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第一話
祭り当日、十江山麓十江神社。
煌々と篝火が焚かれた境内は、腕章を巻いて運営に携わる有志と、はるばる見物にきた観光客でごった返していた。
「無事開催できてよかったわい」
「年々過疎化少子化が進んでますからなあ。時代の流れとはいえ世知辛いです」
「今年の参加者は隣の町や村からかき集めてきたとか」
「ギリギリ頭数を揃えました」
「練り歩くんなら最低十人おらんと格好付かんわな」
紙コップに地酒を注ぐ老人のぼやきに、パイプ椅子に掛けた仲間が頷く。
「権現様にも少しは融通利かせてほしいもんです、全く」
「しっ、バチが当たりますよ」
十江村の北方には山があり、苔むした石段の終点に十江神社が建っている。
村の顔役が采配を振るうなか、和太鼓や篳篥が祭囃子を奏じ、神楽殿で神楽が奉納される。
橙色の火の粉が爆ぜ、神々しく闇を照らす。
翁の能面を被った舞い手が足踏みし、中央の獅子が|顎《あぎと》を開け閉め、雄渾に躍動する。
たてがみを打ち振り暴れるこの獅子を、山伏神楽では「権現様」と呼び慣らわす。
テントの下には婦人会の面々が集まり、出番が来るまで待機を命じられた稚児たちに、甘酒をふるまっていた。
「わ~いい匂い」
「これ何?」
「子供が飲んでも大丈夫なお酒よ。熱いからよくふーふーしてね」
「「はあ~い」」
コンロにかけた寸胴鍋から仄白い湯気が立ち上る。
初老の婦人がお玉ですくった甘酒を紙コップに注ぎ入れ、押し合いへし合い並ぶ子供たちに配っていく。
子供たちの装いは今宵の神楽の主役以上に見物人の目を引いた。
男の子は緑の袴に烏帽子、女の子は赤い袴に唐草模様を透かし彫りした|天冠《てんがん》を付け、額の中心に|位星《くらいぼし》を点じ、鼻筋に白粉を刷り込んでいる。
薄墨で曳いた麻呂眉とほんのり色付く唇の紅は、幼い顔にやんごとない気品を与えていた。
山伏神楽と稚児行列はかれこれ三百年続く十江村の伝統である。
神楽を奉納したあと、稚児たちは男女対の二列となって神社を発ち、村の家々を回ってまた帰ってくる。
地方の例にもれず、十江村の住人の過半数は高齢者だ。今年は子供不足で稚児行列の実現が危ぶまれたものの、周辺の市町村から参加者を募り、どうにか開催に漕ぎ着けた。
「よその地域じゃ五歳から十歳まで幅広くとるらしいぞ、うちもそうしたらよかろうに」
「村のしきたりじゃからな」
「七ツまでは神の子というし、七って数が特別なんでしょね」
老人たちが屯って話し込む間、稚児たちは続々と出発の準備を整えていた。
頭に戴く烏帽子や天冠の傾きを直し、顎の下で紐を結ぶ。自分では上手くできず保護者に手伝ってもらっている子も多い。
「紐が斜めってるぞ、みどり。父さんが結んでやる」
「うん」
今しも父親が跪き、こんがらがった紐をほどいて、紐を結び直してやってる。
微笑ましい光景を目にし、村の顔役や婦人会の面々が相好を崩す。
娘の艶姿を見直し、父親が満足に頷く。
「よし。言うことは?」
「ありがとうお父さん」
「よくできました」
二十代後半の父親が娘の髪の毛を愛情深くかきまぜる。紙コップに甘酒を注いだ主婦が二人に近付いていく。
「吉田さんとみどりちゃんもどうぞ、温まりますよ」
「ありがとうございます、ごちそうになります」
「ありがとうおばちゃん」
「本当に礼儀正しいわねえ。お父さんの躾がいいのね、きっと」
主婦が感心したように目を丸くし、吉田に向き直る。
「奥さんが亡くなって丸一年?一人でよく頑張ったわねえ、偉いわよ。あたしんちのぐうたら亭主に爪の垢でも煎じて飲ませたい」
「みどりの事をよろしく頼むって妻にお願いされちゃいましたしね」
「まだ若いのに癌だなんて気の毒に。みどりちゃんも寂しいでしょ」
みどりが唇を噛み締め、首を小さく横に振る。
「……お父さんがいるからさびしくない」
「みどり……」
