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第四話

「積もる話は中で」 正に導かれて門をくぐり、申し訳程度に掃き清められた境内を突っ切る。 「葉っぱ多」 「男所帯で手入れが行き届かねえのさ。倅の無礼は許せ」 「詩織さんは残念やったな」 「香典どうも。分厚くて仰天した」 「クリーニング代こみ」 訝しげな正にそっけなく付け足す。 「昔、な。洗濯してもろた」 「居候中の話か」 合点がいったらしく頷く。 「線香あげてくれ。アイツも喜ぶ」 「ん」 珍しくしんみりする茶倉の後ろ、玄が父の背中を睨み付け、小声で腐す。 「……てめえが山出てる間にぶっ倒れたんじゃねえか。見殺しも同然だ」 寸刻止まり、平静を装い歩みを再開する。 黙殺されたのが癇に障り、語気荒く罵倒せんとした玄を遮り、茶倉が底意地悪く笑む。 「そーゆージブンは何しとったねん。ええ年こいてバイクで自分探し?」 「!ッ、」 玄が赤面し、拳を握りこむ。 「実家嫌て寄り付きもせんで、文句だけたれるんはフェアちゃうで」 「赤の他人がウチの事情に口出すな」 「自慢のハーレーダビットソンは?金欠で売り飛ばしたん」 「山寺に置けるわけねーだろ、常識で考えろ。麓の駐車場借りて止めてる」 「親不孝もん」 「そっくり返すぜ、茶倉はテメェの代で滅ぶってもっぱら評判だ」 「ほな養子こい」 「あ゛?」 眉尻を上げ凄む玄を流し目で牽制し、斜に構えて挑発する。 「関東一円最強の拝み屋の名前が欲しいんやろ?ババアの肩揉んで機嫌とれ、俺の靴磨けば推薦したる」 「ざけやがって!!」 玄の激発と同時に正が動く。 「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」 不動明王の|真言《マントラ》を唱え、茶倉の顔面に迫る拳を分厚い掌で受け止めるや、倅の脳天に拳骨を落とす。 「これ以上続けんなら雁首揃えて叩き出すぞ」 「コイツが絡んできたんだ」 「会話のデッドボールやな」 両者とも決まり悪げに舌打ちしてそっぽを向く。 案内された先はだだっ広い本堂。正が一本下駄を脱いで縁側に上がる。 「茶あ淹れてくる」 父親不在の間、玄は柱によりかかり招かれざる客を睨み据えていた。 祭壇に飾られた夫人の遺影に会釈したのち、鉦を叩いて合掌する。 ほどなく正が戻り、座布団を勧めて麦茶をだす。 開け放した障子の向こうから爽やかな風が吹き込み、静謐な境内を囲む借景の緑が冴え渡る。 着替えを入れたスポーツバッグを下ろし、膝を揃えて座り、コップの麦茶を呷る。 「しばらく厄介なるで」 「それは構わんが、事務所の経営は大丈夫なのか」 「スケジュール調整済み」 「きゅうせん様の具合は?」 「お見通しかい。ほな白状するけど、問題ないとは言えへんな」 観念しため息を吐く。 修験者・煤払正は茶倉練の秘密を知る数少ない同業者だ。 より正確には正の父にして玄の祖父にあたる|冥安《めいあん》が世司の知己で、一族の事情に通じていたのだ。 その祖父も既に他界し、今は正と玄のみが山寺に暮らしている。 「ここに来た目的は心と体のメンテ。前の仕事でちょい無茶してもて、きゅうせん様の状態が不安定やねん」 「ウチは保養所か」 「温泉湧いとりゃ言うことない。車が通れん辺鄙な山寺は思索向き、都会の喧騒離れて身の振り方考えたい」 日水村の体験を話した所、正はさらに厳しい顔になり、茶で喉を潤して推論を述べる。 「なるほど、きゅうせん様の故郷は日水山か」 「一緒に封じたろ思たんやけど」 「急いては事を仕損じるぞ。きゅうせん様はお前の体に深く根付いとる、力ずくで引っこ抜けば宿主とて無事ではすまん」 「だましだまし折り合い付けてやってくしかないか」 正は茶倉の貴重な相談相手でもある。見た目は天狗と言っても通りそうなむさ苦しい中年男だが、霊山で過酷な修行を積み、加持祈祷をこなしてきた神通力は本物だ。 茶倉も親子ほど年の離れた正に対しては、比較的素直になれた。 「ま、美味い空気ならただで吸い放題だ。ゆっくりしてけ」 「話は終わっとらん」 鷹揚に受け流す正をまっすぐ見詰め、ずばり切り込む。 「いらたか念珠が欲しい」 「……本気か?」 正の顔が俄かに引き締まり、眼光が凄味を増す。 いらたか念珠とは最多角・伊良太加・刺高とも書き、煩悩と同じ百八の珠を用いた数珠である。修験道では読経や祈禱、ないし悪魔祓いの際に用いられる。 「護身の呪具の類なら呪い蔵にしこたまあるだろ」 「出禁やもん」 「世司さんに頭下げて」 「笑えん冗談。ウチの確執知らんとは言わさへんで」 茶倉練は茶倉世司直系の孫で、関東一円最強の拝み屋と名高い、茶倉一族の跡取りと見なされていた。