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第9話 ライブの日

 携帯のアラームの音で目覚めると、まだ朝の七時だった。  寝ぼけている岬は起き上がった織田にうっかり自分から声をかけてしまった。   「お前、今日仕事なのか?」 「ああ、悪いな、早くに起こして」    寝起きの悪い岬は一瞬自分がどこにいるのかもよく理解できていなかったのだが、周囲を見回してそこがホテルで、昨晩は織田にケンカを売ったのを徐々に思い出した。    岬は気の短いところはあるが、根に持つほうではない。  腹を立てても一晩寝ると怒り自体が消えていることはしょっちゅうあった。   「昨日はすまなかった」    織田はバツの悪そうな顔をしている。  よく眠れなかったのだろうか、いつもの精悍さに欠けるような顔だ。    岬の気持ちはすっきりしていた。  織田とはこれからも今までどおり接していればいい。  それもそう長いことではないだろう。  事件解決には引き続き協力するつもりだった。   「このまま仕事に行くのか?」 「ああ、送っていけなくて悪いが」    岬が普段の調子に戻っているので安心したのか、織田もすぐにいつも通りの口調になった。  さすがに一緒にホテルを出る時には照れがあったが、朝が早いので人通りはほとんどなく、誰とも顔を合わせずに済んだ。  織田は署へ向かう道へ、岬は駅方向への別れ道でじゃあな、と分かれることになった。   「岬、俺が言うのもなんだが、山根には本当に気をつけろ。何かあったら絶対に連絡してくれ」 「ああ、気をつけるよ。今に始まった事じゃないから大丈夫だ」 「また俺からも連絡を入れる」 「わかった。仕事頑張れよ」    気まずく別れるつもりのない岬は、普段通りの笑顔を織田に向けると、振り返らずに駅へと向かった。  それから数日間は織田からの連絡もなく、岬の周囲は平和だった。  岬は新作のアルバムのレコーディングに入っていて、ほとんどスタジオにカンヅメだったし、行き帰りは車のメンバーが送り迎えしてくれていた。    織田と再会したのはまたいつものライブハウスだ。  ステージの上から壁際に織田の姿を見つけた岬は思わず吹き出しそうになった。    さすがにスーツ姿はライブハウスに不自然だと思ったのか、織田は私服を着ていたのだが、皮ジャンにサングラスという黒ずくめの織田の姿は逆に人目を引いた。  まるでガラの悪いマフィアか殺し屋みたいだ。  あれで変装しているつもりなら、大失敗だな、と岬は笑いをこらえた。  目立ち過ぎる。    いつも一番後ろの壁際にいる織田が、今日はステージ横のスピーカーの近くの壁にもたれて立っている。  岬がふざけてわかりやすく織田にウィンクを送ると、その方向にいたファンから歓声が上がった。    ライブが終って着替えた岬は、どうせ織田は待っているのだろうと思っていた。  しかし店内にも店の外にも織田の姿は見当たらない。    帰ったのか……  用があったから来たのではなかったのか、と思ったが、急ぎの用事でも出来たのかもしれない。  少し拍子抜けしたような気分になったが、メンバーも帰ってしまったし、それなら少し飲んで帰るか、とフィレンチェへ向かった。    店の扉を開けると、カウンターに一人で座っている織田の姿を見つけて驚いた。  織田が一人で来るような店ではないから、岬のことを待っていたのだろう。   「こんな所にいたのか」 「ああ、ここにいたらお前に会えるかと思ってな」 「俺が来なかったらどうするつもりだったんだ」 「その時はそれでいいと思っていた。勝手に待っていただけだ」    織田はウイスキーを飲んでいるから、仕事はもう終っているのだろう。  ふとグラスの隣に携帯の番号が書き込まれたコースターが置いてあるのを見つけて、岬は笑ってしまった。   「お前、誰かに口説かれたのか?」 「ああ、初めての経験だ」    織田は苦笑して肩をすくめた。   「何て言って断わったんだ?」 「俺にはもう決まった相手がいると言った」 「模範的な回答だな。そこへ俺が登場した訳だ」 「そういうことになるな」    織田とこの店に来るのはもう3回目だ。  そろそろ噂になってるかもしれないな、と岬は思ったが、それはそれで良い隠れ蓑だ。  口説いてくる輩が減れば岬も助かるし、噂を否定する必要もない。   「例の件は何か進展はあったのか?」 「いや、難航している。お前の方はどうだ?変わったことはないか?」 「俺は特に何も。ここ数日はスタジオにカンヅメだったんだ」 「そうか。山根は姿を見せてないんだな?」 「ああ、多分。俺はずっと車で移動していたしな」 「それならいいんだが……」 「山根は容疑者なのか?」 「決め手がない」    難しい顔をしている織田が山根を疑っているのは明らかだ。  しかし岬には山根が女を殺す理由が見つからない。  もし女を殺していたとしても、その後急にまた岬を狙う理由も分からない。    犯人はもっと全然別のところにいるのではないか。  少なくとも岬はそうであって欲しいと思っていた。  身近な人間が殺人犯だとは考えたくない。   「ライブハウスを見張るよりも、もっと他の場所に可能性はないのか?」 「いや、今日は別に張っていた訳じゃない」 「んじゃ、なんだよ。ライブを聴きにきたとか言うんじゃないだろうな」 「俺が聴きに来たら悪いか」 「マジかよ。どういう風の吹き回しだ? まさか俺の歌に惚れたとか?」 「歌に、という訳でもないんだがな……」    実は意味深な織田の台詞に岬は気づいていない。   「今日は非番だったんだ。事件のことを考えていたらなんとなくお前の顔が見たくなってな」 「それは光栄だな。明日は雪が降るんじゃないか」    織田の言葉を岬はあくまで軽口で返した。  こうやって軽い駆け引きをしている分には楽しい相手だ。  深入りさえしなければ、織田は良い友人だと思える。  織田が非番なら遠慮せず楽しく一緒に飲んで過ごそう。    岬が冗談を言えば、頭の回転の良い織田はすかさず返してくる。  打てば響くような織田との会話が心地よかった。    

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