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第27話 変化してゆくもの

「ヴェル····起きて。ねぇ、大丈夫?」  いつの間にか子どもの姿に戻っていたノーヴァに、柔らかく頬を抓られて目が覚めた。 「ん····大丈夫··だ····。腹····」  腹の痛みが消えている。あの熱さだけが残っている感じだ。きっと、これは腹ではなく、脳にこびりついたものなのだろう。  ヴァニルが申し訳なさそうに俺の腹をさすっている。こいつの手が冷たいのだが、気持ちは伝わってくる。 「ヴァニル、大丈夫だって。もう痛くない」 「いえ、そういう事では····。優しくするという約束だったのに、すみません」  ヴァニルは眉間に皺を寄せ、なんとも苦しそうな表情(かお)をしている。  身体はまだ起こせないが、そっとヴァニルの頬に手を添えて微笑んだ。 「ヌェーヴェルが私に優しい顔を向けてくれるなんて、出会って随分経ちますが初めてですね」 「俺だって、こんなに穏やかな気持ちになったのは初めてだ」  ノーヴァが俺の額を撫で、啄むようにキスを落とす。 「ノーヴァ、くすぐったい。なんだ?」 「気絶する前に言ったこと、憶えてる?」  そう言えば、とんでもない事を口走った記憶がある。 「······憶えてない」  俺は目を逸らして言った。 「嘘だ。憶えてるでしょ」 「憶えてねぇよ。頭ん中、真っ白だったからな」  必死に誤魔化したが、下手な嘘など通用しなかったようだ。  ノーヴァにじっと見つめられ、俺は観念して白状する。跡を継いで、全て終わらせてからにしようと思っていたのだが、あんな事を口走った後なのだから仕方がない。 「俺は、お前たちを大切に想ってる。ずっと、身体だけの関係だと思ってたが、自分でも気づかないうちに心まで懐柔されていたようだ」 「懐柔って····。素直にボクたちに惹かれたんだっていえないの?」 「うるせぇな。······そうだよ。初めは吸血鬼なんて、血抜きの為、利害が一致しているだけの便利屋くらいに思ってた。けど、お前らを知るほどに、お前らの愛情を感じる度に、心がお前達で埋まっていくんだ」  上手く伝えられているのだろうか。己の心を曝け出すなんて初めてだ。順序立てて想いを告げるのが、こんなにも困難だとは思わなかった。 「それで、ヌェーヴェルはどうしたいんだい?」  イェールを背もたれに、後ろから抱き締められているノウェルが聞く。なんだ、その体勢は。無性に腹が立つ。  それはさて置き。ノウェルの問いに、俺は言葉を返すことができない。どうしたいかなど、俺自身が一番わかっていないのだから。待たせた挙句、万が一にも決められないなんてのは通用しないだろう。  返答に困っていると、苛立ちを顕にしたイェールが投げやりに言った。 「現状、問題はないんだから、いっそこのままのほうが平和なんじゃないですか?」  何を言っているのだと思ったが、その場に居た全員が反論できなかった。俺を独り占めしたい気持ちは強いのだろうが、これ以上この関係のバランスが崩れるのを恐れている。と言うか、面倒に思っているのだろう。  存外、心地悪くはないと言ったところだろうか。イェールの一言で、現状維持という方向で話はまとまった。  勿論、イェールも込みでだ。上手く収めやがったイェールが、やはり俺は好かん。  それぞれが、それぞれの想いを通す為にやりたいようにやる。結局、これまでと何ら変わらない。唯一変わったのは、俺の心だけだ。  数日後、親父に呼び出された。きっと、見合い絡みの話だろう。大人しく引き下がるなんておかしいと思ったのだ。  執務室に入ると、不機嫌そうな親父が睨んできた。 「おはようございます。ご要件はなんでしょうか」 「タユエルを訪ねろ。様子がおかしい」  どうやら、見合いの話ではなかったらしい。しかし、どういう事だ。先日、タユエルを訪ねたばかりだぞ。 「は? タユエルがですか? 先日は、特に変わった様子はありませんでしたが」 「最悪の事態を想定しておけ。お前が大切にしている側近も、忘れずに連れて行け。