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第17話 鏡の意味

「これだよなあ……」    翌日出社した滝沢はさっそく壁にかかっている鏡の前に立って眺めていた。  木原は何かこの鏡に特別の思い入れでもあるのだろうか。  『鏡の世界』というゲームは滝沢が入社した当時に制作していた作品で、滝沢も制作に関わってはいたが、滝沢の作品という訳ではない。  それに春人は鏡に意味があるような言い方をしていたから、作品自体は関係ないような気がする。    せっかく春人がくれたヒントだが何も思いつかず、いつまでも鏡の前に立っている訳にもいかないので滝沢は仕事を始めた。  木原は相変わらずプログラム班の部屋へ行ったきりで自分のデスクにはいない。  もう数日ほとんど口を聞いていなかった。  顔を見かけることぐらいはあったが、相変わらず疲れた表情をしているし、デスクに戻っても滝沢の方を見ることもない。  用事もないのに話し掛けられる雰囲気ではなかった。  それに木原が滝沢を避けている理由も、いまだにはっきりと分からない。    夕方定時近くになって木原はやっと一旦自分のデスクに戻ってきた。  恐らくこれから自分の仕事をするのだろう。  ここ数日滝沢が退社する時間に、木原はまだ黙々と仕事をしていた。  他の社員の噂では、ほとんど毎日終電ぎりぎりまで働いているようである。    毎日顔を見ているのであまり気づいていなかったが、木原はかなり痩せたような気がする。  体調を壊したりはしていないのだろうか。  華奢な身体つきをしているので、それが一番心配だ。  滝沢はパソコンの画面を見ているふりをしながら、やつれた木原の横顔を見ていた。    木原はけして滝沢の方を見ようとはしないが、時々仕事の手をとめてぼんやりと石田の席の方を見ている。  石田は滝沢チームに移った時に席を滝沢のシマに移動したので、木原チームにあった石田の席はすでに空席だ。  それなのになんとなくその方向をぼんやりと見ている。    そう言えば昨日春人は、石田の話をしていたっけ、と滝沢は思い出した。  木原が石田に気があるのではないか、と疑った話である。  あれはそもそも木原が石田の方をいつも見ていたから勘違いしたのだ。    木原はいったい何を見つめているのだろう……  そう思いながら滝沢は石田のいた空席に目をやり、それからふと鏡に目をやった。    えっ?  鏡を見た滝沢は、思わず声を上げてしまいそうになった。  昼間は木原が不在で気付かなかったが、滝沢の席から鏡を見るとそこに木原の姿が映っている。    なんでこんなことに今まで気付かなかったのだろう。  当然のことではあるが、滝沢から見て木原が映っているのなら、木原から見れば滝沢が見えているはずだ。  ひょっとして、木原はこの鏡をいつも見ていたのだろうか……    滝沢は急に胸が高鳴るのを感じていた。  確かにかなり以前から木原はいつもその方向をぼんやりと見ていた。  滝沢が気づいたぐらいだから、それはかなりの頻度だったのだ。    しばらく鏡に映った木原を見つめていると、木原が顔を上げ鏡越しに目が合った。  そして木原は驚いたようにあわてて目を伏せたのである。  間違いない。  春人がわざわざ滝沢に教えたかったのはそのことだったはずだ。    滝沢は鏡越しではなく、今度は本物の木原の横顔を見つめた。  すると木原はうろたえたように突然書類をまとめて席を立とうとした。  滝沢は思わず立ち上がり、木原の元へ駆け寄ってその腕をつかんだ。   「な、なんですか」 「和泉、ちょっと話がある」 「ちょ、ちょっと待って下さい。どこへ行くんですか」 「会議室」    滝沢は強引に腕を引っ張って歩き出し、木原はそれに逆らうことができなかった。  周囲の社員が何事かと注目していたからである。騒げば余計に注目されてしまう。  滝沢は無言で木原を人のいない会議室へ引っ張り込むと、鍵をかけた。   「なぜ鍵なんか……」 「俺は構わないが、お前は人に聞かれたくない話だろうからな」 「なんですか、話って」    木原は諦めたようにため息をついて、滝沢の手を払いのけた。   「俺はお前の本当の気持ちが知りたい。お前がなぜ俺を急に避けるようになったのか知りたいんだ」 「別に避けている訳では……」 「もう関わらないでくれ、と怒っていたじゃないか。何か理由があるんだろう?」 「それは滝沢さんがっ……」    何かを言いかけて、木原は口をつぐんでしまった。   「俺がどうしたんだ。教えてくれ。俺が悪かったのなら、きちんと謝りたいんだ」    滝沢は木原を追いつめないように、できるだけ穏やかな声で話し、木原の肩に手をかけた。  今度は木原は振り払わなかった。  何かを言い出そうか迷っている様子である。   「滝沢さんだって……石田が何か条件を持ち出したのではないかと聞いた時に、僕には関係のないことだと突き放したじゃないですか」 「それは、確かに俺が悪かった。きちんと説明する。だけどお前の思っているようなことじゃないんだ。怪しい条件なんかじゃない」    木原は床を見つめたまま顔を上げようとしない。  まだ疑いは晴れていないという表情だ。  滝沢は下手に今石田のことを言い訳するよりも先に、自分の気持ちを伝えようと決めた。  

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