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第6話

その後二人は中々会うことができなかった。年末年始の病院は慌ただしい。クリスマス、お正月共に勤務が合わず、すれ違いが続いた。  それに加え一月から内科を離れて一月産婦人科、二月地域医療、三月小児科での研修と有希はめまぐるしい日々を送っていた。  病院で会うこともなくなっていたが、電話では時折話した。有希は敬吾の声を聴くと安心できた。敬吾のバリトンボイスはすーっと有希の心に沁みるのだ。会えない心の隙間を少しはうめてくれるのだ。少しは……。  会いたい気持ちは敬吾も同じだった。病院で様子を見ることもかなわず悶々とした。偶に『深海』で憂さを晴らすのが関の山。といってもカウンター席で一人飲みだった。以前なら応じていた誘いもいなしていた。 「あの時の人か?」 「あの時の人って?」 「とぼけるな、お前が珍しく連れて来たし、様子を見てればわかるよ。惚れてるんだろ」 「……あーだけどこっちの世界に引き込むのはなあ……」 「時々デートするくらいならいいじゃないか。深入りしなければいいだろ?」  マスターの言う通りだ。深入りしなければいい……けどそれが難しい。会えば触れたくなる。触れれば抱きたくなるのは必然だ。それでも会いたかった。  三月に入り敬吾は有希を花を見に行かないかと誘った。桜より梅が好きな敬吾は有希と梅を見たかったのだ。  小児科勤務で気の滅入ることが多かった有希はなんとか勤務を調整し誘いに応じた。有希も敬吾に会いたかったからだ。  当日敬吾が車で有希を迎えに来た。 「偕楽園って行ったことないけど、どの位かかるの?」 「二時間位かな。日帰りでOKな距離」 「花見って桜かなと思ったけど梅なんだね。てか桜はまだ咲いてないか」 「俺、桜より梅が好きなんだよ。有希は、梅は好きか?」 「僕の実家の地名『梅林』だからね、馴染みがあるし好きだよ。敬吾さんが梅の方が好きって親近感わくな」 「へえー梅林かあ……いいなあ。結構梅林って地名は多いのに世の中桜好きが圧倒的だろ。変だよな。有希も梅好きって知って良かったよ。有希も梅好きなら来年は曽我梅林に行こう。富士山と梅のコラボが絶景なんだけど時期がもう遅いんだ。今だと偕楽園がいいんだよ」 「富士山と梅のコラボかあ、うん絶景だろうね。見たいなあ、来年の楽しみだね」  偕楽園につき二人でのんびり散策した。梅が香りと共に雅な世界を醸し出していた。 「梅は香りもあるのがいいよな」 「桜はないからな」 「小児科は心の滅入ることが多いから、気分転換になるよ。今日はありがとう」 「改まって礼なんかいいよ。俺も来たかったし。小児科はきついのか?」 「小さな子供がガンとか難病って見ていて辛い」 「そうだな。大人でも心が傷むんだから子供はそれ以上だよな」 「同期に小児科志望がいたけどメンタルもたないって。多分志望変更すると言ってた。気持ちわかるよ」 「小児科は訴訟も多いし希望者はどんどん減っているよな。有希は外科で決まり? 来月は何科で研修?」 「まだ正式決定じゃないけど外科にするつもり。四月麻酔、五月精神、六月総合診療で七月から三か月救急、そして十月から選択研修」 「目まぐるしく忙しい感じだな」 「研修医に暇はないよ。と言うか上の先生達も激務だよ。だからあーっ、今日はほんと気持ちいいなあー」  可憐に咲く梅の花、仄かな香りに心洗われる思いだった。  このところの忙しさと、小さな子供を救ってやれない辛さからくる心の重しも随分と軽くなった。敬吾といるとなんでこんなに安らぐんだろう。有希は敬吾への思いを自覚し始めていた。  有希のくつろいだ様子を見て敬吾は安心した。年明けから科が違ったため病院での様子も分からず心配ばかりがつのった。頻繁に会えばのめり込むことは分かっていた。