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第18話

 ホテルの中は、わりにきれいだった。  外観が朽ちているのは潮風にあたるせいで、思っていたよりも新しい。僕らの借りたダブルは七階の角部屋で、海に面した二面の壁は全部ガラスばりだ。晴れていたら素晴らしい景色だったに違いない。その角に、大きなベッドがある。枕はもちろん二つ。 「いい部屋だね」 「まあな。悪いと思ったのか、どうせ泊まる客もいないし、一番安い料金でいい部屋貸してくれたらしい」 「やった、ラッキーじゃん」 「まったくだ」  そう言って、先生は大きく一つクシャミをした。 「やべ。風邪ひいちまう。ちょっとシャワー浴びるわ。おまえも後で入っとけ」 「うん」  先生がユニットバスに入ると、僕も濡れたシャツを脱ぎ、備え付けのハンガーにかけた。エアコンを入れ、部屋をあたためる。  そういえば、シャワーを浴びても着替えはあるんだろうか。クローゼットを開けてみる。バスローブがあった。でも、これじゃ部屋から出られない。まだ夕方で、晩飯だって食べなきゃいけないのに。しかたなく、もう一度シャツをはおる。 「先生」 「……あ……?」  ドア越しに声をかけると、くぐもった声が返ってきた。 「服、買ってくるよ。下に売店あったから。シャツとか」 「……おう、……たのむ」  僕は廊下へ出ると、エレベータに乗って一階へ降りた。売店の場所は、あらかじめ確認しておいた。小さいけれど、品揃えはいい。  シャツを二枚と、パンツを二枚買う。念のため、母親が余分におこづかいをくれていたので助かった。普段の僕の財布の中身じゃ、こんなものとても買えない。 「大変ねえ。雨のせいでしょ」  売店のおばさんは、僕の様子を見て憐れんでくれた。ええ、まあ。と愛想笑いを返したが、憐れむ必要はないんですよと心の中で付け加えておく。僕は今、このうえなく幸せなのだから。  七階に戻ってドアの前に立ったとき、僕は間抜けな声を出した。 「あ」  ルームキーを持って出るのを忘れていた。オートロックだ。これじゃ部屋に入れない。  しかたない。先生に聞こえるよう、強くノックする。もう風呂から出ていることを祈る。 「……ナオか」 「あ、先生。おれ、キー忘れちゃった。開けてよ」 「ちょっと待て」  しばらくして、ドアが開いた。先生は腰にバスタオルを巻いただけの格好で出てきた。 「ここ、浴衣とかないのな。シャツ買ってきてくれたのか。悪いな」 「先生」 「ん?」  中に入ってドアを閉めると、僕は仰々しくため息をついた。  初めて見た先生の裸の上半身は、華奢なようで意外と引き締まっていて、腰が細くて、白い肌がシャワーを浴びたばかりのせいか上気してほんのり赤みを帯びて、呆れるほど目のやり場に困った。 「ちょっと無防備だよ。そんなカッコで」 「え? だってしょうがないじゃん。着るものないしさ」 「あのさ。すっげ落ち着かないんだけど」 「なんで」 「おれ、あんたのこと好きなんだよ」 「え、おまえ、マジ俺になんかしたいわけ?」  先生は、おどけたように自分で自分の肩を抱く。僕は力が抜けた。 「当たり前じゃん。好きなんだから」 「……素朴な疑問なんだけど、それってさ。抱くほう、抱かれるほう」 「もち、抱くほう」 「ふうん」  それでも先生は飄々としている。僕は持っていたビニール袋を放って渡した。 「あと、パンツ」 「……気がきくじゃねえか」 「じゃ、おれ入るね」  シャツをまたハンガーにかけて、風呂場へ入った。まったく、先生は悪気がないぶんたちが悪い。わざとじゃないんだろうけど、僕の身にもなってほしい。  これってもしかして、生殺しなんじゃないだろうか。  喜んでる場合じゃなかった。理性との戦いだ。  僕は雑念を取り払おうと、思いっきりシャワーをかぶった。熱いお湯がじわりとしみて、心地いい。沸騰している内部に反して、体はずっと凍えていたことにようやく気づいた。

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