感極まった吉田がみどりを抱き寄せ、主婦が涙を拭い話を変える。
「稚児行列は初参加だっけ」
「うちの子もやっと七歳になったんで。村に越してきてからずっと楽しみだったんですよ」
吉田家はスローライフに憧れ十江村に移住したものの、去年の春に妻の真由美が癌を患い他界。
現在は父子家庭だ。
「小さい子の夜歩きは危ない、やめろって声もあるんだけどねえ。何百年も続けてきたのに、私たちの代で打ち切れないでしょ」
「東京ならいざ知らず、十江村で事件や事故が起きるなんて想像できません」
「そうよねえ、心配しすぎよねえ。お目付け役の大人も同行するんだし」
「おばちゃーん、おかわりー」
「はーい、今行くから待っててー」
主婦が気忙しげに離れていく。
にこやかに見送った吉田が、どことなく不安げなみどりの肩を叩いて励ます。
「この中じゃみどりが一番美人さんだ。父さんはここで待ってるから、胸を張って行って来い」
「……うん」
携帯のフラッシュが焚かれ盛大な拍手が湧く。神楽殿の袖に踊り手が引っ込み、権現様が退場していく。みどりは虚ろな目で獅子を見詰める。
その様子を遠巻きに眺め、甘酒を給仕する主婦たちが、気の毒そうに囁き交わす。
「可哀想ねみどりちゃん、お葬式からこっちすっかり塞ぎこんじゃって」
「前はもっと明るくてよく笑ったのにねえ」
「無理ないわよ、まだまだ甘えたい盛りでお母さんと引き離されたんだもの」
「神様も残酷よね、どうせなら口うるさい年寄りから連れてきゃいいのに。うちの鬼姑とか」
「やだわ伊藤さん!」
「偉いのは吉田さんよ、抗がん剤の副作用に苦しむ奥さんを献身的に介護して」
「家と職場と病院の往復だけで大変なのに、奥さんの看病とお子さんの世話まで」
「優しい旦那さんに看取ってもらえて、繭子さんは幸せ者だわ」
吉田親子に同情する主婦たち。華やかな装いと裏腹に、みどりは所在なげにたたずんでいた。
「稚児行列のおな~り~」
先頭に権現様を押し立て、二列目に|鉦《かね》と提灯を持った大人が続き、三列目に男女対の子供たちが並んだ行列が出発する。
子供たちは背が大きい順に配置され、同年代に発育で劣るみどりは殿を務めていた。
甲高く澄んだ鉦の余韻が、殷々と夜の静寂を引き伸ばす。
鉦の単調な響きに合わせ、稚児行列はしずしず進む。大半は神妙な顔をしているが、こっそりあくびをもらす子もいるのはご愛敬。
「おな~り~」
鉦の音が膨らみ、稚児たちが闇に溶け入る。
畏まって石段を下りてく我が子の背中を、ある親は誇らしげに、ある親は心配げに見送っている。
吉田はストラップで首から下げた、一眼レフのシャッターを切る。隣の母親が羨む。
「立派なカメラですね」
「下手の横好きですよ。写真が趣味なもので」
笑ってごまかしフラッシュを焚く。
妻の忘れ形見である愛娘の晴れ姿を、余さずフィルムに焼き付けたい。
「七歳でいられるのは今だけですから、記念に残してあげたいんです」
また一枚コレクションが増えるとほくそ笑み、両手に構えたカメラを下ろす。
石段の沿道には等間隔に篝火が燃え、扇を持って歩む子らの|顔《かんばせ》を幽かな陰影が隈取る。
稚児行列は神社を起点に家々を回る。村人たちは愛くるしい稚児を出迎え寿ぐ。
「十江村名物、稚児行列の成り立ちをご存知ですかな」
後ろ手を組んだ村長の問いに、うろ覚えの知識を掻い摘んで答える。
「ええと……十江山に棲む獣面の神が、里の子供をさらって食ってたんですよね」
「そうじゃよ。ご先祖様は山神を鎮めるために社を建て、祭りのたびに生贄を一人捧げる事にした。選ばれたのは七歳の子ども。七ツまでは神の子、あの世に返しても諦めが付く」
「惨い話ですね」
「山神の祟りは恐ろしいからの、それしか手立てがなかったんじゃ。怒りに触れれば日照りが続いて作物が枯れる、百姓には死活問題。もとより十江村は沿岸から遠く離れた辺境の地、遠い江の村と書いて遠江村からきとる。山神の機嫌を損ねるのは禁忌とされた」
稚児行列の最後尾が視界から消える。
