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第十三話

追憶から浮上し現実に立ち戻れば、的の周囲に散らばる矢が増えていた。 「ババアにしばかれるな」 自嘲の笑みを吐いて何本目かの矢を番え、眼光鋭く図星を睨む。 『化け物でなきゃ物足りん体にされてもうたんか。可哀想に』 法師が揶揄する。 大人に限って言えば、苗床と呼ばれた回数は片手で足りる程度。 『化けもんでしかイけねー体のくせに』 玄が唾棄する。 子供は無邪気で残酷で容赦がない。 十五年前の稚児の戯で惨劇が起きたのは、ある意味必然といえた。 思い出すのは指の股に染み、緩やかに足を浸す血だまり。 最後の課題は魔祓い。 神道・陰陽道・修験道・その他手段を問わず、どちらが先に印籠に封じられた化け物を消滅させるか競ったはてに、茶倉は妖ともども玄を打ち倒した。 審査員側にとって誤算だったのは、茶倉の力が想定を上回っていたこと。 『どうなってるんだ!』 『もたもたせず逃げろ、食い殺されるぞ!』 『アレに巻き込まれたらおしまいだ!』 『助けてお父さんお母さん!』 『嫌だ死にたくねえお前をいじめたこと謝る、お願いだから許してくれえええええ……』 稚児たちが阿鼻叫喚逃げ惑い、履物を飛ばして蹴っ躓き、苦しげにえずいて跪く。 『うえっ、げほっ』 少女が盛大に血を吐き、竹筒の栓を外す。 『ぐるじ……死ぬ……』 少年が苦しみ悶え、息を吹き込んだ|式札《しきふだ》を投擲。 地面に額ずく稚児たちの中心、無防備に仁王立ちした幼い茶倉が、ぐるりを薙ぎ払うように睥睨する。 苛烈な眼光に撃たれた式神が一瞬で蒸発、尾を逆立てた管狐も弾け飛んで散り散りの塵と化す。 ひと睨みで焼き尽くされた式神に放心し、茶倉の痴態を見ながら自慰に耽っていた少年が呟く。 『ばけ、もの』 何をどこで間違えた? 十歳で魅入られてからきゅうせん様を封じるのを目標にしてきた、この体から追い出し自由になるのだけを目的に生きてきた。 年を重ね力の御し方を覚えるのに伴い、きゅうせん様が暴れる頻度は減っていった。 それはとりもなおさず茶倉自身が苗床として成熟した事を意味する。無理を押して耕さずとも、好きな時に仔を孕んで産めるようになったのだ。 斯くして世を司る環は練られ、|九泉《きゅうせん》は受肉する。 心の迷いを反映して手が震え、それが指に伝い、完璧な弧を描くはずの矢筋が歪む。 奥歯を噛み締めて的を睨み、今度こそはと気を引き締め― 『やだ、喰われるッ!』 捕食の恐怖に慄く理一の顔のど真ん中を、ズダンと矢が貫く。 「……は」 力なく腕を下ろすと同時に幻はかき消え、矢衾と化した的だけが取り残された。 「呼んでもないのにしゃしゃりでんなや、豆狸が」 すっかりやる気が殺がれてしまった。弓を返却し、矢場に散らばった矢を束ねて矢筒に戻す。 ふと気配を感じて振り向けば、布で目隠しをした着物姿の少年がひっそり佇んでいた。 「遅い。やっと戻ったか」 少年の名は縣。茶倉の幼心の分身だ。 「せっかく式に昇格させたったんや、キリキリ働かなクビにすんで。で、下見の塩梅は?」 『ここから7キロ北西、広葉樹の雑木林の奥。二股に分かれた桜の大木が近くに生えとる』 縣が袂をからげ、スッと指さす。 「昨日と場所違うやん。移動したんか」 『迷い家みたいなもん』 「具体的に」 『異界を作り出しとるんは山神。権現が張った結界の中に神隠しに遭うた稚児がおる』 「閉じ込められとるんかい」 顎に手をあて思案する茶倉と相対し、縣が賢しらに断言する。 『アレは権現の箱庭。この世でもあの世でもない場所。生身で立ち入るんは危ないで』 「誰に物言うとんねん、俺は今をときめくイケイケバリバリ霊能者チャクラ王子やで。吹けば飛んでく紙っぺらの式神は黙って雑用こなしとけ」 縣が不満げに黙り込む。 茶倉が片方の口角を引き上げる。 「なんぞ文句が?」 縣は少年時代の茶倉の思念が分離し、形を成した存在だ。日水村では理一に警告と助言を与えた。 それがまだ消えずに俗世に留まっているのは、茶倉が式札に封じ、式神として使役しているから。 主人の問いにふるふる首を振り、どこか寂寥とした面持ちで離れた的と矢の残骸を見比べる。 『怖いんか』 心臓が強く跳ねる。 「主語を言え」 布越しでも見通す視線の圧に動揺が芽生え、語気を強めて返す。 主人の叱責に縣は俯き、意を決して顔を上げ、茶倉の胸をまっすぐ指す。 『自分が』 コイツ。 『せやから離れたんやろ』 見透かしよって。 特殊な墨で五芒星を描き込んだ式札を翳す。即座に少年が消失し、図形の中心に『縣』の字が滲み出す。 「おかえり」 やや大人げないやり方で口論を打ち切ったのち、矢場を出て宿坊へ戻る、山伏装束に着替える。ぼちぼち東の空が明け染める頃合いだ。 「朝飯の支度せな。めんどくさ」 数刻後、正と茶倉は十江山北西に広がる雑木林の中を移動していた。 