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第2話
今の太宰には自身が探偵社員で在る事はおろか元ポートマフィアの幹部で在った事も覚えて居ないらしい。詰まりは自分自身が何者であるかも解って居ない状態だと云う事だったが、恋仲関係なのだろうと云う与謝野の言葉でそんな厄介な状態の太宰を押し付けられて了った中也は渋々乍らも連れ帰る事を余儀なくされた。今の状態では寮に戻った処で余計に混乱させるだけだからと云う理由には納得する事が出来た中也だったが、だからと云って中也の部屋に連れ帰った処で太宰の症状が改善するとも思えなかった。
其れでも中也は太宰の眸を視た瞬間、連れ帰るべきだとも感じて居た。あの仄暗い眸の色には覺えが在った――未だ中也が太宰と出逢った許りの頃、只管に己の死を渇望して居たあの時のような。昼行灯で巫山戯た太宰しか識らない探偵社員には荷が重いだろうと考えたのも慥かだった。
然し其れが今は如何だろうか。視えたあの眸は見間違いだったのでは無いかと思える程、寝室の寝台上で寛ぐ太宰は普段通りの太宰では無いのだろうか。まるで先程迄が借りてきた猫だった様な変わり様を目の当たりにした中也は横目に太宰の姿を確認した間々外套を脱いで皺に為らないよう壁に掛ける。
「オイ手前、本当に記憶喪失なんだろうな」
太宰の事だ、記憶喪失の振りをして探偵社員だけでは無く中也の事ですら揶揄おうと為ていたとしても何ら不思議は無い。仕事用の正装から自宅用のラフな部屋着に着替え終えた中也はそう声を掛け乍ら寝室に居る筈の太宰へと声を掛けて中を覗く。今回も入水自殺に失敗したそうだが、濡れた服や下着を着替えさせて風呂に投げ込まなければ体調を崩す事は必至だった。
少し開けた寝室の扉に手を掛けて開いた中也は着替え用にと持って来た衣類を思わず其の場に落とす。其れはあの太宰が中也に責付かれる事無く自ら寝台の上で濡れた服を脱ぎ始めて居たからだった。
「噫、此れは丁度善い処に」
太宰は寝室の前で立ち止まる中也に気付くと目を細める。何かを企で居る様な、さも「裏は無い」と主張して居る様な逆に胡散臭い笑顔だった。中也は此れまで太宰のそんな表情を何度も視てきて居た。そういった時、大抵佳い事が起こらない事も経験上解り切った事だった。
「湯を貸しては呉れないだろうか。此の儘では風邪をひいて仕舞いそうでね」
「――は?」
普段ならば遠慮無く何でも勝手に中也の物を遣う太宰が態々許可を取ろうとして居る事もそうだったが、太宰が自ら湯浴みをしようとしている其の言葉に中也は仰天した。湯浴みをしたがらないと云えば聞こえは悪いが、太宰は誰かが居る前で積極的に湯浴みを嗜む事は無い。包帯は肌の一部だとか何とか理由を付けて無防備に肌を晒す様な事は今迄して来なかった。少なくとも中也はそんな太宰を視たのは今此の瞬間が初めてだった。
頭でも打って可笑しく為ったのかと問い掛けたくなった中也だったが、直ぐに太宰が記憶喪失中で在る事象を思い出して踏み留まる。
何時もの悪巫山戯で有る可能性は否定出来ない。悪巫山戯を続ける事で太宰に如何様な利点が在るのかと云えば、太宰にとっては中也に悪戯を仕掛ける事其の物が利点で在るとも云えた。其の悪巫山戯にまんまと乗せられて了えばしたり顔の太宰に揶揄い続けられる事は記憶に新しい。だからこそ太宰が記憶喪失で在るという言葉を頭から信じる事は出来ない中也は、眼の前の太宰の挙動から其の真偽を見極めようと為て居た。
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