215 / 241

第193話

「座ったら? 」  音羽の前の席に朝霧は腰かけると、店員にカフェオレを注文する。 「長居するつもりはない」 「そう。残念だな」  店員がカップを朝霧の前に置くと、一礼して去っていく。  店内の机と机の間隔は狭かったが、ざわついているせいで朝霧と音羽の会話も周りの音に紛れた。 「この前は突然悪かったよ。本当だったら、薔薇の花束でも抱えて帝君に会いに行きたかったんだけど。いきなりおばさんから、『今日帝が帰って来るから、音羽君も遊びに来たらいいわ』って言われて、驚いちゃって」 「音羽。そういう冗談はいいから、本題に入ってくれないか」  呼び方を変えたことに一瞬、音羽は驚いた表情を浮かべたがすぐに微笑んだ。 「そうだね。帝君は忙しいんだものね。ああ、でも僕と付き合い始めたら、仕事はやめて欲しいな。仕事よりも僕のことを優先して欲しいからね」  朝霧は音羽を睨みつけたが、彼は澄ました表情でコーヒーを飲んでいた。  音羽がカップを両手で包む。 「この前言った通り、もし君が僕の傍に来ないなら、僕はおじさんの病院は継がない。それでもいいの? 」  朝霧は音羽の視線を真正面から受け止めた。 「いいよ」  きっぱり告げると、音羽が息を飲んだ。 「へえ。実の父親より、今付き合っている男の方が大事だってこと? 」 「簡単に言えばそうだ」  肯定した朝霧に対して音羽は言葉を失ったように呆然とする。 「俺は恋人と別れるつもりはない。例えそれで親父の後継者が不在になって、病院が廃業したとしてもだ」 「酷い息子だね。おじさん悲しむんじゃないかな。君のせいで僕が跡を継がないって知ったら、帝君のことおじさんは一生許さないんじゃない? 」  音羽の勝ち誇ったような顔が嫌で、朝霧は視線を逸らせた。 「そうかもしれないな。だけどそれが今とどう違うっていうんだ」  音羽が無表情に朝霧を見つめる。 「あんただって知っているだろ。親父は俺に医者になる能力がないと分かった時点で、突き放した。確かに俺のせいであんたが後継者にならないと分かったら、親父は激怒するだろうよ。もう二度と俺は親父に会えないかもな。でもそれが今までとどう違う? 親父にとって俺は受験を失敗した時点で、不要な子供なんだよ。親父がそういう考えなのは、仕方ない。でも、それなら俺は……何か一つしか手に入れられないなら、両親じゃなく、あいつを選ぶ。こんな俺を選んでくれたあいつを、俺も選びたい」

ともだちにシェアしよう!