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第2話
「うーわ、懐かしー。お前まだそれ好きなんだ、ミルキル。小学校の時から、そればっか食べてたよな」
「ここまで来たら、一生好きだよ」
(うわ。今の、宇佐美に未練タラタラな俺の気持ちみてえ)
違う、今は俺の好物の話だ。
飲みの席で出したことはなかったから、宇佐美には久しぶりに見えるんだろう。いつも鞄に入っている。俺はこれの中毒といっても過言ではない。高多粘性で濃厚なミルク味のソフトキャンディー、ミルキル。悪魔のアメだ。
「いる?」
一粒取り出して訊いた。
「銀歯とれるからいらない」
「噛まなきゃいいんだよ」
単純だがそれが真理だ。ソフトキャンディーという名前に惑わされるからいけない。存在はハードだ。俺も子供の頃から何回も取れて学んでいる。だけどそれは個人の好みだ。無理に勧めることはない。
アメを口に入れ、助手席側の外を見る。まだ都心から一時間ほどだ。田舎ではないが、宇佐美も言う通り低い建物も増えている。
──景色に見覚えのある懐かしさを覚えるのも当然だった。これから帰省するんだから。
俺達は二人共、職場近辺で一人暮らしをしている。
「クルマ出すから、ドライブがてら一緒に帰ろう」そう誘われた。地元はそれほど遠方じゃない。車で約二時間の場所だ。
俺は毎年、盆暮れだからといって帰省してない。帰ってすることも特になかったし、何かあったらすぐ行ける距離だ。両親とも現役で仕事をしていて、帰るとむしろ面倒がられた。
それを今年は、宇佐美と帰る。休暇の日程を合わせてまで。
もちろん理由があった。──約束を果たすためにだ。
「やっぱアメちょうだい」
代わり映えのない町並みをただ走っている内に、気が変わったのか宇佐美が言う。
「──いいよ。はい」
袋から取り出し右手で差し出す。
「口に入れてよ」
宇佐美は当然といった声を出す。いつも彼女にでもやってもらってるんだろう。男だからという嫌悪感は持ち合わせていないらしい。もちろん俺は別の意味で気乗りしない。
(……まあ、運転してもらってんだしな)
今ではあまり見掛けない紙の包みを開いて、白い球体を取り出す。
「……はい」
「あー」
口元まで持っていくと宇佐美が口を開いた。投げ込んでやるのも酷いかと、口の中に落とし入れる。そのとき舗装のヒビ割れか、段差に車体が少し揺れた。その拍子に親指が口を掠めた気がする。
(──今、唇に当たった!?)
俺はすぐ手をひっこめた。
(不可抗力だよな。別に変じゃないよな)
窓の外に顔を向け、外を見ている振りをする。そうでもしないと挙動不審になりそうだった。
宇佐美は運転している。だから前しか見てないはずだ。なのに──横顔に視線を感じる気がする。
(気のせいだって。俺は意識しすぎてる)
「あっまぁ、練乳なめてるみてえ。こんなんだっけ。よくこんなの幾つも食べられるな」
横から言う声が聞こえてきた。
遠慮のない悪態みたいな宇佐美の感想に気が軽くなる。やっぱり気にしているのは自分だけだ。
「文句言うなら返せよ」
妙な緊張から開放され、口が滑った。
「…………」
宇佐美がちらりと俺を見る。今のは気のせいなんかじゃない。
そしてまだ直進のはずが、ハザードを出し左に寄せる。疑問に思う間もなく路肩に停車してしまう。窓の外を見るが何があるわけでもない。
俺の座るシートがギシッと揺れる。
なんで──。
宇佐美が身を乗り出し、至近距離まで近付いていた。
「おい──?」
奴は俺の戸惑いを分かっていた。口元で意地悪な笑みを浮かべている。
「返すよ」
何をだ──尋ねる前に唇が触れそうになり、思い切り身体を縮めて目をギュッと瞑った。
(嘘だろやめろなに考えてんの頭平気かどうしたんだよ?????)
文章にもならない。単語だけが脳内を駆け巡り『?』で埋め尽くされる。
「──プッ」
いつまで経ってもその瞬間は襲ってこなかった。代わりに……吹き出す宇佐美の笑い声。俺は悟る。
「おまえ最低!」
「あっはははは。かっわいー翔眞」
洒落にならない。少なくとも俺には一番、して欲しくない冗談だ。
「なんで真っ赤になってんの?」
自分で仕掛けておきながら、抜け抜けと宇佐美は言い放つ。
「お前は汚れた大人になってしまったんだな」
硬い口調でハッキリと非難する。
「なに言ってんの。俺ほど純粋な大人もいないよ」
軽口で返すと、何事もなかったように車を出す。
友達とはいえ男同士にしては距離が近すぎる。さっきもそうだ。普通は口に入れさせないだろう。酔った時ですら、こんなセクハラめいた悪ふざけは今までにない。
今日になってから急に──変わった気がする。実家へ帰るのに、そこまでテンションが上がるとも考えにくい。原因はあの約束なのか──?
ラジオから聞き覚えのある音楽が流れる。夏になると一度は聴く、湘南を歌ったあの曲だ。定番となったメロディーは、嫌でも夏を連想させる。海どころか、見えるものは畑や住宅ばかりでも。──匂いや温度も引き連れて。
中3の夏休みだった。
むせるような草いきれの中、大きなショベルを担いで学校裏の丘に登った。太陽で灼 かれたTシャツは背中にベッタリ張り付いている。
先に丘の上に到着した宇佐美が振り返り、眩しそうに手を差し伸べた。
杉の巨木と紺碧を塗った空、それと作りすぎた綿あめみたいな入道雲。それらはただの背景で、宇佐美を描いた絵画に見える。
そんな宇佐美が、待ってくれているのが嬉しい。
これからが重労働なのに、貴重なスタミナを消耗して俺はダッシュで側に駆け寄る──。
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