今彼は、何と言った？ 　未練？ 　未練とは、諦めきれないという気持ちを表す言葉だ。 　諦めきれない？何を？『真冬』を？ 　それは…男だったなんて信じられないとか、認められないとか、そういうことだろうか。 「み、未練…とは？」 　思わず聞き返すと、御薙は眉を寄せてため息をつく。 「俺とのことはお前にとってはただの、しかもやりたくもない仕事だったってのに、いつまでもそんな目で見られたら気分は良くないかもしれないが…、だからって本気で惚れた奴のことを、そんなにすぐには吹っ切れねえんだよ」 　苦々しげに吐き出した後、いやまあそれも俺の気持ちの問題でお前には関係ないんだけどな……と口の中でぶつぶつ呟いた。 　冬耶は、混乱していた。 「私が、男じゃなかったらよかったのに、ってことですか…？」 「どういう意味だ？お前が男でも諦めきれてないのが、未練なんだろ」 「………………はい？」 「あー、もちろん、だからって無理矢理どうこうする気はないから安心しろよ」 「ま、待ってください！私、……俺が、気持ち悪くないんですか？」 　信じられなくて、性別を強調するように、敢えて「俺」と言った。 「本当は男だった、……なんて、騙された、って……思わないんですか」 　確認する声が、手が震える。 　だって、そんなに都合のいいことがあっていいわけがないのに。 　だが、御薙はためらいもせず答える。 「お前な。性別が入れ替わる体質だなんて、そう気軽に他人に話せないってことくらい、俺にもわかるぞ。接待することになったのだって、お前は真面目そうだし、国広に言われて断れなかったんだろ」 　そんなことを心配されていたなんて心外だと言わんばかりの口調で否定されて、緊張していた冬耶は、力が抜けてその場にへたり込んだ。 「……、」 「お、おい、どうした。どこか悪いのか？」 　心配をかけてしまっているのに、胸が詰まってすぐに大丈夫だという言葉が出てこない。 　この人はどこまでいい人なんだろう。 　こういう人だから、好きになってしまったのだ。 　言えない言葉を、殺した気持ちを、きちんと汲み取ってくれるこの人だから。 「……軽蔑、されたと思ってました」 「何でだよ。嫌な思いをしたのは、俺じゃなくてお前の方だ。店でのことだけじゃなくて、こんなことにまで巻き込んじまって……」 　御薙に、嫌われていなかった。 　その実感がじわじわとこみあげてくる。 　しかも、先程彼は何と言った？ 　「男でも諦めきれてない」？ 　まさか、それはいくらなんでも言葉の綾というやつだろう。 　けれど……、 　もしも、彼が『真冬』ではなく『冬耶』でもいいと言うのであれば、冬耶には御薙を遠ざける理由がなくなる。 　流石に、今直接それを聞く勇気はなかった。 　代わりに、これだけは言っておきたい。 「あの」 「……ん？」 「い、……嫌な思いは、してない、です」 「どういう意味だ？」 「御薙さんと……、その、嫌では、なかったです」 　御薙から嫌な思いをさせられたことはないのだと、それだけは言っておきたかった。 　この人に、そんな罪悪感を感じさせたくはない。 　その一心だった。 　御薙はぽかんとして、次いで怪訝そうに目を細める。 「お前、」 　御薙が何かを言いかけたその時。 　カチッとドアの鍵が開く音がして、はっとして二人でそちらを注視した。 　彼らが戻ってきたのだろうか。 　御薙から「真冬、近くに来い」と言われて、慌てて移動する。 　ぎい、と蝶番をきしませながらドアが開いて、冬耶は不安に飲み込まれないよう、ぐっと腹に力を入れた。