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第16話 春人の助言
それから二、三日の間、木原は明らかに滝沢を避けていた。
滝沢もまた、木原に近寄ることが出来なかった。
怒っていた理由も分からずに話しかければ、また木原の神経を逆撫でしてしまうような気がして近寄れなかったのだ。
仕事が早く終わった晩に、滝沢は一人で春人の店に向かった。
先日迷惑をかけたことをマスターと春人に謝りたかったし、会社以外で木原との接点はあの店だけだ。
春人ならもしかして、何か木原の悩みを知っているかもしれない、というかすかな希望があった。
カウンターに座るとマスターは誰か別の客の相手をしていて、春人が滝沢に挨拶をした。
「春人くん、先日はすまなかった。ちょっと立て込んだ事情があってね」
「いえ、僕は何も。事情がありそうなのは分かりましたし」
「いや、迷惑をかけたし春人くんも良かったら一杯飲んでくれ」
「ありがとうございます、おつき合いしますよ」
春人はにっこり微笑むと、バーボンソーダを二杯作って乾杯をした。
「なあ、春人くん。キミの知っている和泉はどんなやつか聞かせてくれないか」
「和泉さんは……そうですね、不器用で人一倍優しくて一途な人かな」
「そうだよな。俺もそうだと思う。あいつを本気で怒らせるなんて、俺がきっと何か悪いんだよな……」
「和泉さんが怒ったんですか」
「そうなんだ。だけど、俺にはさっぱり訳が分からない」
「事情は分かりませんけど……和泉さんはどうでもいい相手に怒りをぶつけたりする人じゃないですよ。本気で怒っていたのなら、それだけ滝沢さんは和泉さんにとって気持ちをさらけ出せる相手なんじゃないですか?」
「そうなんだろうか」
確かに木原は、不機嫌な顔をすることはあっても、感情をさらけ出すことはない。
本気で滝沢に怒っていた時の顔は、怒っているというよりも酷く傷ついて泣き出しそうな顔だったようにも思う。
「だけどなあ……理由が分からないんだ。なぜあんなに怒っていたのだろう。俺は何か傷つけるようなことをしたんだろうか」
頭を抱えている滝沢を見て春人は苦笑した。
この二人はいったい何を悩んでいるのだろう。完璧に両思いなのを知っているのは春人だけだ。
恋とは不思議なもので、ちょっとした歯車のズレから気持ちがすれ違ってしまい、取り返しのつかない結果になってしまうこともある。
こういう店で働いているだけに、春人は人の恋愛のいざこざに慣れていた。
「滝沢さん。僕は和泉さんが大好きだから、和泉さんの味方です。だけど、滝沢さんが本気で和泉さんのことを好きなら、相談に乗ってもいいですよ」
「好きだ。本気も本気。和泉以外は何も要らない」
食いつくように滝沢が答えたので、春人は思わず声を上げて笑ってしまった。
「じゃあ、それをなぜ和泉さんに言ってあげないのですか?」
「それは……これから時間をかけて、くどくつもりだったんだ」
「でも、滝沢さん、和泉さんと最初にここへ来た晩、和泉さんと寝たんでしょう?」
「まあ、あれははずみでな……」
はずみ、という言葉で春人がちょっと怒ったような顔をしたので、滝沢は慌ててごめん、と謝った。
「滝沢さん、和泉さんは間違ってもはずみで男と寝るような人じゃありませんよ。人一倍恋愛には奥手な人だから、決死の思いだったと僕は思いますけど」
確かにな……と滝沢はあの晩のことを思い出す。
涙を浮かべて滝沢の名前を呼びながらすがりついてきた木原の様子は演技だとは思えなかった。
そもそも演技や駆け引きの出来るような奴じゃないはずだ。
そんな木原だったから、滝沢も心を引き付けられた。
「だけど、あの日和泉とは初めてちゃんと話したようなもんなんだ。それまで同じ会社にいてもほとんど接点などなかったし」
「ねえ、滝沢さん。初めてここへ来た日に、和泉さんに石田に気があるのかって聞いてたでしょ。覚えてます?」
そう言えばそんな話をしていたな、と滝沢は春人の記憶力に驚いた。
バーの店員は客の話をよく聞いているもんだと感心する。
「確かに聞いたな。まあ、俺の勘違いだったんだが、和泉はいつも石田のことを見ているような気がしてたんだ」
「その石田さんという人の席の近くに、大きな鏡が飾ってあるのではありませんか?」
「ん? そう言えばあったかな……だけどそれが何?」
「これが、僕からの最終ヒントです。後は自分で考えて下さい」
「そんな謎みたいなこと言わないで教えてくれよ。気になるじゃないか」
「僕は和泉さんの味方ですから、教えられるのはここまでです」
春人は笑いながら話を切り上げた。
鏡越しに木原が滝沢のことを見つめ続けた二年間の話は、先日木原が春人に泣きながら語った片思いの思い出だ。
滝沢がもし本気で木原のことを思っていれば、きっと気づくだろう、と春人は考えていた。
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