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第22話 約束
ベッドに岬の姿が見あたらない。
台所にもトイレにもいない。
どこへ行ったんだ……と探すと、ベランダに出るサッシが開いている。
「おい! 何やってんだ! 身体が冷えちまうだろ、馬鹿っ!!」
織田の声に驚いたように岬は振り返り、熱に潤んだ瞳で嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ほんとに……戻って来た」
「当たり前だろ、早く中に入れ」
「目が覚めたらいなかったから……ひょっとして戻ってきたのにまたどっか行っちまったんじゃないかって……俺が寝てたから」
「そんなワケないだろ! いいから、ベッドに横になれ! まったく……」
「お前の車があるんじゃないかって思って……車があったらまた戻ってくるんじゃないかって思って」
「いいから! わかったから!」
織田は呆れながらも、岬を強く抱きしめた。
「遅くなって悪かった。だけど、俺は約束は破らないから」
「約束なんて……したことなかったから」
ああ、そうか……俺が悪い。
いつも岬と会う約束などしてやれなかった。
約束を信じきれなかったのは、岬のせいじゃない。
岬は俺を待ってたんだ。
俺の姿を探して寒いベランダで……
俺はバカだ、きちんと連絡いれてやればよかった、と織田は後悔した。
織田は岬をベッドに座らせると、落ち着かせるためにホットミルクを作った。
「なあ、康介。たまにはお前が風邪ひくのも悪くないな、って俺ほんとに思ってるんだぜ」
「なんでだよ。手がかかるし、こんな俺、嫌だろ?」
「お前はさ、強がりばっかで本音がわかりにくいから。こんな時ぐらい甘えろよ。何か欲しいもんでもあったらひとつぐらい言ってみろ」
「みかんの缶詰」
「好きなのか?」
「風邪の時しか食わせてもらえなかった……子供の頃」
「お前は欲がないな。なんかもっと欲しいもんないのかよ」
「俺の欲しいものなんて……ひとつしかない」
「なんだ。言ってみろよ」
「笑うなよ」
「笑わないから。言ってみろ」
「愛が欲しい。さすがに売ってないよな」
岬は織田から目をそらして、ぼそっとつぶやくようにその言葉を口にした。
ためらいがちで小さな小さな声だったけれど、織田にはそれが岬の叫びのような本音に聞こえた。
「売ってはいないが俺のでよかったら、いくらでもやるぞ」
「他のはいらない。お前のじゃなきゃ……でも、ダメだ。お前はゲイじゃないし」
「ゲイじゃなかったらなんでダメなんだよ。そりゃ、差別だろ」
「ゲイじゃないやつは……家庭を持てるから」
岬が素直に織田に甘えられない根底を、やっと織田は知った。
話せて良かった、と思った。
「康介、今日はさ。ちゃんと話してみようぜ、俺とお前の気持ち。なんか食い違ってないか」
「話すって、何を」
まただ。
岬は時々ひどく怯えた目をする。
多分、そういう目をする時はなにかマイナス思考な発想が浮かんでいる時だ、と織田はうすうす分かっている。
そして、それはきちんと言葉にして誤解を解いておかないと、岬は硝子のように繊細な心を自分で傷つけてしまう。
「俺は刑事になってから恋人を作ったことがない。なぜだかわかるか?」
「いや……忙しいからか?」
「それもある。いつも一緒にいてやれない。守ってやらないといけない女や子供は、いざという時に足かせになる。刑事は人の恨みを買うことも多いしな」
「そうか。大変なんだな。でも家庭を持ってる人だっているだろ?」
「家庭を持ってて、家族が事件に巻き込まれた人を何人も知ってる」
だから恋人を作れない、と言うのか。
織田らしい優しさだと岬は思った。
