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第3話
「先生? 気づいた?」
目覚めた有希は、優しいそして心配げな敬吾を見て飛び起きた。頭がクラクラする。
「いきなり起き上がるとまだ酔いが醒めてないから、ごめんねちょっと飲みすぎた。もう少し手前で止めると良かったけど……」
「いや僕も浮かれてセーブできませんでした。ここどこですか?」
「俺のうち。先生意識ないし。自宅知らないから仕方なく」
「すみません迷惑かけて……」
「ははそんな落ち込まないで。迷惑なんてちっとも思ってないから。今日は凄く楽しかった。先生も楽しかった?」
「楽しかった……だからつい飲みすぎて」
「もうこのまま泊まっていって。明日っていうかもう今日だけど休み?」
「日中はオンコール待機で、夕方から当直です」
「あーじゃあ取り敢えず大丈夫だね。研修医呼び出すなんてそうないから」
「電話の問い合わせはたまにあるけど、呼び出しはあんまりないです」
「そうだね。じゃあ朝まで休んで。大丈夫何もしないから安心して」
敬吾の口調が変わっていた。年下の有希に対して常に敬語だった。それが先生とは呼ぶもののくだけた口調になっていた。それが有希を大胆にさせたのか敬吾の上着の裾を掴んだ。
「えっ、どうしたの?」
「えっと……あの~……」
しどろもどろな有希に敬吾は戸惑った。有希の髪を優しく撫でて何? と言うようにほほ笑んだ。
有希は裾を掴んだまま下を向いた。今の有希にそれ以上を求めるのは無理だった。そんな有希に敬吾の愛しさは増した。
可愛い愛おしい抱きしめたい……有希の手を引き寄せた。待っていたかのように有希が敬吾の胸に飛び込んだ。敬吾の身体はカッと熱くなった。瞬間的な欲情に身を焼かれたのだ。その熱のまま有希を抱きしめた。このまま全てを奪いたい。甘くて凶暴な欲望が全身を駆け巡った。
理性を総動員して有希の身体を引き離した。有希が不安そうに見上げる。
「先生駄目だよ。俺ゲイって言ったよね。襲われるよ。奪われていいっていう覚悟があるなら別だけど」
有希は敬吾の胸に顔をうずめた。それが答えだった。敬吾は有希の頭をまさぐるように撫でた。両手で顔を上げさせると額に優しいキスを落とした。頬にこめかみにもそっと吐息で愛撫した。そして瞼にキス。鼻から頬、次に唇の端にも。
有希が喘ぐように唇を開けた。敬吾は有希の唇をふさぎ深く口腔を犯した。熱い舌が絡み合う。口腔は性感帯のかたまりだ。それを執拗に愛撫され有希は喘いだ。
「男とのキスは初めて?」
潤んだ目をした有希が敬吾の首に腕を巻き付けてきた。敬吾はたまらなくなった。可愛い。このまま抱きたい。再びキスしながら裸にして有希の身体の隅々まで愛撫したい。
ところが敬吾のキスに応えて自分からも舌を絡めてきていた有希の反応が急に鈍くなった。有希は眠っていた。
「えっ眠ったのか……」
自分から煽っておいてこれか。この小悪魔と思ったが正直助かった。抱かなくて良かった。抱いてトロトロにして依存させたいとも思うがそれは有希のためにならない。
おのれの欲望よりも有希を思いやる事を優先させるほど、敬吾の有希への思いは深くなっていた。敬吾は有希を愛していると自覚していた。
有希はゲイではない。教授の覚えもめでたく医師として将来有望な有希をこちらの世界に引き込んではいけない。決して一線は超えてはいけない。有希の穏やかな寝顔を見ながら敬吾は思った。
翌朝目覚めた有希はキョロキョロとして、「あーそうか東雲さんの家に泊まったんだ」
まだぼんやりした頭で昨晩の記憶をたどる。僕……東雲さんとキスしたよな……。急速に羞恥心に襲われた。でも東雲さんなんでキス? 僕のことどう思っているの?
