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第十話

茶倉練は煤祓玄が嫌いだ。 『俺は玄、成願寺の代表。お前は?』 『……茶倉練』 『稚児の戯にでるんだよな?』 『うん』 『相部屋の誼で面倒見てやる、わかんないことあったらなんでも聞け。これからよろしくな』 『よろしゅうに』 第一印象は馴れ馴れしいヤツ。初対面の挨拶を交わした数分後には、困惑げに立ち尽くす茶倉の腕を掴み、宿坊や庫裏、本堂をバタバタ走り回っていた。 『ここが便所。部屋から離れてるけど一人で来れるか?』 『幼稚園児ちゃうし』 『やせ我慢すんな。もらしそうになったら遠慮なく起こせよ、連れてきてやる』 お節介。頼んでへん。いらんことしい。 詩織に何か言い含められたのか、玄はことあるごと茶倉の世話を焼きたがった。聞けばずっと一人っ子で弟が欲しかったのだそうだ。 頼んでもないのに構い倒されるのにはうんざりしたが、現実に助けられた事は一度や二度ではない。 稚児の戯における最年少参加者だった練は、年長の子供たちにとって格好の標的だった。 もとより術者の見栄比べに端を発した祭礼。勝てば一族が誉を得るが、負ければ家名に泥を塗るときて責任重大。 故に寝食を共にした連中は常にピリピリ殺気立ち、互いの瑕疵を論い、競争相手を出し抜こうと必死になっていた。 弱味を見せようものなら付け込まれる。信じたら裏切られる。そんな環境に多感な年頃の子供たちが放り込まれれば、当然の如く人間不信になろうというもの。 恃めるのは己の力だけ。 保身と打算と野心と嫉妬と。 勝ちを掴む為に互いを蹴落とし出し抜き合い、丁々発止の駆け引きに悪知恵巡らす群れの中で、ただ一人玄だけが曇らず真っ直ぐに、皆の鬱憤の捌け口にされていた練を庇ってくれたのである。 当時の練は同年代に比べなお華奢で小柄、母親似の顔立ちのせいでよく女の子に間違えられた。 玄が勘違いに気付いたのは翌日、着替えの時。部屋の隅でこそこそ浴衣を脱いでいる練にぽかんとし、こういったのだ。 『男だったのかよ』 『悪い?』 性別を誤解されている事は薄々察していた。初日の玄はやけに優しく気色悪かった。かと思えば腫物にさわるようなウブな態度をとり、どうにも調子が狂ったものだ。 『玄と練って似てるよな。本当の兄弟みてえ』 『僕と玄くんじゃ全然ちゃうよ』 『どこが?』 『玄くんみたいに喧嘩強ぅないし足早ないし、すぐ息切れしてまうねん』 『鍛えりゃいいじゃん。一緒に走るか?』 『体も大きゅうない。吹けば飛びそなちびでやせっぽちや』 『毎日牛乳飲んで背ェ伸ばせ。俺はそうしてる、カルシウムは偉大だ』 『山伏は動物性たんぱく質の摂取禁じとるんちゃうの』 『爺ちゃん以外気にしねえよ、親父はたまごかけご飯が好物なんだ。内緒で酒飲んでるし』 『破戒僧やん』 『般若湯は酒の隠語。坊主の間じゃ常識』 玄と練。 響きだけなら確かに似ているといえなくもない。 『玄くんの名前の意味は?』 宿坊の縁側に並んで掛けた玄が、入道雲の映える夏空を指さす。気のせいか仏の形に似ていた。 『黒い色、天の闇、奥深い道理。仏さまの有難い教えを悟ってほしくて親父が付けたんだとさ』 『お寺の子っぽい名前やね』 『ぽいじゃねえ、実際跡取りだし。爺ちゃんや親父は継がせたがってる』 『玄くんは嫌やの?』 『山のてっぺんで一生終えるなんて退屈じゃん、ゲーセンもネカフェもねえし。信じられるか、一番近い百均でも車で二時間なんだぜ?