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第6話 酔いどれな夏の夜(3)
(あったかい……)
ぼんやりとした思考のまま、ふと感じたのは人肌の温もりだった。
まだ酔いがさめていなくて、状況がよく理解できない。けれど確かなのは、自分が橘に背負われているということだ。
「……俺、なんでおんぶされてんの?」
訊けば、橘の深いため息が返ってくる。
「電車降りたら、先生が『もう歩きたくない』って言ったからですよ」
「そうだっけ?」
「この酔っ払い」
どうにも記憶が定かでないが、駅までどころか自宅まで送ってもらう流れになったらしい。
見慣れた景色から察するに、もう自宅の近くまで来ているようだ。
諒太は申し訳ないと思いつつも、今さら遠慮する気にもなれなくて素直に身を預ける。橘の背中は広くてとても心地よかった。
それからふいに話がしたくなって、「なあ、橘」
「なんですか?」
「調理師学校、とりあえずよかったな。おめでとう」
やっと直接伝えられた――こちらの言葉に、橘が表情を緩める気配がした。
「つっても、まだ合否が出たワケじゃないっすけど」
「AOなんだし大体受かるだろ? 奨学金とか出るんだっけ?」
「ええ。あと、入学前に研修受けることができるんで楽しみっす」
少しばかり嬉しそうな声音で語る橘。つられて、諒太の頬が自然と綻んだ。
夢への第一歩が踏み出せそうでよかった、と改めて思うとともに、羨望の感情を抱く。
「……ほんと、いいなあ」諒太は独り言のように呟いた。
「え?」
こちらの声に橘が反応する。
いつもならきっと話さないだろうが、今はアルコールのせいもあってか、不思議と口が軽くなっていた。諒太は自嘲気味に語りだす。
「ちょうど今頃だっけな。講師やってる時点でお察しだろうけど……俺、学生の頃に教員採用試験落ちてるんだよね」
「………………」
橘は相槌も打たず、ただ静かに耳を傾けてくれた。そのことに後押しされるようにして言葉を続ける。
「講師やりながら試験対策するって正直キツいし、去年は姉貴のこともあって……まあ、ズルズルとここまで来ちゃってさ。だからかな――橘のこと見てると、夢を叶えてほしいって応援したくなっちゃうの」
橘が羨ましいと思う一方、それは紛れもなく本心からの願いだった。
諒太は一呼吸置き、さらに続ける。
「もちろんプレッシャーに思う必要はないし、この先何にだってなれるんだから、途中で夢が変わっても全然いいんだけどさ……」
そう前置きして、
「もし橘が店持ったら、俺を最初の客にしてよ」
――今日、一番伝えたかったことを思い切って告げた。その瞬間、橘の歩調がピタリと止まる。
「先生……」
「ええっと、今日とか仕事着姿よく似合ってたし? いつかそんな日が来るといいなあ、だなんて……思ってみたり」
諒太は気恥ずかしさを誤魔化そうと、苦笑しつつ早口で捲し立てた。
酒の勢いとはいえ、柄にもない発言をしてしまったかもしれない。つい最近まで男性同士の恋愛を軽んじていた分際で、何を言っているのだろう。
が、橘は特に気にした様子もなく、再び歩き出す。真っ直ぐに前を見据えたまま言葉を紡いだ。
「約束します」
それは、なんとも力強い口調だった。
橘がどんな表情をしているのか、背後からではうかがえない。しかし、首筋がほんのりと赤く染まっているのがわかって、「うん」とだけ答えておいた。
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