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第3話

「――――其れで、手前は何為てンだよ」  記憶喪失といえど日常生活を行う分には問題が無く、中也が介助せずとも湯浴みを成し遂げたらしき太宰では在ったが、其の太宰自身は今全身に風呂巾を纏った状態の間々寝台の上に坐して惚けて居た。風呂巾だけでは無く何時の時だったか太宰が勝手に置いて行った部屋着も脱衣所に置いて居た筈だったが、置かれた衣類には目もくれず蓬髪から水滴を滴らせ乍ら太宰は中也を視て居た。  透き通る様に白い肌には当人曰く皮膚其の物で在ると云う包帯が巻かれた間々で有り、水分で湿った包帯は其の奥に隠された素肌を淡く浮かび上がらせて居た。湯浴みは出来た筈なのに躰を拭いて服を着る事が出来ないという事は考え難く、何処迄が太宰の策略で有るのかを推し量り乍ら中也は肩から纏った間々の風呂巾へと手を伸ばす。  まるで其の瞬間を待って居たかの様に伸ばした中也の腕はぐいと引かれ、大幅に体勢を崩しそうに為った中也は咄嗟にもう片方の腕を出し寝台の上へと着くが、丁度着いた腕の隣に太宰の顔が在り、倒れ込みそうになる中也へと視線を送って居た。 「――手前、本当に何の冗談だよ」 「恋仲、なのだろう? 私と君は」  中也を見上げた状態の間々太宰は其の鴇色の眸を揺らし妖艶な笑みを浮かべる。中也は未だ此の太宰の言動に困惑して居た。  寝台の上に包帯以外一糸纏わぬ風呂上がりの太宰と其れに覆い被さる状態の中也。今迄太宰が此れ程迄に無防備な姿を晒した事が在っただろうかと中也は思考を巡らせた。  中也の片腕を摑んで居た筈の太宰の腕は、何時の間にか共に中也の首へと回され其の裏で枷の様に指を絡ませ中也を繋ぐ。普段ならば願っても無い好機では有るが、太宰に記憶喪失の疑いが有る以上今此の瞬間に於いて何が正解で有るのか、中也は太宰の視線から真意を読み取ろうと為た。  元々太宰はそう簡単に考えを悟らせる様な人間では無く、眉間に皺を寄せ険しい表情を浮かべる中也を見上げた太宰は目を細めて指先でそっと中也の項をなぞる。 「恋人ならば伽をするものなのだろう?」  誘いだったのかと理解した中也だったが、普段の太宰らしからぬ此の行動に中也はひとつ細い息を吐き出した。  通常自分から誘いを掛けない太宰から伽の誘いが来ていると云う事は此の上無い好機では在ったが、此の太宰らしからぬ行動こそが今の太宰が中也の知る太宰では無い事の明確な理由と為って了っていた。冗談でも斯様な誘いを掛けたのならば中也の歯止めが利かなく為る事を太宰は知っている筈だった。幾ら途中で其れが引っ掛けで有ると伝えたとしても誘った事実には変わりが無く、常日頃から巫山戯ている太宰であっても自らの身と矜持を護る為に自ら窮地へ追い遣る様な真似は行わなかった。  詰まり此れは太宰の悪巫山戯でも何でも無く、太宰は本当に記憶を失って居るのだと確認した中也は溜息を落とした後片手で太宰の顔を摑んだ。 「莫迦云ってんじゃねェ。手前は覺えて無くても恋人って云われたらヤんのか」  太宰から小賢しさを無くせば此れ程迄に危うい存在で在ったのかと改めて自覚した中也だった。幸い太宰との関係は自らの所属するポートマフィアだけでは無く、太宰が現在所属している武装探偵社に於いても公然の事実と為って居たので、太宰に何かが有れば必ず中也へ連絡が届く様になっていたが若し二人の関係を隠し続けて居たら――そう考えた時中也の背筋に悪寒が走り思わず片腕を抱き込んで居た。  若し太宰を迎えに行く役目が中也では無く例えば別の人物――太宰の嘗ての部下で在った芥川だった場合、其処迄思いを巡らせた瞬間に中也は考える事を止めた。幾ら「若しも」の事を考えたとしても現状では太宰は今こうして中也の傍に居る、何も憂う事は無い。記憶喪失ならば、太宰の記憶が戻る迄ずっと自分が傍で見守って居れば善い。  記憶が無くとも太宰は中也を恋人で在ると認識していたのが救いだった。焦る必要は一切無く少しずつ太宰の記憶回復に努めようと意識を切り替えた中也が再度太宰へと視線を向けた時、其処に太宰の姿は無かった。  正確に云えば太宰の姿を型どった掛け布団の盛り上がりがひとつ。服も着ず碌に髪も乾かさず布団の中へと潜り込んだ太宰の姿に中也は拍子抜けして肩を落とす。其れでも本当に布団の中に太宰が存在して居るのかと触れて確認して了うのは今迄の太宰との関係性故の事だった。幽かに伝わる体温と偽装では無い人体の感触に安堵した中也は様子を確認しようと布団を引っ張る。然し内側からの強い抵抗に依り布団は剥がれる事を拒んだ。 「――オイ、何拗ねてんだよ」 「――――」  くぐもった声が布団の中から聞こえて来る。 「聞こえねェんだよ。云いたい事あンならはっきり云え」 「拗ねてないってば!!」  金切り声にも似た其の言葉に中也は呆気に取られた。太宰が今迄此れ程迄に激昂を露わに為た事が在っただろうか。突然の誘いと云い何から何迄も此れ迄の太宰の印象とは遠く掛け離れており、血迷って手を出さなくて善かったと中也は心から安堵した。

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