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瞳、奪われる。

 今、店内に入って来た、スーツを着た男から夏川は視線を逸らせなかった。  男から目が離せなくなるなんてことは、夏川の人生では初めてで、内心驚いていた。  傘を持たなかったのだろうか。  男の着ている白いシャツは濡れそぼり、素肌に貼りついていた。  濡れたシャツから透けて見える男の胸の尖りに気付き、夏川はごくりと唾を飲んだ。  自分の股間に熱が集まるのを感じ、夏川は深い息を吐いた。  あいつ、すごくエロい。  夏川以外にも、男にまとわりつくような視線を送っている奴は何人もいたが、男はそのことに全く気付いていないようだった。  騒がしい店内で、男の周りだけ静かな別の空間があるように感じた。  ふいに顔を顰め、店内をぐるりと見渡す男と目が合った気がした。  しかしそれは一瞬で、夏川の勘違いだったかもしれない。  男は無表情でカウンターに座った。  夏川は男と目が合った気がした時から、胸が高鳴り、一気に高揚した。 「ああ、もう今日は全員俺のおごり。好きなの頼んで」  夏川が叫ぶと、軽い口笛や、悲鳴みたいな歓声が店内に響いた。  あの男の傍に行きたい。  夏川は足早にカウンターに近づきながら、そんな自分の衝動をどこか不思議な思いで感じていた。  夏川は今まで女性相手しか劣情を催さなかった。  周りにゲイやバイ、レズビアンはたくさんいたし、夏川はそういう相手に差別的な態度をとったことはなかったが、自分が抱きたいと思うのはいつも異性だった。  ここのゲイバーにもマスターの作るカクテルが美味いから通っているだけで、どんなに見た目が可愛い男から声をかけられても、夏川がその誘いに乗ることはなかった。  カウンターに近づくと、濡れたスーツの男は細身で綺麗な肌をしていたが、やはりどう見ても男だった。  しかし真っ白な男のうなじを見つめていると、ふいにそこに噛みついて、痕を残したい衝動に駆られ、夏川は自分がこの男に欲情していることを認めざるを得なかった。  夏川は男のうなじに触れ、掌を肩まで滑らした。  それだけで夏川の心臓は壊れそうなくらいバクバク音をたて、掌は汗でじっとりと湿っていた。

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