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第15話 ヌェーヴェルの決心
俺たちは、欲に忠実になるというヴァニルの提案を、ぐうの音も出ずに受け入れる他なかった。だが、大きな問題がひとつ残る。
「俺は、跡継ぎを作らにゃならん。家を継いで、子にまた継がせる義務がある。お前らと、この関係を永遠に続ける事はできないぞ。最悪、俺の人生が一区切りついてからの再考ということになるな」
我ながら、とんでもなく自分本位な事を言っているのはわかっている。だが、次期当主の座は譲れんのだ。
「ヌェーヴェルは、女性を抱きたいかい?」
「当たり前だろう。俺は不能なわけじゃない」
どうして、そんな寂しそうな顔で聞くのだ。そもそも、まだノウェルと交わってもいないのに、俺が悪い事を言っているような気分になるのは何故だ。
「あっははは! ヴェルには無理でしょ。ボクたちに組み敷かれて潰されてるお前が女を抱く? はははっ。ヴェルはもう、女ではイけないよ」
「それは私も同感ですね。ヌェーヴェルには不可能でしょう。私達が与える快楽の中でないと、もうイけない身体になってるんですよ」
「なっ、なんて事してくれてんだよ!? 子供を作れなきゃ家督を継ぐことができんだろうが! つーかやってみなきゃわからんだろうが!!」
俺を不能扱いしやがって。こうなったら意地でも女を孕ませてやる。
「あのね、ヌェーヴェル。無理をして継がなくても良くないかい? 元々、お父上への復讐の為に継ぐつもりだったのだろう? 小さい頃は継ぎたくないと言っていたじゃないか。いっそ、グェナウェルに譲るというのはどうだい?」
グェナウェルとはすぐ下の弟だ。アイツは良い奴だが、少し頼りない。その下の弟の、ランディージェのほうが野心に満ちている。絶対狙われるだろう。なんなら、妹のパミュラのほうが、ランディージェよりも聡く後継に向いているかもしれない。女でなければ、父さんはパミュラに継がせただろう。
しかし、今は俺が1番の候補なのだ。これを誰かにくれてやるつもりはない。これまで、俺を思い通りに操ってきた分、クソ親父の老後を俺が支配してやるんだ。絶対に泣かせてやる!
母さんの質素な葬儀が終わってから、俺は報せを受け墓前に立った。学院からどれだけ急いでも、母の死に際には間に合わなかったのだ。
クソ親父が報せるのを遅らせたらしい。たかが、クラス決めの試験の為に。俺は、墓前で母さんに誓った。クソ親父のような人間にはならないと。何を優先すべきか間違えない人間になると。
ヴァニルとノーヴァは、俺の身の上話を退屈そうに聞いていた。
「ふっ····。俺は必ずクソ親父の後を継ぐ。何としても! よし。お前らにも手伝ってもらうからな。跡継ぎの事は追々考える。以上だ。屋敷に帰るぞ!」
「ヌェーヴェルは賢い割に阿呆ですよね」
「あ? ヴァニル、なんか言ったか?」
「いいえ、何も。当面は、ヌェーヴェルの好きにして構いませんよ。私も、少し面倒臭くなってきました。さ、もう帰りましょうか」
俄然やる気になった俺は、ヴァニルに抱えられ屋敷に帰った。
屋敷に戻ると、俺が行方不明だと騒ぎになっていたが、ノウェルと庭で呑んでいただけだと言って誤魔化した。無駄にだだっ広い庭があって助かった。
ノウェルはコソッと俺の頬に口付けて帰った。それを見ていたノーヴァがヤキモチを妬き、翌朝まで抱かれる羽目になった。この先、本当にヴァニルの案でやっていけるのだろうか。不安は残るが、幾分かの期待が胸を駆け巡る。
翌日、俺は仕事で地方の薬草苑を尋ねていた。
そこの管理をしているのが吸血鬼なのだ。彼は長い間、うちで作った人工血液を摂取している。俺が生まれる前に親父に拾われてから、血液の供給を条件に無作為に人間を襲う事はやめたそうだ。
ずっと、ヴァールス家で面倒を見ている。と言えば聞こえはいいが、実質監視下に置いているだけなのだ。
吸血鬼というのは美しい見た目を保つものだと思っていたが、彼の容姿はこの十数年ずっと初老の紳士だ。
曰く、人間に取り入らないのならば、美しくある必要はないということだった。