あまり会わない方がいい。だけど会いたい。自分の思いのせめぎ合いに苦しんだ。  二、三か月に一度位いいだろ? と自分に問いながら誘った。有希は応じてくれた。そして楽しんでくれている。心から嬉しかった。 敬吾の二,三か月に一度という思いは図らずもその通りになり、二人が会ったのは花見から二か月過ぎた有希の誕生日になった。この日はお祝いしてやりたい敬吾の気持ちと、されたい有希の気持ちが重なった。思い合う二人の事、当然ではあるが……。  当日敬吾はプレゼントと心尽くしの手料理で仕事帰り直行する有希を笑顔で迎えた。 「腹減ってるか? もう準備できてるぞ」 「うん減ってる。おー凄いな! 美味しそうだ。腹減らしてきたかいがあるな」  テーブルにはオードブルにサラダがきれいに並んでいる。ワインもある。有希はワクワクした。 「メインはビーフシチューなんだ。先ずオードブルからな。シャンパンで乾杯するか」 「これにまだビーフシチューがあるのか! ほんと凄いな」 「有希、誕生日おめでとう」  敬吾の乾杯の音頭で食べ始めた。オードブルのあと熱々のシチューを敬吾がよそってくれた。よく煮込まれていて肉がとろけるように美味しかった。 「ほんとうまいよ。敬吾さん料理上手だよな」 「煮込んでる間はすることないから意外と手はかからないんだ。パンもうまいぞ。付けて食ってみて」 「まさかパンも焼いたの?」 「さすがにパンは買ってきた。ここのはうまいから大抵パンはここで買うんだ」  言われた通りパンもうまいが、それはシチューがうまいから引き立てられていると有希は思った。  確かに敬吾の料理は最高だ。でもそれ以上に敬吾との会話が楽しく有希は幸せに包まれた気分だった。 「あーお腹いっぱい。もう満腹だよごちそうさまでした」  ため口で話すようになった有希だが、挨拶は丁寧にする。敬吾は有希のそんなところも好きだった。  食後はリビングに移動した。そこで敬吾は有希にプレゼントを渡した。 「改めて有希、誕生日おめでとう」 「えープレゼントまであるの?料理だけでも十分なのに」 「料理はおまけだよ。気に入ってくれたらいいけど。開けてみて」 「ありがとう、じゃあ遠慮なく開けるよ」有希は包みを丁寧に開いた。中身はネクタイだった。 「わあー嬉しいよ。ネクタイあんまり持ってなくて買わないとって思ってたから。それにおしゃれだな、ポールスミス好きなんだ」 「ああそう思って決めた。デザインも有希の雰囲気に合ってるかなと思って」 「ほんとうれしいよ、ありがとう。今度は僕に祝わせて。来月だったよね誕生日」 「俺のはいいよ」 「だめだよ、ちゃんと祝わせて。そうじゃないとずるいよ」  問い詰めるような有希に敬吾は苦笑しながらそっと触れるようなキスをした。甘くて柔らかい唇。もっと深く舌を入れて思うさま口腔を犯したい。敬吾の身体を甘くて熱い衝動が突き抜けた。  敬吾はその衝動から逃げるように有希を抱きしめた。自分よりひと回り小さく華奢な身体を抱きしめおのれの身体から熱が放出されるのを待った。  有希は抵抗せず自らも抱きしめてきた。敬吾はさらに血が沸騰するのをなんとか抑えた。おのれの理性を褒めたい気分だった。  宥めるように有希の頭を優しく撫でておでこにキスした。 「そろそろ送って行くよ。明日も日勤だろ」 「飲んでるから無理だよ」 「ああだからタクシーで送るよ」 「そんなの無駄だよ。一人で帰るよ」  送っていきたい敬吾とひと悶着したが、ここは有希の意見が通り敬吾の手配したタクシーに乗り一人で帰った。  帰りのタクシーで敬吾の誕生日の約束をしなかったことを思い出した有希は、自分の迂闊さにあきれたが、絶対祝う決心に変わりはなかった。

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