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第73話
「そっか。実は俺も2日くらいなら、休暇とれそうだから、旅行にでも行かないかなと思って」
「旅行」
思わず朝霧の声がうわずった。
朝霧は過去付き合った数少ない男達とも、旅行に出かけたことがなかった。
面倒くさい。
金がもったいない。
付き合った男達は、朝霧が「旅行に行かないか? 」と尋ねると皆がしめしを合わせたように同じ言葉を吐いた。
恋愛ごとになると、途端に自分の意見を主張できなくなる朝霧は、そう言われるとそれ以上何も言えず、引き下がっていた。
考えてみると、ここ最近で朝霧が旅行らしいことをしたのは、北海道に出張になった際、思いの外仕事が早く片付き、飛行機が出るまでの空き時間を利用して小樽をぶらついたときくらいだった。
それも1人でだ。
朝霧は初めての彼氏との旅行というイベントを妄想し、既に鼻息が荒くなっていた。
「キャンプはどうかなと思っているんだけど」
「キャンプ」
先ほどより、朝霧の勢いがダウンした。
朝霧は虫が大嫌いだし、自分で木を切って、火を熾せと言われても、到底無理だった。
テントの張り方とか、動画で何度も勉強すればできるだろうか。
朝霧の眉間に深い皺が寄る。
「キャンプっていっても本格的なのじゃないから心配しなくていいよ。コテージの前でバーベキューするくらいだから」
悲壮な表情の朝霧に夏川が微笑みかける。
それくらいなら大丈夫だと、朝霧も笑顔で頷く。
「いいな。自然の中でのんびりするの」
「そうだろう」
2人で微笑み合っていたが、夏川の次の言葉を聞いた瞬間、朝霧の表情が固まった。
「俺の大学の友人達と一緒なんだけどいいかな? 」
「友人? 」
てっきり2人きりだと思っていた朝霧の眉が自然と寄る。
「うん。大学のゼミが一緒だった奴らで、社会人になっても定期的に集まってるんだ。日本では一番仲が良いと思ってる。ちゃんと帝のこと紹介しておきたいってずっと思っていたから良いチャンスかなって」
友人に紹介したいという夏川の気持ちは嬉しかったが、人見知りの朝霧の腰は引けていた。
「でも……その友人の方たちもいきなり俺が来たら、嫌じゃないかな。せっかく知り合いだけで楽しみたいと思っているのに」
「そんな小さいこと気にする奴らじゃないから大丈夫だよ。ちなみに帝が男っていうのも伝えてあるから」
「いや、俺、会社とかではゲイって隠してるから、あんまりそういうの言われるのも、ちょっと」
「えっ、そうなの? 分かった。友達にはきちんと口止めしておく」
夏川は早速スマホを取り出すと、一心不乱に文章を作成し始めた。
「これで大丈夫。帝、キャンプ楽しみだね」
笑顔の夏川に「本当は2人きりが良かった」などと到底言いだせない朝霧は無理やり微笑んで、頷いた。
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