「ブレイズさん、ご無沙汰しております」
「おや、ヌェーヴェル様。ようこそおいでくださいました。今日は、何かご入用で?」
「いくつか見繕って頂きたい物があります。それと、近頃のご様子をお茶でも飲みながら」
俺は、小さい頃から彼の淹れる紅茶が好きだ。オリジナルブレンドで、ほろ苦い中にフルーティーな甘みがある。好きなのは味だけだが。
「お待たせしました。ヌェーヴェル様は、昔からこれがお好きですね」
「ありがとうございます。後に残る甘みが好きです。心が落ち着く。また茶葉を頂いて帰ってもよろしいですか」
「勿論。薬草と一緒にご用意します」
「助かります」
心が疲れてしまった時、この紅茶を飲むと癒されるのだ。しがらみの中で生きていると、こういう囁かな癒しが特段ありがたく思う。
「ヌェーヴェル様は、何かお悩みでも? お顔が沈んでおられるようですが」
「はは····。ブレイズさんにはいつも見透かされてしまいますね」
「小さい頃から知っておりますから、些細な変化にも敏くなってしまうのですよ。爺の戯言だと思ってください」
「いえ、貴方は本当の祖父のようで話しやすい。俺もつい、貴方には素を見せてしまうのかもしれません。立場上、良くないのですけどね」
「私は貴方の味方になれるなら、何でもしますよ。私だって、貴方を本当の孫の様に可愛く思っているのですから」
この優しい笑顔の裏に、激情が渦巻いている事は知っている。この紅茶に、催淫効果のある物や、幻覚を見せる物が仕込まれている事も。
初めて飲んだ時、帰宅後に体調を崩した。内密に調べさせたら、それがわかったのだ。親父には報告せず、未だに知らぬふりを通している。
このジジイは、いつか利用できると確信しているからな。いざと言う時は、俺の盾にも矛にもなってもらうつもりだ。
「それは嬉しいですね。まぁ、俺も後継争いやらに、いつか晒されるのかと思うと気が滅入ってしまって」
「何を仰いますか。お父上を継がれるのはヌェーヴェル様でしょう。もしや、ランディージェ坊っちゃまですか?」
「心配の種はランディージェですが、パミュラとて油断ならない。あの子は、兄妹の中で最も優秀ですから」
パミュラの怖いところは、賢さではなく容赦のなさだ。今は俺に懐いていて可愛いが、反旗を翻したら俺を殺す事も厭わないだろう。因みに、パミュラはランディージェと犬猿の仲だ。どうも、馬が合わないらしい。傍から見れば、似た者同士の同族嫌悪というやつなのだが。
「しかし、パミュラお嬢様はヌェーヴェル様に懐いておいででしょう。何かご不安でも?」
「あの子はいささか気性が荒い。思い切りの良さも、この先々を考えれば怖いものです」
「····私にできる事があれば、いつでもお力になりますよ」
それは、ランディージェとパミュラを消す事も····と言う意味なのだろう。兄妹でのそんな惨劇は何よりも避けたい。
「頼もしいですね。それでは、兄妹達の分の茶葉も、それぞれ頂いていきましょうか。飲ませて心を落ち着かせてもらいます」
「それはいい。ご兄妹は、優しいヌェーヴェル様を兄にもって幸せでしょう。では、ご用意してまいります」
兄妹それぞれに、特注の茶を誂えてくれる。俺の事があったから、当然弟たちにやる前に成分を調べた。
グェナウェルのは普通の美味い茶だった。が、ランディージェとパミュラの物には、鎮静効果のある薬草や、精力を落とす物などが混入していた。
俺を思っての事なのだろうが、この爺さんも油断はならない。俺だって、いつ何を仕込まれるかわかったものじゃない。
いくら訓練で耐性をつけているとはいえ、アイツらの催淫効果はバッチリ効いているのだ。何が効いてもおかしくはない。
ローズの様に人畜無害な吸血鬼も居るが、大半はブレイズの様に何かしら裏がある。ブレイズの場合は俺に好意的なので、襲われさえしなければ問題にはならない。
しかし、次に行くタユエルは厄介だ。ヴァニルを護衛に連れてくればよかったと、少し後悔をしている。
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