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第4話 張り込み
「そういや、さっきのアレ……」
「ん? ああ……すまなかったな、驚かせて」
車の中で思い出したように岬はキスをされたことを持ち出して織田を睨んだ。
思い出したら恨み言のひとつぐらい言ってやりたくなる。
「あそこまでやるかよ、普通」
「悪い、お前があんな店に連れて行くから、つい悪戯心が芽生えたんだ」
「悪戯で男にキスするのか。お前、ストレートだろう?」
「刑事の先輩にな、同じことをやられたのを思い出したんだ」
「人にやられて嫌だったことは、人にはやらない、と学校で習わなかったか」
岬の嫌味は正しく伝わったようで、今度は織田は神妙な顔をしてごめん、と謝った。
ふい、と顔をそむけた岬の機嫌を取るように織田はその時の話を始めた。
「俺が刑事になったばかりの頃で、新宿でその先輩刑事と張り込みをしていた時だったんだ。当時はゲイなんて映画や小説の中の話ぐらいにしか思えなかったんだが、刑事には案外多いと最近は知った。男同士で一緒にいる時間が長いからな」
だからゲイという人種にそれ程抵抗はないんだ、と織田は言った。
そんなことに目くじらを立てていたら、新宿署の刑事は勤まらないらしい。
だからと言って岬にキスをしていい理由にはならないと思うが、岬は織田もずい分変わったものだと驚いていた。
高校時代の織田は品行方正で、とても男同士の恋愛を理解するようなタイプではなかった。
刑事という職業意識がこうも人を変えるものかとある意味感心する。
悪ふざけは過ぎたものの、岬にとっては以前の織田よりは親近感が持てた。
まあ、ファンの女の子に無理やりキスを迫られたことぐらいはある。
男から迫られたことはさすがにないが、騒ぐほどのことでもないか、と岬は織田の気まぐれを許してやることにした。
考え方を変えれば織田は岬の好みなのだし、岬にとってはちょっとオイシイ悪ふざけだっただけのことなのだ。
「ところで、お前、本当にストーカーとかに合ったことはないのか? 熱烈なファンとか」
「なくはないが……まあ実害のない程度」
「男のファンもいるだろう?」
「少ないぜ。圧倒的にファンは女が多い」
「尾けてたヤツが単なるファンなら事件とは関係ないんだろうが、男だったからな」
岬のマンションに着くと、玄関から少し離れたところに織田は車を停めた。
「今から聞き込みに戻るのか?」
「いや、俺はしばらくここで張り込む」
「ここで?」
「さすがにもう尾けられてはいないと思うが、念のためしばらく見張ってるよ」
自分のマンションの前で刑事が張り込んでいる、というのもなんだか妙な気分だ。
そこまでする必要があるんだろうか、と岬は思ったが、捜査に口を出すこともできない。
「じゃあ、悪いけど俺は帰るぜ」
「ああ、きちんと鍵かけて寝ろよ」
子供に言うような口調でそう言って織田は笑った。
高校時代に織田のこんな笑顔を見たことがあったかな、と思いながら岬は車を後にした。
翌朝、岬はいつもより早く目覚めてしまった。
事件のことが気になっていたせいか、眠りが浅かったようだ。
織田は何時頃まで張り込んでいたのだろう、と何気なく窓から外を見下ろすと、織田の車はまだそこにあった。
車の中で動いている気配があるから、寝てないのだろう。
驚いた岬は織田の携帯に電話をかけた。
「お前、まだ張ってたのか?」
「ああ、眠れたか?」
思ったよりものん気な織田の声が返ってくる。
「いつまでそこにいるつもりなんだ」
「いや、もう帰ろうとは思ってたんだ。日中はこのあたりは人通りもありそうだし、心配ないだろう」
「俺のストーカーの心配をしていたのか?」
「ああ、考えたら俺は軽率なことをしてしまったからな。お前のファンなら逆上することもあるかと思って」
軽率なこと、というのは昨晩のキスのことだろう。
しかし仮に岬のキスシーンを目撃したファンが嫉妬にかられたとしても、織田や事件には関係ないのではないか。
「コーヒーぐらい飲んで行くか?」
何となく申し訳ないような気持ちになり、岬は朝食ぐらい用意しようと思い立った。
昨日のライブから何も食べていないはずだから、腹も減っているだろう。
「いいのか?なんだか悪いな」
「俺もちょうど腹が減ったなと思っていたんだ。トーストとサラダぐらいならあるぞ」
「有難いな。それならご馳走になろうか」
「臨時の駐車場があるから、そこへ停めるといい。管理人には声をかけておくから」
織田が車を停めて上がってくる間に、岬は新しいコーヒー豆を開けて、コーヒーメイカーにセットした。
せっかくだから美味しいコーヒーをいれてやろう、と少しウキウキした気分になっていたかもしれない。
帰ったと思った織田がまだ自分のそばにいて守ってくれていたのだ、と思うと気恥ずかしいような気持ちだ。
向かい合って朝食をとりながら、織田は興味深そうに岬の部屋を見回している。
「案外きれいにしてるんだな。男の部屋とは思えないほどだが、お前の場合女がいるわけではないだろう」
「ここへ人を入れることは滅多にないんだ。興味本位のヤツが多いから」
「悪い、観察するのはクセみたいなもんなんだ」
織田はきょろきょろと部屋を見回していたことを詫びた。
外でタレントの顔をしている岬は、一人暮らしの私生活を人に見られるのが好きではなかった。
織田を部屋に入れることに抵抗がなかったのは、同級生で素の状態の岬をすでに知っていたせいだろう。
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