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第2話
「今日は何やる? 数学からいくか」
「おれ、先生のことが好きなんだ」
一学期の期末テストを目前に控えていた。成績はすべて内申書に書かれるから、決して油断しちゃいけない。特に僕の場合、希望している高校は今の学力じゃぎりぎりもいいところなのだ。だから、こんなことで頭を悩ませてる場合じゃない。未来のない不毛な恋に翻弄されてちゃいけないのだ。そう思って僕は、部屋に入ってくるなりいつものように勉強机に向かう僕の隣のイスに腰を下ろした先生に、一世一代の決意で告白をした。
なのに。
「おお、そうか。そりゃよかったな」
そう言って先生は、まじめな顔でうなずきながら鞄から問題集やプリントを取り出し、机の上に広げ始める。どうやらまるで相手にされていない。もしかして、冗談だと思ってるんだろうか。
「あの、おれ、本気なんだけど」
「本気は困るんだけど。おまえ生徒だし」
「え、生徒じゃなかったらいいの?」
「なわけねえだろ。じゃ、この応用問題な。わかんなかったら例題から解くから」
軽く一蹴されてしまった。こんなことってあるだろうか。ものすごく思い悩んで、大まじめに告白したのに。本当のところ、はっきりと拒否されて、気持ち悪がられて、違う先生に変わることまで覚悟していたのに。
「ちょっと先生。おれ、本気なんだってば。本気で先生のことが好きなんだよ」
「本気、って、どういう意味だよ。女を好きになるみたいにってことか?」
先生は横目に僕を見た。先生の目は一重の切れ長で、目つきはけっしていいほうじゃないけれど、そういうところも僕は好きだ。ということに、今更ながら気づく。
「別に、先生を女だとは思ってないよ」
「当たり前だ、バカ。俺のどこが女に見えるってんだ」
「それはそうだけど」
「あのな、おまえ受験生だろ? そんなくだらないこと考えてないで勉強しろよ」
「だって、考えたくないけど考えちゃうんだよ、わかるだろ、そういうの」
「……まあ、わかんなくないけど。でもそんなこと言われたって俺困るんだけど。結局どうしたいのよ、おまえ」
「だから……」
問い返されて、参った。そんな反問は想像もしてなかった。僕はいったい、どうしたいのだろう。
「だから……、答えが欲しいんだよ。だめだったらだめって言ってくれたらいいから」
「だめ」
間髪入れずに、先生はあっさり言った。即答すぎて、唖然とする。そりゃそうだよな。それはそうだと思っていたけれど。
撃沈した僕は、がっくりとうなだれてイスの背もたれに体重を預ける。覚悟はしていたけれど、なんかもう力が入らない。
「よし。話が終わったとこで数学いくぞ」
「ちょっと待ってよ、そんなにすぐに立ち直れないよ、おれ」
「立ち直るって、落ちこんでんのか?」
「当たり前だろ。フラれたんだから」
「若いときはいろんな経験するもんだよ。それっくらいでつまづいてたら大変だぜ」
「せめて二、三日ほしい」
「なんだよ。それじゃ今日はナシか? こういう場合バイト料どうなるんだろ」
「バイト料よりおれの心配してよ」
「一回や二回フラれたくらいで死にゃしねえだろ。でも受験に一回失敗したらとんでもないことになるぞ」
先生は、僕が告白したことなんか冗談みたいに普段と変わらない。それがますます、僕を落ちこませる。
「先生って、モテんの?」
「まあ、そこそこ」
「もしかして、告白されるの慣れてる?」
「まあ、少しは」
「え、男から言われたこともある?」
「いや、それはおまえが初めて」
先生は、授業を続行するのをあきらめたのか持ってたシャーペンを置いて、イスの上に片膝を立てた。
「いっつも思うんだけどさ、俺なんかのどこがいいわけ?」
「いっつもって、告白されるたび?」
「まあね」
「ちぇ。知らないよ、そんなの」
「でも、好きなんだろ?」
「……そうだよ」
「すげえな、よくわかんねえけど。男なのに好きになるってどういう気持ちだよ」
先生は、人の気も知らないでずけずけと訊く。でも、嫌な気にならない。先生のこういうところが、たぶん僕は好きなんだ。
「すごく、変な感じだよ。おれ、別に前から男が好きってわけじゃないから。初めてなんだよ。だから、なんかすごく悪いことしてる気がする。自分がおかしいんじゃないかって思う」
「別に悪いことじゃねえだろ。今どき」
「気持ち悪くない?」
「俺は偏見ないほうだからな。別にいいんじゃねえの? よくわかんないけど」
「でも、だめなんだよな」
「まあ、俺の性的指向は一応ノーマルだから」
いつもと変わらない口調だった。実のところ、告白なんかしたらものすごく気まずくなってしまって、勉強どころじゃないと踏んでいたのに、先生は僕がやる気さえ出せば今から普通に授業を始められる勢いだ。何事もなかったかのように。
「先生がおれを好きになる可能性ってないのかな」
「さあなあ。おまえが成績上げてくれたら好きになっちゃうかもな」
「なんだよそれ」
「俺の評価も上がるから」
「そうなの? じゃ、勉強しようかな」
「……おまえ、いいやつだな」
「だって、一応好きだから」
先生は、間の抜けた顔でシャーペンを持ち上げた。
「なんか、自分が外道のように感じるな。でもまあ、おまえががんばれば、俺も嬉しく、そしておまえのためにもなる。一石二鳥ってことでいいか」
「じゃあさ」
突然、僕はいいことを思いついた。
「目標決めようよ。それ達成したらさ、何かご褒美くれるってことで。それならおれ、がんばれるから」
「褒美? どんな。物品はだめだぜ、なんのためにバイトしてんのかわかんなくなる」
「んー、じゃ、一緒にメシ食いに行く。自分で出すからさ」
「洒落 たとこじゃなきゃ、メシくらいおごってやるけどさ。じゃ、手身近なとこで、次のテストで百点」
「え、ムリだよ」
「ムリなことじゃなきゃ目標になんないじゃん。別に全科目なんて言わねえよ。一科目でいい。百点とってみな。そしたら俺がいつも行く定食屋へ連れてってやる」
「定食屋」
「医大の近くにあるんだよ。安くてうまい」
「わかった」
事態は、思っていたよりもずっといい方向に転がった。気まずくなってしまうよりずっとよかった。僕は問題集を凝視した。何が何でも百点とってやる。先生は片膝たてたまま、最初と同じ声で言った。
「じゃ、応用問題な。解けなかったら例題やるから」
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