祖母と決別し、家を出るまでの話だ。 茶倉がスーツの片袖をめくり、生白い手首をさらす。 「厄種がまた暴れださんとも限らん。この際手段の選り好みしとれん、使えるもんはなんでも使たる」 青い静脈を透かす手首を凝視し、正の顔がかすかに強張る。 「直接ここに来てそれを言うってことは、覚悟があるんだろうな」 くどいほど念押しする正に真顔で話す。 「……風邪ん時、乗っ取られかけた」 「暴走か」 「封印の力が弱まっとる。自分の体のこっちゃ、わかるんや。じき御しきれんようになる」 「で、切り札が欲しいと」 正が腕を組んで唸る。 「市販のブツは役立たん。自分で力を籠めな」 「理屈はわかった。とはいえ一週間ってのはなあ……普通は十年かかるぞ」 「前倒し上等」 「大きく出たな」 「|茶倉《ウチ》には修験者の血も流れとる。先祖伝来有難いバフ利いとんねん、本気出したら余裕でイケる」 啖呵を切る茶倉に呆れ半分脱力半分、片膝立てた正がぼやく。 「自惚れがすぎると天狗になるぜ」 「もたもたしとったら手遅れや」 数日前の出来事が脳裏を過ぎる。 夢で得体の知れない法師と邂逅し、きゅうせんに体を乗っ取られた後悔が胸を蝕む。 「俺が主で化けもんは従。下剋上は許さへん」 静かな決意を表す茶倉を見返し、物憂く諭す。 「たるんだ手綱を締め直そうって心意気は立派だが、生き急いでるようで危なっかしいぜ」 正が腰を浮かす。 「稽古か」 呼び止める茶倉を振り仰ぎ、顎で離れを指し示す。 「来い」 成願寺の敷地には矢場が設えられていた。渡り廊下を歩きながら正が聞く。 「うちの矢場使うのどれ位ぶりだ」 「十五年」 「稚児の|戯《ぎ》以来か。おい玄、あの時何歳だっけ」 「……十三」 昔懐かしむ父の問いに、最後尾の玄が不承不承答える。 「てことは練が十一か、二歳差だもんな」 十五年前、成願寺に名だたる術者の子弟が集い力比べをした。 発端は拝み屋たちの見栄の張り合い。 当時最前線で活躍していたいずれ劣らぬ曲者ぞろいの術者たちが、どの跡継ぎが最も強く賢く優れているか論議し、蠱毒の実演場として成願寺を選んだ。 互いの祖母、そして祖父が発起人たれば、茶倉と玄の出陣は必定。 「昔は仲良かったのに、なんでぐれちまったかね」 「仲良くねえ。最初っから嫌いだった」 「同感」 間髪入れず玄が突っ込み、茶倉が鼻を鳴らす。正が理解に苦しむように首を傾げる。 「二人で組んで腕試し肝試ししたじゃん」 「足手まといはいらんかった」 「お互い様だ」 「練が具合悪くしてぶっ倒れたら玄がおぶって助けを呼びに」 「ウチで死なれちゃ困るからな」 玄の反応はそっけない。 板敷の矢場に茶倉を通し、壁に飾った弓矢を貸す。 「やってみろ」 「背広で?」 「技量に関係ない」 「ごもっとも」 茶倉の家を出てからも週一で矢場に通っていた。腕と勘は鈍ってない、はず。 艶やかに磨き込まれた床板を踏み締める。弓に矢を番え、遠方の的に狙いを定めて引き絞り― 『ホンマに縁切りたいか。方法ならあるで?』 風切る唸りを上げて飛来した矢が的を穿ち、瞬く。茶倉が射た矢はほんの僅か中心から逸れていた。 「芯がブレたな」 正が顎をなでて評し、玄が溜飲を下げる。 「だっせえ」 「病み上がりで調子でえへんだけや」 仕切り直し。足を開く。踏み構える。瞬きせず静かに的を映し、弓を引き絞る。 思考が澄む。 心を無に帰す。 『全部おっかぶせてしもたらええねん』 雑念が集中を妨げ、指の震えが弦に伝播し、またしても狙いを外す。 「くそ」 舌打ち。次、また次。何度挑戦しても同じ結果に終わり、もどかしい焦燥が募り行く。玄は飽きてあくびをし、正が待ったをかける。 「矢の無駄だ」 「もっぺんだけ」 「心の濁りが矢筋を曲げる」 往生際悪くせがむ茶倉の手から弓と矢をひったくり、矢場に立った正がキリキリ弓を引く。 「ノウボウ・アキャシャキャラバヤ・オン・アリキャ・マリ・ボリ・ソワカ」 野太い声が唱えるのは技巧向上を促す虚空蔵菩薩の真言。 豁然と見開いた眼が気炎を噴き上げ、鍛え抜いた四肢に闘気が充ち、場を圧するのを待って手を放す。 風切る音が疾り、新たに放たれた矢が茶倉の矢を弾いて図星を射抜く。 「煩悩まみれだぞ」 「やかまし」 弓矢を奪い返した直後、腕が重く怠く強張ってその場に跪く。 「あ、ぐっ」 何かが体の奥底に根を張り脈打ち、全身の毛穴をこじ開け汗が吹き出す。 「練!」 腹を庇い蹲る茶倉に駆け寄るや、玄が息を飲む。 「休めば治る」 「宿坊に連れてけ」 「自分で歩く」 「酷い顔色だ。修行は明日からにして寝ろ」 正がきびきび命じ、玄がぐったりした茶倉に肩を貸して歩き出す。

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