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第5話
改札を抜けると、南口と表示された柱のところに先生が立っていた。
だぼっとしたチノパンに、Tシャツ。大きめの半そでシャツをはおっている。腰のあたりで何かが揺れてると思ったら、ウォレットチェーンだ。僕のうちに来るときはしていない。教材を入れた布鞄を提げているから、そのなかに入れてるのかもしれない。
「おう」
先生は僕を見つけて手を上げた。そんなことしなくても、僕はもうずっと手前から先生に気づいてる。
「腹減ってるか?」
「うん」
「じゃ、そのまま行くか」
「先生は、大学の帰り?」
「いや。今日は午後が休講だったから、一回家に戻った」
「家って、近くなの?」
「大学からは歩いて十分くらいかな」
先生と肩を並べて歩く。普段ならありえない状況だから、変な感じだ。僕の目線には、先生の耳がある。その下には小さなホクロがあった。
先生は僕の部屋でイスに座ると、手もとの問題集を覗きこむため少し前かがみになる。だから僕は、先生の柔らかな髪の生え方や、うなじを触る癖なんかはよく知ってる。こんなふうに、先生を違う角度から見るのは初めてだ。
いろんなことに気づく。ポケットに手を入れて、かったるそうに歩く。きょろきょろしない。会話の最中にあまりこっちを見ない。赤信号にイラだったりしない。でも、乱暴な運転の車には毒舌になる。
「あの角だ」
先生が指差した先に、ぼろい外装の小さな店があった。軒灯がぼんやり点 っている。辺りは大分薄暗くなって、そこだけがひっそりと明るい。くぐもったざわめきが漏れ聞こえている。
「混んでるかな」
つぶやきながら、先生はのれんをかきわけて引き戸を開けた。
「いらっしゃい」
「おう、三上」
「おばちゃん、ビール」
「あの教授がさー」
一斉に、雑音が意味を伴って押し寄せてきた。狭い店内に言葉が入り乱れて、誰に向かって発せられているのかよくわからない。そんな中を、先生は言葉を返しながら進んでいく。
「ナオ、こっちだ」
奥まった二人席が空いていた。向かい合わせて座って、ようやく一息つく。
「いっぱいなんだね」
「何しろ安いからな。何にする」
壁にはメニューを書いた紙がとりとめもなく貼られていた。どれを見ていいのか、四方八方を眺めていると、おばさんが水のグラスを持ってやってきた。
「タケちゃん、今日は若い子連れてるのね」
「家庭教師してるとこの生徒だよ」
「へえ。いつものでいい?」
「うん。おまえは? 決まった?」
問われて、僕ははっとした。先生がタケちゃんって呼ばれたことに気をとられてた。
「えっと、まだ」
「しょうが焼き定食にすれば。うまいぜ」
「じゃ、それ」
おばさんがカウンタの向こうへ戻ると、先生はズボンのポケットから煙草を出した。
「吸っていい?」
「うん」
一本咥えて、またポケットを探る。ライターがないみたいだ。面倒くさそうに眉をよせて、席を立つ。
「おばちゃん、ライターある? マッチでもいいけど」
先生、煙草吸うんだ。全然知らなかった。じゃ、うちに来るときは我慢してるのか。
火をつけながら戻ってくると、横を向いて煙をはいた。イスの上に片膝を立てている。
「それってさ、癖なの?」
「え、どれ」
「膝立てるの」
「ああ。そうだな。なんか立てちゃうんだよな。落ち着くんだよ」
「へえ」
膝を抱えるようにして背を丸める先生は、なんだか小さくて頼りない。六つも年上なのを忘れてしまいそうになる。数学の解説をしているときより、ずっと子どものように見えて、なんだかかわいい。
「ねえ、次は何にする?」
「へ?」
「だから、次だよ。次のテスト」
「ああ。また百点取る気か?」
「取るよ」
自信はあった。今回だって、やればできたのだ。
「ここでいいならまた連れてきてやるけど」
「次は、どっか行こうよ。休みの日とか」
「どっかって」
「だから、えっと、映画とか買い物とか」
「何、一日つきあえってこと」
「まあ、そういうこと」
「別にいいけど。じゃ、あれだ。休み明けに実力テストあるだろ。あれでクラス五番以内な」
「え」
「六番なら却下な」
「うそ。そんなのムリだよ」
「ムリじゃなきゃ意味ないじゃん」
「それって、おれとは出かけたくないってこと?」
「別にそういうわけじゃねえよ」
「じゃ、もっと軽くしてくれてもいいんじゃないの?」
「おまえ、成績上げたいんじゃないの? 単に俺と出かけたいだけなわけ?」
「う」
そこへ、おばさんがお盆を二つ持ってきた。二つとも同じしょうが焼き定食だ。
「ほら。食おうぜ」
皿の上では香ばしい匂いをさせて湯気を立ち上らせる豚肉が、つやつやと光っている。僕は割り箸を力強く割ると、白いごはんをかきこんだ。
絶対やってやる。そして先生とのデートを実現させるのだ。
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