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第十一話

『玄くん、』 『下がってろ』 慌てる茶倉を片手で制し、四人の少年たちに啖呵を切る。 『練を馬鹿にしたら承知しねえぞ、相手になってやる!』 煤祓玄は茶倉練を苗床呼ばわりしない、ただ一人の友達だった。 その後、玄はこてんぱんにのされた。 今でこそ腐れ縁の天敵だが、当時の茶倉は少なからず玄に好意を持ち、心を許し始めていた。 家にも学校にも居場所がなく孤独だった茶倉が唯一年相応の子供に戻り安らげたのは、成願寺の境内や十江山で玄とじゃれている時だけ。 まだ子供でいる事が許された一度きりの特別な夏休み。 玄は二歳下の茶倉を弟分として遇し、クワガタの取り方や魚の釣り方、食べられる果実や山菜を教えてくれた。 『玄くんこれは?食べてもお腹壊さへんかな』 『それはサルナシ、味はキウイに似てる。うまいぞ、食ってみろ』 楕円の実を含んだ茶倉が顔の部品を中央に寄せる。 『酸っぱ!』 『あはははっ』 『だましたんかイケズ、玄くんなんか嫌いや』 『ごめんごめん、お詫びにやる』 『何?』 『イチジクだよ。名前聞いたことあるだろ』 『うちの庭にはなってへんもん。勝手にもいでええの?』 『十江山は俺の庭。成願寺で出す精進料理も殆ど里山で採れたもん使ってんだぞ』 『知らんかった』 片や山育ちの野生児、片やひ弱な都会っ子の違いこそあれ、二人の仲は上手く行った。 そういや僕、お兄ちゃんが欲しかったんや。 新しい環境に慣れるのに一杯一杯ですっかり忘れていたが、もとより一人っ子の茶倉は兄というものに漠然とした憧れを抱き、その理想像を玄に求めていた。 あの日までは。 矢が図星を外れて突き立ち、舌打ちを漏らす。 玄と関係を持った翌朝、茶倉は白袖筒に黒袴を纏い、静けさに包まれた矢場に立っていた。 正たちに醜態をさらすのは気が進まない。故に一人で稽古していたのだが、やっぱり調子が出ない。病み上がりなのを差し引いても不調といえた。 期せずして深刻なスランプに陥り、ため息を吐く。 的の周囲には乱雑に矢が散らばっていた。図星を射抜いた本数は極端に少ない。 これは公式サイトのプロフィールにも記載しているれっきとした自慢だが、茶倉は弓道五段相当の腕前を持っている。 世司に引き取られてからは毎日欠かさず邸の矢場で稽古を積み、百発百中に極めて近い命中率を誇るようになった。 「嘘こけ、ガッタガタやんけ」 セルフツッコミは虚しいだけ。 弓道の心得たる射法八節を念頭において深呼吸。白い足袋を穿いた足を慎重に開き、右手を弦にかけ、左手の内を整えて的を見る。 両拳を同じ位置に掲げ、打ち起こした弓を左右均等に引き分け、機が熟すまで待機。 静かに瞠目する。雑念を閉め出す。心が凪ぐ。 『あ゛うっ、う゛っぇ゛え゛ッ、お願いやめ、もうゆるし、ぅ゛あッ』 耳障りな呻き声が心をかき乱す。忘れたくても忘れられないおぞましい記憶、二度と思い出したくない過去の残像が甦り、茶倉の心を十五年前のあの夜に連れ去る。 祖母の言い付けを守り、ずっと目を閉じていた。 稚児の戯には日本全国から優秀な拝み屋の子弟が集まる。きゅうせん様は周囲を充たす霊力に感応し、夜毎「中」で暴れ出す。 昼間はまだ大丈夫、まだもっていられた。夜は駄目だ、闇は化け物に力を与える。 封印の弱まりに比例しきゅうせん様の動きは活発化し、玄と布団を並べて休む練を責め苛んだ。 こんな声聞かれたない。 こんな姿見られたない。 玄くんにだけは知られたない。 キツく目を瞑って蹂躙に耐え、それだけを祈った。ただそれだけを考え生き地獄をやりすごした。 あしたはイワナをとろうて約束した。カブトがぎょうさんおる穴場も教えてくれるていうた。川にダム作んねん。 それだけを支えに息苦しい闇に抗っていたのに、なんで目を開けてしまったのか。 『練?』 ほんの一瞬薄目で捉えた視界は頼りなくぼやけ、こちらを向いた玄の表情がハッキリ読み取れない。 心が打ち砕かれた。 禁を破った背徳感に戦慄、急いで目を瞑る。なんも見てへんと自分を誤魔化し、せやから許してやきゅうせん様と言い訳し、死に物狂いで玄を庇い立てる。いっそ悲鳴を上げて卒倒するか布団を剥いで逃げてくれれば救われた。 なのに玄はそのどちらも選ばず、予想外の行動をとった。 『ぁッあぁ゛っ、ンっぐ、ぁあっ』 よそよそしい衣擦れの音に促され、細く細く、限りなく細く目を開ける。 生理的な涙で霞む目が残酷な現実を映す。 玄は布団にくるまり背を向けていた。我が身可愛さに震えながら両耳をぴっちり塞ぎ、布団の奥に潜り込み、化け物に凌辱される練の悲鳴も喘ぎも汗も涙も一切合切切り捨てた。 昼間自分を庇ってくれた背中が、手を伸ばせば届きそうな距離にあるそれが、今はこんなに遠い。 煤祓玄は裏切り者だ。 『なあ練、ちゃんと話せ。アレがきゅうせん様ってヤツか?毎日あんな事されてんの?』 ほっといてんか。 『うちくる前からずっとずっと……ンだよそれ、絶対おかしい。どうかしてる』 おばあちゃんを悪く言わんといて。 『爺ちゃん……は無理か、でも親父やお袋なら聞いてくれる、力になってくれる!そうだ、うちの子になれよ。茶倉んちなんか捨てちまって本当に弟になりゃあいい、お前はお袋のお気に入りだし俺が土下座で頼めばきっとオーケーもらえるって、煤祓練の方がかっこいいってお前もそうおもうよな、な?』 かまうな。 『今夜も来るんだろ?親父譲りのいらたか念珠がありゃ化けもん一匹追っ払うくらい楽勝だよ、まかせとけって。ウチは修験道の開祖・役小角の末裔だって爺ちゃん言ってた、すっげー強いんだ!お前も手伝え、二人で真言唱えりゃ効果は二倍の倍で無限大……』 祖父や両親に愛されぬくぬく育った玄は何もわかってない。 きゅうせん様の恐ろしさも血に呪われた茶倉の宿命も。 『余計なことすな。迷惑やねん』

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