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第9話 渋々赴く見舞い

 ノーヴァは一蹴りで扉をぶち破り、ベッドに潜りこんでいたヴァニルを布団ごとひっぺがす。そして、数時間ノーヴァの呼び掛けを無視して、部屋に閉じこもっていたヴァニルに詰め寄った。 「いつまでそうしてるつもり? いい加減出てきなよ」 「ノーヴァ····。私は今、少し傷心しているのです。もう暫く、そっとしといてもらえませんか」 「そんなの知らないよ。勝手に傷ついてヴェルを抱き潰して、ホント馬鹿だよね。くっだらない。そんな事より、ノウェルはどうなったの?」  ノーヴァはヴァニルの胸ぐらを掴み、ずいっと顔を引き寄せた。 「どう、とは?」 「ちゃんと壊してきたんだろうね?」 「貴方は少し言動が過激すぎますよ。品位を持ちなさいと言っているでしょう」 「品位? そんなの社交の場だけでうんざりだよ。散々ボクにダンスを舞わせてくれたよね。ま、あんなバカみたいな場はもう無いだろうから、品位なんてあっても仕方ないよね。で?」 「····はぁ。元々、本気で壊すつもりはなかったんです。発散ついでに、ヌェーヴェルを忘れさせて差し上げようかと思っただけで。しかしこれが、どうにも頑なで、思っていた以上に一途なようで····」 「そんな事はどうでもいいんだよ。ボク達の間に邪魔者が入ってこなければね。ヴァニル····。やっぱり、ノウェルは邪魔だよね?」 「それは····まぁ。しかし、ノウェルは──」 「ボクだって、ノウェルが嫌いなわけじゃないよ。けどね、気がついたんだ。アイツの所為で、ボクの感情が揺すぶられる事に。ボクはね、それが堪らなく気に入らない。忘れさせらんなかったんなら、なんで壊してこなかったの?」  ノーヴァは、自分本位にヴァニルを責め立てる。困った顔で、ヴァニルはノーヴァの説得を試みる。 「ノーヴァ、それは······。私は少しだけ本気で、彼を気に入ってしまいました。ノウェルの、ヌェーヴェルへの愛は本物です。少々押し付けがましいのは難ですが、純粋過ぎるほどにヌェーヴェルを想っているのですよ。愛は何物にも代えられない──」 「だからさぁ、それが何だって言うの? ノウェルがヴェルをどう想っていようが、ボク達には関係ないでしょ。ボクにとってはただの邪魔者なんだよ」 「はぁー····。わかりました。どうにかしましょう」  ヴァニルは説得を諦め、ため息と共に自分の想いに蓋をした。 「分かればいいよ。これ以上、愛だとか一途だとか、くだらない妄言を吐かないでね」 「······わかりましたよ」  ノーヴァの苛立ちは激しかった。何よりもまず、自分の知らぬところで事が起きたのが気に入らなかったのだ。  ヴァニルはいつだって、ノーヴァの為と銘打ち独断で事を起こす。ノーヴァの意見など窺うことはない。  それが気に入らないノーヴァは、ヴァニルへの態度を悪くする。と言っても、普段の横暴な振る舞いに、拍車がかかるだけなのだが。  ヴァニルはそれを知っているので、余計にノーヴァの機嫌を損ねないよう逆らう事はしない。  ノーヴァは愛どころか、恋すらまだ知らない。そんなノーヴァにとって、吸血も交わりもただの生理現象だった。欲を満たす行為でしかない。そこに感情は踏み入れない。その筈だったのだが、徐々にヌェーヴェルに対して膨らむ劣情と、ヴァニルへ抱く凍てついた感情に戸惑っていた。  ヴァニルは、そんなノーヴァの心の変化に聡く、それでいて自分の欲にも忠実だった。ノーヴァを傷つけないよう気を遣いながら、ノウェルさえも餌食にしようと企んだが、一旦心に秘めることにした。今暫くは、ヌェーヴェルとノーヴァとの“今の関係”を壊したくなかったのだ。そうして、ヴァニルはノウェルを遠ざける事にしたのだった。 ***  バカ共が大人しくしてくれていたおかげで、予想よりも早い回復を果たした。  折角体調が戻ったのだ。ヴァニルの様子がおかしい事も、ノーヴァの機嫌が悪い事も、今は面倒なので触れないでおこう。そう決めて、俺は片付けるべき事を片付けてゆく事にした。  