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第55話

 目を開けた。  ぼんやりと霞んだままの頭で、今まで見ていた夢のことを思う。  御薙とまだ出会ったばかりの、幼い頃の夢だった。  小さな冬耶は、まだ塾に一人で行けないため、同行してくれる親が出てくるのを玄関先で待っていた。  ちょうど向かいの家の門を開けて出てきた当時中学生の御薙が、一人佇む冬耶の様子を見て声をかけてくる。 「よう、また塾か?大変だな」 「大和…お兄ちゃんは、勉強しなくていいの?」  冬耶にとっては塾に通うことが日常だったため、そんなふうに言われることが不思議で聞き返すと、御薙はとても嫌そうな顔をした。 「俺は体動かしてる方が好きなんだよ」 「スポーツ選手になるの?」 「どうだろうな…、なりたいと思ってなれるほど楽な世界でもねえし」 「そうなんだ…。じゃあ、ザセツしたら、ぼくが勉強教えてあげるよ」  冬耶としては、軽口を叩いたわけではなく、百パーセント善意の申し出だった。  休日や帰宅後に一人でいる事の多い冬耶は、御薙に気軽に声をかけてもらえることが嬉しかったから、自分も彼にしてあげられることが何かあれば、もっと一緒にいられるようになるのではないかと思ったのだ。 「おー、そん時は頼むわ」  御薙は鷹揚に笑い、遅れて出てきた冬耶の母親に挨拶をすると、習っているという空手の道場に出かけて行った。  御薙と話をすると、胸の辺りがぽかぽかと温かくなる。  幼い冬耶は、御薙が自分の本当の兄で、一緒に住んでいたらよかったのにと残念に思った。  特筆することは何もない、ただの日常会話だ。  こんなことで喜んでしまうくらい孤独だった自分の子供時代を思うと、我がことながら可哀想になってしまう。  けれど、あの頃の純粋な好意を、とても眩しく、懐かしく感じる。  優しい思い出にもう少し浸っていたい。  ・・・・・・・・。  冬耶は、そうやってしばし現実逃避をしていた。  完全に目を覚ましてしまいたくない。  何故なら、全裸の冬耶の隣には、同じく全裸の御薙がいるから……。  現実は、意外と残酷ではなかったが、常に試練を与えてくるものだ。  ついに冬耶として…つまり男の体で最後までいたしてしまった。   途中から(ほぼ最初から)御薙がどう思っているかなど冷静に考える余裕もなかったが、大丈夫だったのだろうか?  気になり、御薙の様子を窺おうとしてこっそり隣を見ると、ばっちり目が合ってしまった。  ……起きていたなんて。  また目を閉じるわけにもいかず、冬耶は動揺を殺せぬまま挨拶をした。 「おっ…、おはようございます……」 「おー、…はよ。体調はどうだ?」 「よ、よいと、思います」 「……何で距離をとるんだよ」 「な、なんとなく……」  肌色が近すぎる。  心の安全のための車間距離だったのだが、落ちるだろと元の位置に引き戻されてしまった。 「なんだよ、まだ体が男だからとか気にしてるのか?」 「や、まあ、それもありますけど…」  己の痴態を思い出すといたたまれないとか、そういうのもある。  体が女の時に性行為をすると気持ちがいいというのは、そんなものだろうと思うのだが、体が男の時も同じように感じることは、一般的なのだろうか…。御薙が引いていないか心配だ。  しかし、どうやら杞憂だったらしい。  続いた御薙の言葉に、冬耶は目を剥くことになった。 「風呂場に運んで身体も洗ったけど、全く気にならなかったから安心しろ」  何をなさっているのー!?  意識のないうちにそんなことが行われていたなんて、面倒をかけて大変申し訳なく思うが知りたくなかった。 「おお起こして下されば自分で致しましたのに……」  嫌な汗が噴き出て、謎の丁寧口調になってしまう。 「敢えて起こそうとはしなかったが、洗ってる間も全然起きなかったから逆に心配したぞ」  わりと眠りは浅い方なのに、なんということだ。  自分は何をそんなに気持ちよく眠り込んでいたのだろうか。  慌てる冬耶をよそに、御薙は神妙な面持ちで話を続ける。 「『陽気』ってのが物理的なことなのかわからなかったから、掻き出した方がいいかと思って一応中も洗っといたが、何も出てこなかったな」 「なんっ…、ええ!?」 「見たところ女になったりもしてないし、体調も悪くなさそうだから、お前には不要ってことなんだろうな」  この話題にどう相槌を打てと言うのか。  冬耶は真っ赤になって上掛けの中に潜り込んだ。 「トウマ?」 「……す、少し心を鎮める時間をください……」  御薙が真面目に冬耶の体に起こる現象について検証してくれたのはわかる。  自分一人では出来ないことなので、有難いとは思う。  思うがしかし、現状では受け止めきれない。 「悪い、そんなにされたくないことだったんなら…」 「違うんです、夢との落差が…、あっ、いや、何でもないです、すぐに復活しますから…」  神様、どうか、子供の頃からの憧れの人とあけすけな話を冷静にできる胆力をください。  冬耶は頭を抱え、ひたすらに超常的な存在に祈ることしかできなかった。

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