大人んなったらぜってえこんなド田舎でてやる』 『歩きで?』 『無理だろさすがに』 『ほなチャリンコで』 『もうきめてる。今からガッツリ金貯めて、十八の誕生日にバイク買うんだ』 玄が興奮気味に見せてくれた雑誌には、黒い塗装が洗練されたオートバイの写真が載っていた。 『コイツ、ハーレーダビットソン。かっこいいだろ?』 『鉄馬って感じやね』 『新車は三桁行っちまうけど、中古なら頑張りゃイケるはず』 『中学生でもバイトできるん?』 『新聞配達とか牛乳配達とか……サバ読んでる色々やってるヤツいるし』 山頂から往復通学はさすがに厳しいと判断した玄は、中高一貫全寮制の仏教系学校に進んでいた。長期休暇中に帰省する以外は、家族と顔を合わすこともないらしい。 『大人んなったらハーレーダビットソンで日本一周するんだ』 『叶うとええね』 他人行儀な返事をよこす。 自分は一生家から出れない、世司がそうきめている。茶倉の家を継いで盛り立てて行くのが跡取りの宿命だ。腹に手をやり、体内に根付いた異物を意識する。 だから。 次の質問は不意打ちだった。 『お前は?』 『え』 『行きたくねえの?旅は男のロマンだろ』 おもむろに茶倉と肩を組み、ハーレーダビットソンの写真を惚れ惚れ見直す。 『後ろに乗っけてやるよ。2ケツしようぜ』 将来の夢と目標を語る玄の目は、眩しい位に輝いていた。 煤祓玄は厚かましい人間だ。恩着せがましい言動にはうんざりしていた。 『汚らわしい雑ぜもの筋が、なんで稚児の戯に紛れ込んでんだよ』 『体ん中にわけわかんねえ化け物飼ってるって本当?』 『苗床はとっとと帰れ』 『てめえら何やってんだ、練に手ェ出したらぶん殴んぞ!』 成願寺の境内でいじめっ子に絡まれていると、怒り狂って突っ込んできた。 『またお前かよ、関係ねえだろほっとけよ!』 『相手は小学生だぞ、よってたかって弱いものいじめとか恥ずかしくねえのかよ!』 『苗床の味方すんのか、物好きだな』 『お前も耕されちまうぜ』 『うるせえ、あっちいけ!』 いじめっ子たちがどれだけ事情を理解していたのか、今となっては謎だ。茶倉の家には先祖代々、ミミズの似姿をした醜い化け物が憑いてるとでも吹き込まれたのだろうか。 彼らは茶倉を苗床と呼んだ。それぞれの師や親の影響だ。 関東一円で権勢を誇る当主や本人の前では憚っていたものの、裏に回るや雑ぜもの筋を蔑み、化け物を身に宿す少年を苗床と吐き捨てるのが、世司を妬む術者たちの本性だった。 玄の背に庇われた茶倉を憎たらしげに睨み付け、いじめっ子たちが罵倒を浴びせる。 『知ってんだぞ苗床、茶倉の当主は上手い事してお偉方に取り入ったんだろ!』 『政治家や金持ち占って、たんまりお代巻き上げてんだよな』 『本当はたいした能力ねえくせに図にのりやがって、全部化けもんのおかげなんだろ』 『化けもんに媚売って、日本一の拝み屋に成り上がったんだよな』 悪意渦巻く嘲笑に拳を握りこんで耐える。やり返さないのは多勢に無勢で勝てる見込みがないから、騒ぎを起こせば世司が恥をかき自分に折檻が及ぶ。結局どちらに転んでも損だ。 稚児の戯が始まってから嫌がらせには慣れっこだ。連中は茶倉を見かけるたび石や泥団子を投げ、ともすれば水を掛けてくる。直接暴力を振るわれないのだけは幸いだ。苗床に手出したら返しが怖いと、前もって後見人に止められているのだろうか。 『うるせえ!』 先に手を出したのは玄だった。

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