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第7話 さよならは突然に(3)
その後、美緒は橘が手土産に持ってきたゼリーを食べて眠ってしまった。
小さな寝息を立てている美緒の頭を撫で、諒太はそっと息をつく。美緒は少しも諒太から離れようとしなかった。
「先生、コーヒーどうぞ」
橘が二人分のカップを持ってきて、ローテーブルに置く。
諒太は礼を言い、ブラックのまま口に含んだ。独特の苦みと酸味が頭をすっきりさせてくれるようで、今はひたすらにありがたかった。
「美緒ちゃんのことなんすけど」
橘が隣に座ってきて、ソファーが静かに沈む。
「ああ、なに?」
「やっぱり――先生のもとで暮らすのがいいんじゃ?」
「……だから、俺には無理だって」
諒太はきっぱりと告げて、手にしていたカップをローテーブルに置いた。わかってくれたと思っていたのに、またこのやり取りになってしまうのか。
「俺みたいなゲイが養子もらうのは現実的じゃないし、長期的に考えたら美緒にとってもよくないよ。まだ幼いし、きちんとした親がいた方がいいに決まってる」
ところが、今度は橘も引き下がらなかった。真剣な眼差しを向け、はっきりと言葉を紡いでくる。
「自分のことなんだから、本人が決めるべきでしょうよ。美緒ちゃんと話したんですか?」
「そうは言っても、美緒はそんなこと考えられるような歳じゃないだろ」
「……それは、さすがに子供ナメてませんか」
橘が珍しく語気を強めてきた。こちらが返事に困っていると、彼は静かな口調で続ける。
「美緒ちゃんって、いつも人の顔色うかがってますよね」
「確かに……そんなところはある、けど」
「まだ幼いとはいえ、この子なりに考えて行動できるんですよ。だから、自分の物差しで考えを押し付けるのは、あまりよくないと思います」
「………………」
委託児童にはよくみられる傾向らしいが、美緒は利口な子で、駄々をこねずに何でも言うことを聞いてくれていた。加えて、彼女は他人の感情の変化に敏感なところがある。
手がかからないと言えば聞こえはいいかもしれない。けれど、どこか遠慮している部分があったのだろう。
相手の機嫌を損ねることを恐れて本心を隠したり、我慢したり。美緒が本音を言えない状況を、自分が作っていたとしたら――そう思い至り、諒太は無意識のうちに唇を噛んだ。
「先生」
黙り込んでしまった諒太に対し、橘が肩を抱きながら声をかけてくる。
「すみません。ちょっと言い方キツくなっちゃいましたよね」
「いや、橘の言うとおりだよ。美緒のことをわかったつもりになって……でも、結局ないがしろにしてたのかもしれない」
「そんなことないでしょ。美緒ちゃんを大切にしているのは、ちゃんと伝わってます」
「うん……これでも、ちゃんと大切にしてるんだ」
「大丈夫、わかってますよ。先生の考えだって、決して間違いじゃありません。美緒ちゃんの将来を思ってのことなんですもんね」
橘の声音はひどく穏やかだった。諒太は心がほどかれていくのを感じるとともに、ここしばらく余裕がなかったことを思い知らされる。
諒太自身、新しい里親の話を聞いて動揺していたところがあった。性的マイノリティである自分に引け目を感じ、つい卑屈になっていたのだ。
ゲイセクシャルだから社会に受け入れられない。子供の親にはなれない――美緒のことを考えれば、自分よりもっと相応しい人たちがいる。そうやって決めつけては自分を責め続け、周りが見えなくなっていたのだと思う。
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