「少し遅れたな」 先頭は錫杖を突いた正、二番手は二の腕を抱えガタガタ震える茶倉。 「俺が今いちばん欲しいもん当ててみ」 「ホッカイロ?」 「スーパー銭湯の年パス」 「惜しい」 「全然惜しかないわボケ、なんで朝イチで滝行すんねん|直《ちょく》で来ればええやろが」 「心頭滅却し身を浄めるのは入山の礼儀」 何を今さらといった呆れ顔の正に窘められ、議論の無意味さを痛感する。 「わかった、それはええ。気に入らんのは」 くるりと振り返り、数メートル離れ、私服で付いてくる弦を睨む。 「なんでコイツがおんねん」 「いや~お前がみどりちゃん見たって話したらどうしても来るって聞かなくてさ」 「ちゃっかり飯食うとるし。ニートに食わせる為に早起きして米研いだんちゃうぞ」 不機嫌な茶倉を見返し、革ジャンに念珠を下げた玄が無愛想に呟く。 「沢庵繋がってたぜ」 「石でも噛んどれボケカス」 「まあまあ幼稚園児の切り紙みてーで微笑ましいじゃん、沢庵連結してた位ギャップ萌えで許してやれ」 正が豪快に笑って取りなすも、茶倉は完全にへそを曲げてしまった。 「独り暮らし長ぇんだからもうちょい自炊頑張れ、お婿にいけねえぞ」 「セフレで間に合うとる」 「えばれることか」 「ウーバーイーツと外食で生きとんねん俺は」 「姥……?」 「出前みたいなもんや」 「熟女デリヘル?」 「どうしてそうなんねん、人妻好きは否定せんけど」 あたり一面に濃い霧が漂い、草の葉を伝い落ちた朝露が袖を濡らす。可憐に囀る小鳥の羽ばたきに重なるのは、木から木へ枝を撓ませ飛び移り、甲高く鳴き交わす山猿の声。 三人一列で雑木林を進みながら、しんがりを守る玄が真剣な声色で付け足す。 「十年前、現場にいたんだ」 倒木を跨いだ正が茶倉が振り返り、注視を受けた玄がバツ悪げにそっぽをむく。 「吉田みどりが消えた日。覚えてんだろ親父」 「ああ……」 「例年通り村の連中に呼ばれて、親子で祭りに参加した」 脇に下ろしたギリッと握り込み、悔やむ。 「なにが権現さまを調伏した山伏の末裔だ。ちやほやされていい気んなって、のんきに喧嘩してる最中に小せえ女の子が消えちまった」 憤懣やるかたなく吐き捨て、黙って見ている茶倉の目に意固地な視線をねじこむ。 「あの日から十年、吉田みどりの顔と名前を忘れた事は一度もない。てめえの言い分頭っから信じたわけじゃねーけど、少しでも手がかり掴めるってんなら、護摩壇の火ん中だろうと滝ん中だろうと飛び込んでくさ」 言い伝えに登場する山伏の末裔として招かれておきながら、むざむざ子供をさらわれてしまった後悔はいかばかりか。 「それが里を守る山伏の務めだろ」 神隠しを防げなかった責任を感じ、力強く宣言する玄に踵を返す。 「好きにせい」 「言われなくてもそうする」 一本下駄の歩みも天狗さながら軽快に、錫杖を鳴らして獣道を行く正が、懐から瓢箪を取り出しごくごくやる。 「ぷはーっ」 「水分補給は大事」 「中身般若湯だぞ」 「聞いてがっかりアル中かい」 「気付けの一杯。昨日は妙に眠りが浅くて頭がぼんやりしてんだ、挙句変な夢見るし」 きゅぽんと栓を締め正がうそぶき、後続の二人がぎくりとする。 「夢ってどんな」 「えぇ~~それ聞くゥ~~?」 「もったいぶんなオッサン」 内股でもじもじ恥じらい、人さし指の先っぽを突き合わす。 「久しぶりに詩織が夢に出てきてしっぽり……」 皆まで聞かずスピードを上げ、大いに照れる正を追い越す。 「聞くんやなかった」 負けじと玄が追い抜く。 「ざけんなクソ親父、うっかり想像しちまったじゃねえか」 「待ておいてめえから振っといてそれはねえだろ、新婚時代のほっこりいちゃらぶエピソード聞いてくれよ!」 情けない顔で追い縋る正を足早に引き離し、玄が茶倉に耳打ちする。 「てめえの声がでけえから親父が変な夢見ちまったんだぞ、少しは押さえろ」 「自分の振る舞い棚に上げんなや、お前が馬鹿の一ツ覚えよろしゅうがんがん突くからやろ」 「誘ってきたのどっちだよ」 「寝込み襲たの忘れたとは言わさへんで」 「起こそうとしたんだよ」 「夜這いを正当化すな田舎もん」 憎まれ口を叩きがてらスマホを操作し、素早くLINEを打ち返す。 「人と話してる時にメールすんな」 カッとして肩を掴んだ拍子に手が滑り、偶然電話帳が開かれた。トップに来た名前を一瞥、毒気をぬかれた玄が目をしばたたく。 「誰だよ豆狸って」 「助手」 「なんで狸?まさか本名じゃねえよな」 「ただのあだ名や、由来は信楽焼もビックリのキンタマのでかさ」 「なんでソイツのタマのでかさ知ってんだよ、連れションしたの」 「ホンマうざいわお前」 抜かし抜かされ競歩状態で食い下がる玄に嫌気がさし、しぶしぶ答える。 「豆電タヌキの略」 直後、電波が途切れた。

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