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三十話(完)

「鍛え方が違えんだよ鍛え方が。山伏なめんじゃねーぞ」 後日、病院にて。 ベッドに仰向け点滴に繋がれた正は、憔悴しきった顔に気丈な笑みを浮かべ、開口一番豪語した。 傍らのパイプ椅子には玄と茶倉が座っている。二人の顔には些かうんざりした色。起きてから今まで正の体力自慢を聞かされたのではいやでもそうなる。 「かっとばして損した。刺されたんじゃねえのかよ」 「腹筋ガードは最強だ。筋肉は正義」 腕を曲げて力こぶをアピールした直後、「いたた」と突っ伏すのはお約束。 「元気やな。ホンマに三日間昏睡しとったんかい」 「あたぼうよ」 「えばんな」 祭り当日、吉田に刺された正は病院に運ばれ緊急手術をうけた。術後しばらくは昏睡状態が続き、付き添って泊まり込んだ玄は随分心配したものだ。 「ん?」 正の目が横に滑り、枕元に畳んで置かれた頭襟と袈裟と足袋、さらには壁に立てかけられた錫杖にとまる。いずれも山伏の必携品。チェストの上には愛用の念珠がとぐろを巻いていた。 玄が仏頂面を赤らめてそっぽを向く。 「お前が?」 「起きた時近くにねえと騒ぐと思ったんだよ」 「おっさん起きるまでずっともにょもにょ唱えとったんやで、うるそうて寝れんしかなわんわ」 「滅飲酒罪真言は脱アルのまじないだっての!」 口喧嘩をおっぱじめた二人を見比べ、おもむろに袈裟を掴む。 「まだ本調子じゃねえだろ」 慌てて腰を浮かす玄に構わず、袈裟の内襟を返し、生地に縫い込んだ秘密を見せる。 汗を吸って皺くちゃにふやけたそれは、生前の愛妻の写真だった。 「夢で詩織に言われちまったよ、早く来すぎだって」 「追い返されたんか」 「間に合えばチャラになるってもんでもねえらしい」 面映ゆげに告白し、愛しげな手付きで写真をなでる父と向き合い、納得いかない玄がぼやく。 「頭おかしい奴とサシで話すとか無茶だろ」 「父親同士、腹を割って話してみたかったんだよ」 「割られたのはアンタの腹だけや」 「あの人がやった事は絶対許されねえけど、真由美さんやみどりちゃんを愛してるって気持ちは全部が全部嘘じゃねえはずだ」 「腐れた愛やな」 吉田卓の不審死は心不全で片付けられ、死亡後に殺人未遂と傷害の容疑で書類送検された。 隣人曰くみどりの失踪後は相当不摂生な生活をしていたようで、心臓発作を起こす可能性は十分あり得た。 「そうか、吉田さんは権現さまに……」 事の顛末を聞かされた正は神妙な面持ちで瞠目し、練に向き直って聞く。 「みどりちゃんは?」 「仮入院中。検査では問題なし、今日じゅうに退院予定や」 「これからどうすんだ。十年前に消えた子が同じ姿で戻ってきて、はいそうですかって受け入れてくれる世の中じゃねーだろ」 みどりが健康なのは喜ばしいが、先の事を思うと気が重い。神隠しから生還した奇跡の子としてマスコミに取り上げられたら、世間のオモチャにされるのは目に見えている。 「そのへんは大丈夫。考えがある」 茶倉の提案に正は驚き、熟考したのち頷き、ベッドの上で深々と土下座した。 「みどりちゃんの事よろしく頼む」 「傷口開くで」 「いだだだだだだ」 腹を抱え悶絶する正に吹き出し、玄に目配せを寄越して廊下に出る。 ロビーに移動後、紙幣を投入して自販機のお茶を購入する。が、何故かお釣りが出てこない。 「俺の金巻き上げるとかええ度胸しとるやん、ぶちころがすどこら」 自販機にメンチを切る茶倉をどかし、玄が平手で一発叩いた直後、じゃらじゃらお釣りが降ってきた。 「おおきに」 「どういたしまして」 玄がソファーに掛ける。茶倉はその反対、斜交いの位置に座ってお茶を飲む。ロビーを包むざわめきが日常を連れて来る。 「山で言ったことはマジだ。ずっとお前が好きだった」 「だから知っとるて。で?これからどうしたいんや」 「どうもしねえよ。知ってくれたらそれで満足」 「謙虚やん」 茶倉を見殺しにした自分に進展を望む資格はないと戒め、長く息を吐く。 