恐る恐る部屋を出るとリビングに敬吾の姿があった。
「おはよう。二日酔い大丈夫?」
「大丈夫です。あのすみません。迷惑かけて」
「昨日も言ったけど迷惑なんて思ってないから。顔洗ってきて。歯ブラシとタオル置いてあるから」
何事もなかったかのような敬吾に戸惑う気持ちはあるものの、敬吾の笑顔に救われる。
顔を洗い身支度を整え再びリビングに行った。
「じゃあ僕これで失礼いたします。お世話になりました」
「せっかくだから朝飯食ってから帰って。朝飯って時間でもないけど。二日酔いには味噌汁がいいんだ」
美味しそうな匂いが漂っていた。有希は急に空腹を覚えた。しかしこれ以上迷惑かけられない。
「なんかそこまで図々しいと……」
「だからそんなふうに遠慮しないで。甘えてくれたほうが俺は嬉しいよ」
ダイニングテーブルを見ると二人分の食事が並んでいた。ここで遠慮するほうが失礼だと思い席に着いた。
「遠慮なくいただきます。凄い、旅館の朝ごはんみたい」
「そこまでのもんじゃないけど。どう? 味噌汁口に合う?」
「美味しいです。こんな出来立ての味噌汁久しぶり」
だしのきいた味噌汁は身体に染み渡り有希の食欲は刺激され、敬吾心づくしの朝食を全てたいらげた。
「ごちそうさまでした。ほんとうまかった。東雲さん料理上手ですね。僕は全然だから」
「いい食べっぷりだったね。先生が美味しそうに食べてくれて作り甲斐があるよ。それと敬語使わないで。もっと気楽に接してほしいな」
満腹感が有希の気を解しゆったりさせたのか、それに頷くだけでなく、さらに大胆な気持ちにさせた。
「四歳も下なのにあれだけどわかったよ。じゃあ僕からも先生はやめて欲しいな。」
「西崎さんってのもまあなあ、有希でいい?」有希は頷いた。
「有希も東雲さんはやめてよね。敬吾って呼んで」
「いやさすがに四歳も下で呼び捨てはあれだから敬吾さんにします」
「別に四歳位って思うけど……わかったよ妥協しよう」
そう言いながらコーヒーを入れてくれた。食後のコーヒーを飲みながら穏やかなそして静かな時が過ぎた。有希はこのまま留まりたいと強く思った。しかし昨日の服のまま着替えもしたいしそろそろ帰えらないと……コーヒーを飲み終えると立ち上がった。
「ごちそうさま。僕そろそろ帰るよ」
「もう帰るの?」敬吾が引き留めてくれた。有希は嬉しかったがこのままいると引き際を誤ると思った。
「着替えたいし、今日当直だから」
「そーだね。明日は日曜だから当直明けはそのまま帰宅できるよね」
「うん。それが金曜土曜の当直のいいとこだね。明けてそのまま日勤に入るのは地味にきついから」
「医者は辛いよね。看護師は夜勤明け帰宅できるのにね」
「医者の責任だと思ってる」
「有希は偉いよ。明日当直開けたら来ない? 疲れが癒されるうまいもん作っておくから」
「えっいいの?」
敬吾は優しく微笑んだ。
「あっじゃあそうしようかな」
「うん、そうして」
明日の約束をして有希は帰っていった。敬吾は一人有希と過ごした時の余韻に浸った。有希の唇は柔らかく甘かった。初めて男の唇を受け入れる口腔のとろけるような感触をリアルに思い出していた。
女とは? 勿論あるよな。童貞ではないよな。だけど男を受け入れたかどうかは確実にわかる。有希は思った通り処女だった。大事にしたい。汚してはいけない。最後の一線は絶対に超えない。
超えないけど時折会ったりする位はいいだろう。いいよな? キスは許されるだろう? 有希も自分に好意を持っているように思える。自惚れじゃないよな? 敬吾は自問した。
この年になってこんなピュアな恋をするとは……真剣な恋に憧れた。心から愛する人に出会いたかった。なのに出会ったらこれか? なんだか可笑しくなって敬吾は一人笑った。
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