「だけど、俺だって本音を言えば恋人も欲しいし、安らぎだって欲しい。恋人にするなら自分の足で立って強く生きていける奴じゃないと困る」
織田はうつむいて話を聞いている岬の頬に手をかけて、自分の方を向かせると、まっすぐに岬の目を見つめた。
「俺は、お前とだったら一緒に生きていけるんじゃないかと思ってる」
「俺と? 一緒に……?」
「お前は迷惑かもしれんがな」
「迷惑って……だって俺は一緒にいられればそれだけで……迷惑だなんて思ったことは……」
「俺だって同じなんだよ。お前と一緒にいたい。俺の仕事のせいでなかなか会えなくても、お前なら待っててくれると信じてる。だからわがままも言えるし、甘えることもできる。お前だって、俺に甘えていいんだぜ?」
「甘えていい……?」
「普通、そうだろ。恋人同士ってやつは」
「俺、男だぞ」
「当たり前だ。学ラン着てた頃から知ってる」
「俺でいいのかよ……簡単に言うけど」
「お前がいいんだ。何度も言わせるなよ。俺に遠慮なんかするな。俺の事情でお前がいいって言ってんだぞ」
目にためていた涙が岬の頬をひとすじ伝う。
「康介……こっち向けよ」
「……キスはダメだって言ったろ。風邪なんだから」
「うるさい、今大事なところなんだから黙ってろ」
織田の唇が岬の唇に触れる。
触れるだけの優しいキス。
セックスの前の激しいキスとは違った、ただ唇を重ねているだけの。
織田を好きになってから、ずっと心の中つっかえていたものがなくなって、堰を切ったように岬は泣いた。
織田の胸に甘えて。
しゃくりあげる岬の背中を、織田はいつまでもなでてやった。
「俺、ずっと1人だったから、性格ゆがんでんのかもしれないけど……寂しくなんてないと思ってたけど……寂しかったんだ、お前がいないと。怖かった」
「そうだよな、寂しがりなんだよな、お前は」
「悪いかよ」
「いや、それでいい。寂しくないなんて強がり言われるよりよっぽどいいさ」
いつになく素直な岬を、織田はぎゅっと抱きしめる。
「俺はあまりたくさんの約束はできないけど、約束したことは守る。必ずお前のところに戻ってくるし、一緒に生きていこうと思ってる。OK?」
織田が岬の手を握ると、岬は照れくさそうにうなずいた。
織田がそんなにも真面目に自分のことを考えてくれてたなんて思いもよらなかった。
風邪ひいたことに感謝したいぐらいだ。
「寂しいんなら指輪でも買ってやるよ。お前に似合いそうなやつ」
「いいよ、そんなの。女じゃないんだし」
「逃げられると困るから、手錠の代わりだ」
「逃げねぇよ!」
「お。元気出てきたな。熱は下がったのか? なんか食おうぜ、俺腹減ってさ……今日忙しくて飯食ってないんだよ」
「あ……俺のせい?」
「そうだ、お前のせいだよ」
織田は笑いながら、岬のオデコを小突いた。
「ごめん……」
「いちいち謝らなくていい。俺はこれからいっぱいお前に迷惑かけるんだからな……て言うかすでにかなりお前の生活を乱してるよなあ」
「いいんだ、俺、好きで修司に振り回されてるんだよ」
「物好きだな、お前は」
「生きてるって実感するんだ……誰かと関わって生きてるって思えるしさ」
「だよな。俺もだ。これ、食おうぜ。温めてやるから。生きてるって実感するには、まず飯だ!」
冷蔵庫を物色していた織田が、食料をテーブルに並べ始める。
織田の明るさや強さや、前向きさが好きだ、と思う。
自分の存在が織田のお荷物になるのではないかと思ったこともあった。
だけど、信じよう。
信じてみて傷ついても構わない。
その晩岬は織田の腕枕に抱かれて、安心して眠りについた。
セックスをせずに誰かの腕に抱かれて眠ったのは、初めてだった。
【番外編SS3 ある風邪の日に ~End~】
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