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第7話 ラブホ
店を出た途端に、岬は顔色を変えた。
数十メートル先のビルの陰に、見覚えのある男の姿を見つけたからだ。
山根に似ているその男は背を向けていたが、岬は山根の服装の好みをよく知っている。
近眼の岬には断定は出来ないが、後をついてくるようなら間違いないだろう。
歩き出しながら小声で織田に話しかける。
「織田、後ろの方に……」
「わかってる。山根か?」
「恐らくそうだ。服装に見覚えがある」
「先日もあの辺に立っていたな」
「俺は今日ここでお前に会うことを誰にも話してないぞ」
「ストーカーなんてのはそんなものさ。お前は目立つから誰かが店に入るのを見ていたのかもしれないしな」
「捕まえるのか?」
「山根はまだ容疑者じゃない。お前がストーカーで訴えない限り、俺に捕まえる権限などない。しかも俺は今勤務時間外で酒まで飲んでる。一般市民に手は出せないな」
「なら撒くしかないか……」
岬はため息をついた。
せっかく織田と楽しい時間を過ごしていたのが台無しだ。
それにしてもなんで今頃になって、山根は再び俺の後を尾けたりするんだろう。
これではまるで挙動不審ですと織田にアピールしているようなものだ。
またしてもビルの間を通り抜けたりしながら、裏通りをつたい歩くハメになってしまった。
うまく撒けているのかよく分からないが、最終的にはタクシーを拾うつもりだった。
「山根は岬の家を知っているのか?」
「さあ、どうだろうな。家に入れたことはないが、ストーカーってのはそんなことぐらい調べてるんじゃないのか」
自宅の付近で山根に待ち伏せされたことはなかったが、岬が気づいていなかっただけかもしれない。
現に誰も知らないはずの店に現われたのだから、どこに現われても不思議ではないだろう。
「岬、こっちだ」
ふいに織田が腕を引っぱり、裏通りの角を曲がった。
ラブホテルの看板が目につく、いかがわしい雰囲気の通りだ。
岬はなんとなく織田とそんなところを歩くのが気恥ずかしいような気がしたが、織田はまったく気にする様子もなく歩いていく。
ホテルの前に差しかかろうとした時、織田が肩に手をかけてきただけで岬の心臓はドキンと鳴った。
「今日は、お前は帰さないことにする」
織田は平然と岬の肩を強引に抱くと、ホテルに入ろうとする。
岬は仰天した。
まったく、この男はその気もないのになんで俺をこんなに振り回すんだ……
事件に巻き込まれているというだけで岬にとっては一大事なのに、その上織田にまで翻弄されている。
「安心しろ、無理やり襲ったりしないから」
織田は無邪気な笑顔を向けてくる。
何が安心しろだ。
織田が襲ったりしない、というのが岬にとっては問題なのだ。
好きな男とラブホのベッドで一緒に寝て、襲われる心配がないという程悲しいことはない。
好きな男?
いつの間に織田は岬にとってそういうポジションになってしまったのだ。
岬は自分の心の葛藤に舌打ちした。
それでも逆らえずにホテルの門をくぐってしまうのは、織田に気があるという動かし難い証拠なのだ。
織田はさっさと部屋を選ぶと有無を言わさず岬をエレベーターに押し込む。
強引な男。それもまた岬のツボだった。
「山根はどうせ俺のことを岬の新しい恋人だとでも思っているんだろう。それなら一緒にいたほうがかえって安全だ」
織田の言うことはいちいち正論で、岬をイライラさせる。
確かにこのまま家に帰るよりは、織田と一緒にいたほうが安全だろう。
腹が立つのは岬の気持ちの問題だけだ。
岬は諦めておとなしく織田と一晩一緒に過ごそう、と受け入れた。
寝るだけだ。問題などないだろう、と無理に自分に言い訳をする。
部屋に入ると織田は物怖じすることもなく、機嫌良さそうに服を脱ぎ始めた。
「まとまった時間、ベッドで寝れるだけでも有難い」
そう言って、さっさとシャワーを浴びに行ってしまった。
仕方がないので岬は冷蔵庫からビールを取り出して一人で飲んでいた。
「飲んでるのか? お前も浴びてこいよ」
シャワーから出てきた織田がのん気な調子で岬に声をかける。
上半身裸の織田の姿を見てどぎまぎしている岬の様子などまったく意に介していないようだ。
岬がシャワーから出てくると、織田はベッドの上で缶ビールを飲みながらテレビを見ている。
すでにベッドの上にいる織田の隣に寝にいくのに、岬はありったけの勇気を振り絞らなければならなかった。
「どうした、遠慮せずこっちにこいよ」
織田は自分の隣をぽんぽんと手で叩いて、岬を呼ぶ。
「なんか着て寝ろよ」
岬は上半身裸のままの織田のそばへ行くのをためらった。
「ああ、気になるのか」
織田は笑いながら部屋に置いてあったパジャマのようなものを羽織った。
「俺は男の雑魚寝には慣れてるんだ。剣道部の合宿とかな」
岬は体育会系のクラブ活動の経験などないし、織田のように男の裸や雑魚寝に慣れている訳ではない。
しかもゲイなのだ。
織田は肝心なことを忘れているのではないかと思う。
ベッドはなんとかくっつかずに男2人が寝られるだけの広さはあった。
それでも寝返りでもうてば、身体が触れ合う距離には違いない。
それでなくても寝つきの悪い岬は、織田の隣で眠れる気がしなかった。
織田は多分大丈夫だろう。
十五分であれだけ爆睡できる男だ。
早く寝てくれ、と思いながら岬は黙ってテレビを眺めていた。
缶ビールを飲み干してゴミ箱に投げ入れると、織田はテレビと明かりを消して横になった。
岬も織田に背を向けて寝ようとしてみた。
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