「お前とバイク二人乗りするのが夢だったって言ったら笑うか?」 「叶ってよかったな」 「ああ」 背中に密着するぬくもりと胴に回された手の心強さを、今もまだハッキリ覚えている。 「走行中おっ勃てとった?」 「感傷ブチ壊すな」 微妙な距離感を維持したまま笑い合い、自己嫌悪にまみれた過去と決別する。 「なあ練。お前の隣にいるの、俺じゃ駄目か」 「駄目」 「即答かよ」 「東京で相棒が待っとんねん」 「例のデコスケか」 「そのデコスケや」 「豆ダヌキのどこがいいんだ」 数呼吸の沈黙をおき、答えが返ってきた。 「アイツはやさしゅうてまっすぐで、真っ暗闇ん中でぴかぴか光る豆電みたいで、俺を人でいさせてくれるんよ」 背中に伝わる声と気配だけで、全然らしくない優しい微笑みを浮かべているのがわかった。 「理屈やない。触れ合うとるだけで安心する。胸のあたりがほっこりすんねん」 傷付けたくないから離れて、離れたことでどれだけ大事か痛感して、結局また戻っていく。 「それにあっちの方もなかなか」 「は??」 「今のナシ。取り消し」 胸の内で燻る嫉妬を諦念が打ち消し、背凭れに腕を掛け、だらけた姿勢で天井を仰ぐ。 「ごちそうさん。のろけで腹一杯」 「お前が言わせたんやないかい」 「漸く初恋吹っ切れそうだ」 十五年ずるずる引きずり続けた未練を断ち切り、お前の幸せを心から祈れたら、その時こそ胸を張って寺を継げる。 「けど残念だったな。はるばる東京から来たのに親父は入院、修行は中断で踏んだり蹴ったりじゃねえか」 「目的は果たした」 思わず振り返った視線の先、茶倉の左手にはいらたか念珠。一粒一粒に膨大な霊力がこもっているのが窺い知れた。 「アクセ代わりに付けとったんちゃうで?充填完了」 「まさか」 「権現の力をちょいパクって強化済み、コイツはええ切り札になる。早い話がTSSの最終兵器」 十江山は古より修験者の修行場であり、知る人ぞ知る東北屈指の霊場として崇められてきた。 権現は十江山を司る山神、その力を直接対峙した際に念珠が吸い上げたのなら……。 「毎朝滝行なんてだるいことやったれるかい、楽してがっぽり稼ぐんが商人の流儀や。お前のおとん最終日に火渡りやるてほざいとったで、冗談は合金の腹筋だけにせえよ、なまはげに足の火ぶくれ削がれたかて痛いだけで損やん損」 「はははははははははっ!」 病院のロビーで腹を抱え爆笑する玄に人々が驚き、看護師が「静かにしてください」と苦言を呈す。 「ひーっひっ」 周囲に白い目で見られてもまだ顔を覆って笑い続け、挙句にしゃくり上げ、ひとりごちる。 「……あーあ。ふられちまった」 実際の所、茶倉練は煤祓玄より一枚も二枚も上手だ。 逆立ちしたってかないっこない。 十年ぶりの祭りでまたもや事件が起きたことを鑑みて、十江村の人々は話し合いを持った。 結果、山伏神楽と稚児行列の継続が決定した。 今回の事件は未遂、心不全で死んだ犯人以外に犠牲者は出なかった。それに加え村人たちの多くが権現率いる稚児行列を目撃しており、これは吉兆に違いないと噂が広まり、来年こそぜひ観光に訪れたいと電話やメールが殺到したのである。 怪我の功名ともいえる事態に村長以下運営委員は大喜びし、子供の無病息災を祈念する稚児行列を、十江村の伝統行事として末永く受け継いでいく旨を発表した。 もちろん警備は万全にして。 旅行最終日。 みやげを入れた紙袋を両手に下げ仙台駅のホームに立った茶倉は、みどりと別れを惜しんでいた。 「名前は何にした?」 「権現みどりです」 目の前ではにかむように微笑んでいるのは、ロングストレートの黒髪が映える長身の美少女。 祭りの日に保護されたみどりは身元不明の家出少女と見なされ、警察や病院関係者に色々事情を聞かれた末、無戸籍児童として取り扱われる事になった。 結界を抜けてまもないみどりは意識そのものが茫洋としており、虚実入り混じる言動には健忘性記憶障害の診断が下された。 その裏でコネとツテをフル活用し、茶倉が暗躍したのは言うまでもない。 