も自分のモノにしたかったのだ。 　 　それなのになぜこんなことになっているのだろう。 　木原はただ単に仕事で追いつめられているだけなのだろうか。 　それとも、気づかないうちに何か木原を傷つけるようなことを自分がしたのだろうか。