まずはノウェルを見舞わなければ。そう思い、分家の屋敷へ赴いた。ノウェルの母上に用があったので丁度いい。    屋敷の静けさに、俺は色々と察した。思っていたよりも、事態は悪くなかったようだ。  ヴァニルの愚行はおろか、侵入にすら気づいていないようだった。周到なアイツの事だから、きっとノウェルの記憶でも弄ったのだろう。ノウェルに直接聞いてみるのが早いが、もし記憶がなかった場合が厄介だ。余計な事を言って、事を荒立てないようにしたい。  どう探ろうかと思案していると、廊下の果からノウェルが小走りで寄ってくるのが見えた。なんつぅ鬱陶しい笑顔だ。 「やぁ、ノウェル。調子はどうだ?」 「あぁ、ヌェーヴェル! 君がわざわざ分家(こっち)に来るなんて、一体どういう風の吹き回しなんだい?」 「いやなに、少しお母上に用があったから、お前が(たか)って来る前に顔を見に来ただけだ。まさか、お前の方から駆け寄ってくるとは想定外だったがな。····なんだ、その、変わりはないかい?」  俺は、言葉を選びながら慎重に探りを入れる。 「至って好調だよ。君こそ、少し顔色が良くないようだが、またあの2匹かい?」 「それは良かった。お前は本当に敏いな。あいつらが原因ではないよ。少し忙しいだけだ」  そんなに顔に出ているのだろうか。ここ数日、学院の課題や父の使いパシリで多忙ではあった。バカ2人の事も気掛かりで、神経はすり減っていたかもしれない。  しかし、それはこれ迄と変わらない日常だ。特別、疲労感を覚えた事はない。なんなら、バカ2人が大人しい分、身体的な負担は軽減されていたように思う。   「そうかい。なら良いのだけれど····。母様は離れに居るよ。この時間ならきっと、日課の薔薇摘みの最中だろう」 「ありがとう。行ってみるよ」 「ヌェーヴェル!」 「ん? なんだ?」 「····いや、なんでもない。愛しているよ」 「またそれか。やめろ。その手の冗談は気色悪いと言っているだろう」 「冗談ではないよ。僕はいつだって本気さ。····引き留めてごめんよ。ほら、急がないと。日課を終えると、母様が眠ってしまうよ」 「まったくお前は····読めん奴だな。はぁ、確かに急がなくちゃな。じゃあ、またな」  ヌェーヴェルの去りゆく背中を、ノウェルは切なげに見送った。 ***  ノウェルの態度がおかしい原因は、当然ながらヴァニルの蛮行であった。ヴァニルは、記憶の操作も何もしなかったのだ。それでも事が公になっていないのは、ヌェーヴェルを想うが故の結果である。  わざわざ恋い慕う相手に、バケモノに犯されたと知られたい者はいないだろう。ヴァニルはノウェルの心を利用し、あえて何もせずに苦しめる策をとったのだった。  そんな事とは露知らないヌェーヴェルは、問題に触れない事でさも平和的な解決をしたのだと思っていた。ヴァニルの蛮行に心を痛めていたヌェーヴェルだったが、ノウェルの心までは傷ついていないのだと思い、ほんの少しだけホッとしていた。  例え記憶を消されていたとしても、ノウェルがその身に受けた行為は消えない。ヌェーヴェルは、その事実から目を逸らしたのだった。  ヌェーヴェルは実の兄弟ですら、家督を狙い企てを起こす因子として認識している。しかし、幼い頃から兄弟の様に育ち、裏表なく接してくるノウェルの好意だけは疑うことがなかった。  ヴァールス家の嫡男として生まれたヌェーベルは、下心に(まみ)れた好意を押し付けられて育った。それ故に、いつもでも優しく愛情に満ちていた母と、バカみたいに真っ直ぐなノウェル以外に、心から信じられる者など無かったのだ。  ノウェルの薄ら寒い愛のさえずりなど煩わしいと、幼少の頃から一蹴していたヌェーベルは、その好意に慣れ過ぎていた。いつもノウェルを適当にあしらうヌェーヴェル。それでも、ノウェルが傷つけば痛める心くらいは持ち合わせていたのだ。  などと自覚していないヌェーベルは、問題の解決を疑う事などなく、間の前の仕事をこなす事で頭が一杯になっていた。

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