「十江山にいた頃のこと、どん位覚えとる?」 「権現さまやみんなと遊んだ事は覚えてるけど、それもどんどん薄れていってる気がします」 「さよか」 唯一の身内の吉田が死んだ今、みどりは天涯孤独となった。 「お兄さ、じゃない茶倉さんにはお世話になりました。ありがとうございます」 「あーかまへんかまへん、気にすな」 ぺこりと頭を下げられ、ぞんざいに手を振ってから真顔に戻る。 「どうでもええけどその服誰が選んだ?随分ださ、個性的なセンスやね」 「悪いか」 みどりの横で玄が憮然と腕を組む。茶倉はあきれる。 「いくらなんでも女の子になまはげTシャツはないやろアホちゃうか」 「コイツがこれがいいって言ったんだよ」 「嘘こけ」 「だめ?かわいくない?」 本当だった。 シャツの裾を引っ張って落ち込むみどりに脱力し、玄に視線を移す。 「これからどないする」 「寺に居候。そのあとはおいおい考える」 「ムラムラせんか」 「ブチ殺すぞ」 「先祖と同じ轍踏むなよ」 警察はみどりが事故、あるいは犯罪に巻き込まれた可能性を疑っている。しばらく監視が強まるかもしれない。 「お前はかまへんのかみどり。むさ苦しいのと暮らすんが嫌やったら東京の不動産屋に口利いたるで」 「だいじょうぶです。いやじゃないです全然」 十七歳の体に七歳の心を持った少女が、毅然と顔を上げ宣言する。 「しばらくはお寺で過ごしながら勉強教えてもらって、それで大丈夫そうだったら学校行こうかなって考えてます」 「玄に?」 「ンだよ」 「私でも入れる学校あるかわかんないけど、もっかいちゃんと勉強し直して、がんばって看護師さんめざします」 ここで生き直すって、大好きな権現さまと約束したから。 十江山での内気な印象を裏切り、目の前で夢を語る少女は生き生きしていた。 茶倉を見詰める瞳は前向きに輝いて、権現みどりとして生まれ変わった心根を証立てる。 「そろそろ時間だな」 電光掲示板の点滅と同期してアナウンスが響き、ぬるい風を巻き上げホームに新幹線が滑りこむ。 「親父からお前に。岩手の銘酒酉与右衛門だとさ」 「コカコーラみたいなパッケージやな」 「二度と来んな」 「俺がおらな寂しいんちゃうか」 「私がいます、ちゃんとお世話するんで心配しないでください!」 手を挙げ割り込むみどりの勢いに押され、こっそり玄に耳打ち。 「モテキ到来おめっとさん」 「茶化すな」 「見た目十七と二十八ならギリセーフ」 「中身七歳に手ェ出すか」 新幹線のドアがスライドする。乗り込む間際、茶倉は悪戯っぽく振り返って言った。 「最後に教えたる。俺の初恋な、詩織さんやねん」 「は?」 玄の表情ときたら傑作だった。 「おい待てそれってどーゆー……三角関係!?」 人妻フェチの秘密を暴露し座席に掛けると同時、背広の胸ポケットでスマホが鳴り響く。 LINEに新着メッセージが来ていた。 『なー茶倉、こないだ教えてくれた風邪がよくなる呪文全然効かねえぞ。アレで合ってんの?』 読了後、速攻打ち返す。 『タニャタ・アランメイ・シリ・シリ・マカシツ・シツ・サンバト・ソワカ。もっぺんやってみ』 画面をスクロールし過去ログを見返す。理一は理一でまたもやトラブルに巻き込まれてるらしい。げに霊姦体質は厄介だ。 「やっぱ俺がおらなだめやな」 窓越しのみどりが控えめに手を振り、玄が不機嫌に中指立てる。 「アイツ……」 イラッとして腰を浮かした直後、玄が口パクでメッセージを伝えてよこす。 『げ』 『ん』 『き』 『で』 『な』 十五年の時が巻き戻り、十一歳と十三歳の少年たちが邂逅し、また現実に戻ってくる。 返事は決まっていた。 まずは口角を上げ不敵に笑い、みどりには右手を緩く振り、次いで玄に左手中指を突き立てる。 新幹線が動き出す。徐々にスピードが上がる。 みどりと玄がホームの端まで追いかけて立ち止まり、見えなくなるまで手を振り続ける光景を瞼に思い描き、茶倉は満ち足りた想いで眠りに落ちた。

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