「ところが、これに異を唱えた男がいた。恋女房に先立たれ、その忘れ形見を育てていた父親じゃ」
「彼はどうしたんですか」
「娘を生贄に捧げるなんてとんでもないと抗い、十江山で修行しとった山伏に泣き付いた」
一呼吸おき、闇に沈む山を振り仰ぐ。
「十江山のてっぺんに寺があるのが見えるかね」
「ああ……言われてみれば、ほんの少し瓦屋根が覗いてますね」
「山伏のねぐらさ」
「お祭りに参加してるんですか?」
「あそこに」
高鼾が轟く方に向き直れば、一升瓶を抱えた中年男が大の字になっていた。
結袈裟の梵天と呼ばれるぼんぼりの房を下げた白装束と一本歯の下駄は、山伏の特徴だ。ずんぐりした猪首には縞黒檀の念珠が巻かれている。
「地べたで寝たら風邪ひいちゃいますよ、|煤祓《すすはら》さん」
「ん~いいじゃねえかもう一杯」
「お酒は全部飲んじゃったでしょ」
「じゃあ甘酒でいいや」
「子供たちにあげちゃったんでありません」
「鍋底にこびり付いた酒粕でいいからさ~頼むよ~。俺が下山すんのなんてせいぜい年イチじゃん、ツレねえこと言いなさんなって。ご先祖様のお手柄に免じてなっ、このとおり!」
不機嫌な主婦と平身低頭の山伏を見比べ、吉田の目が疑い深く細まる。
「本当に山伏なんですか?」
「先代はもっとお固い人だった」
村長が苦笑いする。
「東北は羽黒修験道が有名だが、煤祓さんとこははぐれ山伏だね。とはいえ鎌倉時代からこの地に根を下ろした古い一族だ」
「聞いたことあります。全国の霊山を行脚する山伏は、関所の通行税や渡し舟の運賃を免除されたんですよね。宇治拾遺物語に祈りで渡し舟を呼び戻すエピソードが載ってました」
「よく知っとるね」
「大学じゃ日本史専攻だったんで。レポートを書きました」
「当時も宿所や食糧は施しに頼ったそうじゃし、アレは先祖返りした正しい姿と言えなくもないな」
寸胴鍋を舐め回す山伏の後ろ襟を、無造作に伸びた手が引っ張る。
後ろで待ち受けていたのは十代後半の青年。
「恥かかすんじゃねえクソ親父、とっとと帰るぞ」
「んだと馬鹿息子、祭りの日位無礼講でいいじゃねえか。ていうか手ぶらかよ、九州遠征の戦利品の福岡産大吟醸はどうした」
「テメエが勘当した倅に酒をねだるたあ、アルコールが頭に回っちまったみてえだな」
山伏と口論する青年を見て、村長が驚く。
「おや、|玄《げん》くんじゃないか。列島縦断バイクの旅から帰還したのか」
「ということは、石段下の単車は彼の」
「貯金をはたいて買ったらしい」
みどりを連れて神社に来る時、傍らに泊まっていたハーレーダビットソンを思い出す。操縦桿にはフルフェイスのヘルメットがぶら下がっていた。
ワックスでテカるライダーズジャケットに身を包み、野性的なウルフカットを金髪に染めた若者の胸元には、妙に角張った大粒の念珠が揺れている。
「親子二代で山伏?」
「先祖代々ね」
「山伏って妻帯していいんでしたっけ」
「煤祓さんとこは世襲制だねえ。玄くんは後継ぐの嫌がっとるが」
見た目は暴走族上がりのチンピラ。頬骨が高く張った顔立ちと険しい眼光に、生来の癇癖の強さが浮き出ていた。言動も粗暴だ。みどりを近付けたいタイプではない。
村長がフォローするように付け足す。
「今となってはただの酒飲みだが、あの人の先祖が山神に掛け合い、娘を取り戻したと言われとる。十江村が崇める権現様即ち山神の化身、稚児行列は生贄の弔いの為に始まったんだ」
「へえ、勉強になります」
稚児行列の謂れを知って素直に感心する。ホームページにはそこまで詳しく書かれてなかった。
村長が言い淀む。
「この話には後日談があってな」
「はい?」
「いや、忘れとくれ。若い人は知らん方が幸せな話じゃ」
「気になりますね、何ですか」
とぼける村長を追及する吉田。
さらに食い下がろうとした矢先、不穏なざわめきが伝って来た。
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