何かの役に立つだろう」  何かを含んだような物言いに、俺は悪寒を感じた。この人は、何をどこまで知っているのだろうか。  俺はすぐさまヴァニルを連れ、タユエルの店へ向かう。最悪の事態。それはきっと、タユエルが人間に手を出したという事なのだろう。 「ヌェーヴェル、大丈夫ですか?」 「あぁ。こういう事態に備えて、最低限の訓練はされている。お前に説明するまでもないだろうが、暴走していればその時は····」 「私に任せてください。貴方が手に掛けるのは辛いでしょう」  俺とタユエルが長い付き合いだと知って、ヴァニルなりに配慮してくれたのだろう。しかし、それを言うならば、ヴァニルのほうが関係としては深い。 「お前の方がやりにくいだろ。師匠みたいなものだったんだろう? それに、同胞を手にかけるなんて、気持ちのいいもんじゃないだろ」  ヴァニルは俺に口付けて、それ以上言うなと黙らせる。仕事だと割り切っているという事なのだろう。  俺は気の利いた言葉を見つけられず、黙って銃の確認をした。念の為だ。  タユエルの店の前に立ち、腰に忍ばせた銃に手を添える。息を殺し、ゆっくりと扉を開く。  少し開いた扉から中を覗く。真っ暗で何も見えない。しかし、気配はある。耳を澄ますと、荒い息遣いが聞こえた。そして、耳を劈くような怒声が響く。 「来るな!! ヴェルだろ! 絶対に入ってくるな!!」  明らかに様子がおかしい。手遅れだったのだろうか。 「····そうだ、俺だ。タユエル、何があった。何故、立ち入るのを拒む?」  タユエルからの返答はない。俺は、ゆっくりと扉を開く。陽の光が差し込み、その奥にタユエルの姿を目視した。 「入るぞ」  俺は1歩踏み込む。1歩1歩慎重にカウンターへ向かう。  古い木造の建物の匂い。その中に、血の様な鉄っぽいにおいを感じた。  カウンターの中を覗き、ランプで照らす。そこには、血まみれの少年を抱えたタユエルが座り込んでいた。 「お前が殺ったのか」 「違う····つったら信じんのかよ」 「信じる」 「は? この状況でか?」  タユエルはガサツだが、自ら争いを好まないのは知っている。暴走した様子もない。何より、目がいつも通りだ。 「どんな状況でもだ。お前の瞳が正常である限りはな」 「お前、本当にバカだな。いつか痛い目みるぞ」  なんと言われようが、俺は俺の信じているものを信じる。俺の判断に間違いはないと確信したのか、ヴァニルはそっと少年を抱え、馬車に乗せるとヴァールス家お抱えの病院へと走らせた。  タユエルに事情を聞くと、耳を疑うような話をされた。  あの少年は今朝、店の前にあの状態で横たわっていたのだと言う。首には牙の後。しかし、それにしては出血量が多い。そこで服を捲って確認した。上半身には、おびただしい数の鞭で打たれた痕があったらしい。  そして、同じような状態の少年を、タユエルはここ数日で3人も保護したのだと言う。さっきの少年で4人目だ。    吸血痕に鞭打ちの痕。十中八九、吸血鬼の仕業だろう。タユエルヴァニルの見解も同じだ。ノーヴァやヴァニルと同様に、これまで人間に見つからないよう隠れ生きてきた生き残りなのだろう。  どういう経緯か分からないが、最近になって突然人間を襲うようになった。襲われた少年が、どこからかタユエルの元へ流れ着いた。  しかし、何故ここなのだ。件の吸血鬼がこの辺りに隠れ住んでるという事なのだろうか。とにかく、近辺の捜査をする事にした。    夜が更けたら、ヴァニルとタユエルは近くの廃墟に向かう。きっと、俺は狙われて足でまといになるだろうから、大人しくタユエルの店で待つ。当然、厳重に戸締りをして。  こんな事なら、ノーヴァかノウェルを連れて来ればよかった。暴走の恐れがある、はぐれ吸血鬼が潜んでいるかもしれないのだ。そんな所で1人待つのが、こんなにも心細くなるとは思わなかった。  ウトウトし始めた深夜3時頃。内側から板を打ち付けていた店の扉が、物凄い轟音と同時に蹴破られた。

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