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第16話
雨は、瞬く間にどしゃぶりになった。
駐車場につくころには二人ともびしょぬれで、車内を濡らさないよう上着を脱いだ。春先とはいえまだ気温は低い。全部脱ぐわけにいかないけど、シャツも濡れてしまっている。エアコンを温風にして、僕らは雨が小降りになるのを待った。
「参ったな。こんなに降るとはな」
「前が見えないね」
エンジンをかけてはいるものの、ワイパーもきかないくらいのすごい雨だ。見知らぬ土地を手さぐりで進むのは怖い。
「どっかで時間つぶすか。店なかったっけ、このへん」
「さっきのレストランにもう一回行く?」
「コーヒー飲みたいんだよな。そこのホテルに喫茶みたいなのあるんじゃねえかな。行ってみようぜ」
すぐそばに、さびれたホテルがあった。今は雨にかき消されて見えないけれど、来たときに古びた印象を受けたのは覚えてる。
先生はそろそろと車を動かして駐車場を出た。ホテルはすぐそこだ。
「先入ってろよ。車停めてくるから」
そう言って先生は、入り口の張り出し屋根の下に車を回した。僕が濡れないようにだ。ほら、やっぱり優しいんだ。口に出すとムッとされそうなので、素直に礼を言って降りる。
ロビーにかけこんできた先生は、よりいっそうずぶぬれになっていた。
「マジ、参る」
髪の毛がしっとりと濡れて、雫が頬を伝っている。薄手の長袖Tシャツは肌に張りつくほど湿って、先生は冗談ぽく肩を両手で抱えるようにした。
「さみー。凍えちまうな。あったかいもん飲もうぜ」
「うん」
一階にカフェレストがあった。窓側の席について、コーヒーを二つ頼む。窓の外ではうねりをあげる波と吹きすさぶ雨が、荒々しい景色を作りだしていた。朝からは考えられない天気だ。
そこへ、作業服を着た幾人かの男がどやどやと入ってきた。彼らも雨に濡れたのか、文句を言いながら席についている。その中で、気になる会話が漏れ聞こえてきた。
「え、マジっすか」
「おう。今日は帰れんな」
「ふさがってんすか」
「このへん多かったらしいよな。こないだの豪雨で地盤が緩んでて、いつ崩れてもおかしくなかったってさ」
「まあそんな大規模なもんでもないしな。明日晴れればすぐに撤去されるだろ。どうせ帰ってもとんぼ返りだ。また来なきゃならんしな。ちょうど良かったんじゃないか」
「勘弁してくださいよー、俺んち昨日赤んぼ生まれたんすよ、今日も見たかったのに」
「焦るな焦るな。一日や二日で変わりゃしねえよ」
「変わるんすよ、赤んぼは。毎日絶えず変化してるんすからー。もう、参っちゃうな、土砂崩れなんて」
僕と先生は顔を見合わせた。
どういうことだ。今、なんて言ってた?
「あの」
先生は、離れた席にいる彼らに話しかけた。
「土砂崩れって、この先の道ですか」
「え、ああそうだよ。何、兄ちゃんたちも市内から来たの? だめだよ、通れなくなってっから。今日はだめだね」
「だめって、道がふさがってんの?」
「そ。この雨じゃ今日中には撤去してくんないだろうなあ」
「じゃ、帰れないってことですか」
「参っちゃうよ、うち、子供生まれたの。昨日。毎日見にいくって奥さんに約束したのになあ」
「おまえそればっかりな。これから嫌でも毎日目にすんだぞ。そのうちうっとうしくなるから、覚悟しとけ」
「なんないっすよー、もうマジ可愛いんすから。女の子っす。あ、見ます? 待ち受け」
そのまま、彼らは自分たちの会話に戻ってしまった。
先生は呆然とした顔で僕の方へ向き直った。
「……え、マジ?」
「おれに訊かれても困るんだけど」
「じゃ、今日どうすんだよ」
「え、野宿?」
海は荒れ狂っている。帰り道は寸断されてしまった。いつのまにか、陸の孤島になってしまったみたいだった。
「どうしようね」
言いながら、僕はこのハプニングを楽しんでいた。帰れないってことは、もうしばらく先生と一緒にいられるってことだ。それは願ったりかなったり。雨よ、よくぞ道をふさいでくれた。
「げ。マジかよー」
先生は途方にくれた顔をしている。
「何、今晩用事でもあったの?」
「ま、ちょっとな。電話してくるわ。あ、おまえもしとけ。家に」
「え、なんて?」
「帰らなかったら心配するだろ。今日俺と出かけることは言ってあるんだよな?」
「うん」
「じゃ、事情説明して今日はこっちに泊まるって言っとけよ」
「え、泊まるの」
僕が弾んだ声を出すと、先生ははあ、とため息をもらした。
「しょうがねえだろ、帰れねえんだから。ちょうどここホテルだし、部屋空いてるか聞いてくるよ。待ってな」
「うん」
なんて幸運だろう。まさか、先生と一夜を過ごすことができるなんて。
僕はふってわいた幸運にめまいがしそうだった。まあ、部屋はもちろん別だろうけど、それでも寝る前までは話くらいしてくれるだろう。
あ、そういえばまだ、キスの褒美をもらってない。
部屋の中ならさせてくれるはず。一石二鳥だ。
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